ポ ソ 戦争。 POSO

ポーランド・ソビエト戦争

ポ ソ 戦争

ペロポネソス戦史(トゥキディデス 戦史より) <435> 夏 レウキンメーの戦い エピダムノスをめぐるケルキュラとコリントスの争い。 ケルキュラ勝利。 両者ともアテナイに援助を請い、アテナイはケルキュラを支持。 <433> 6月 アテナイとケルキュラ同盟する。 7月 アテナイ船隊第1回出航 8月 コリントス船隊出航 アテナイ船隊第3回出航 9月 シュボタの戦い:アテナイ・ケルキュラ対コリントス <432> 1月 アテナイ、ポテイダイアに3要求 3月 ポテイダイアの反乱。 アテナイから離反。 4月 アテナイ、アルケストラトス指揮官をトラキアに派遣。 5月 コリントス軍、ポテイダイア救援に向かう。 アテナイ、カリアス指揮官をポテイダイアに派遣。 6月 ポテイダイアの戦い ポテイダイア・ペロポネソス同盟軍対アテナイ軍。 アテナイ勝利。 カリアス戦死。 アテナイ、ポテイダイアを封鎖する。 7月 スパルタにて第1回ペロポネソス同盟会議。 8月 第2回ペロポネソス同盟会議。 アテナイに対する開戦決議。 アテナイ民議会にてペリクレスが主戦論提唱。 開戦決議。 <431> 3月 テバイ、プラタイア(アテナイ同盟国)を攻撃。 5月 ペロポネソス同盟軍(スパルタ王アルキダモス指揮)、アッティカ侵入。 6月 アテナイ船隊出撃。 ペロポネソス沿岸を攻撃。 7月 ペロポネソス軍撤退。 アテナイ船隊(クレオポンポス指揮)、ロクリス攻撃。 トロニオンを占領。 アテナイ人植民者、アイギナに侵入。 アイギナ人の強制立ち退き。 8月 トラキア(シタルケス王)、マケドニア(ペルディッカス王)アテナイと同盟。 9月 アテナイ軍(ペリクレス指揮)、メガラ侵入。 アタランテを要塞化。 冬 コリントス勢、アカルナニア援助。 ペリクレスの葬礼演説。 <430> 5月 ペロポネソス同盟軍(アルキダモス指揮)、アッティカに侵入。 6月 アテナイに疫病発生。 アテナイ船隊、エピダウロスを攻撃。 ペロポネソス同盟軍撤退。 7月 ペロポネソス同盟軍、ザキュントス攻撃。 アテナイ、スパルタに使節を送る。 交渉失敗。 9月 ペリクレスに対する非難起こる。 ペリクレス、民議会で最後の演説を行う。 ペリクレスの罷免。 すぐに指揮官に復帰。 ペロポネソス同盟軍の使者、トラキア訪問。 アテナイ人により処刑。 冬 アテナイ船隊(ポルミオン指揮)、ナウパクトスに出航。 アテナイ人、メレサンドロスをカリア、リュキアに派遣。 メレサンドロス戦死。 ポテイダイア落城。 <429> 5月 ペロポネソス同盟軍(アルキダモス指揮)、プラタイアを包囲。 アテナイ船隊、カルキディケ、ボッティケに進軍。 敗北する。 7月 プラタイアからペロポネソス軍撤退。 ペロポネソス海軍、アカルナニアに遠征。 ストラトスの戦い。 ペロポネソス軍、ストラトス攻撃に失敗。 8月 アテナイ船隊(ポルミオン指揮)、ペロポネソス海軍を破る。 9月 ポルミオン、ペロポネソス海軍を再度破る。 冬 ペリクレス死す。 11月 ペロポネソス船隊、サラミスを奇襲。 トラキア王シタルケス、マケドニア・カルキディケ攻撃。 <428> 冬 ポルミオン、アカルナニアで作戦行動。 春 ポルミオン、アテナイ帰還。 5月 ペロポネソス同盟軍(アルキダモス指揮)、アッティカ侵入。 6月 レスボス島、アテナイから離反。 アテナイ船隊、ミュティレネ攻撃。 一時休戦。 アテナイ船隊(アソビオス指揮)、アカルナニア攻撃。 アソビオス戦死。 8月 ミュティレネ、ペロポネソス同盟に加入。 ペロポネソス同盟軍、アッティカ侵入を計画。 アテナイ船隊の示威行動。 9月 アテナイ、ミュティレネ包囲の援軍にパケスを派遣。 <427> 冬 プラタイア人、脱出に成功。 スパルタ人サライトス、ミュティレネに潜入。 5月 ペロポネソス船隊(アルキダス指揮)、レスボス救援に出発。 ペロポネソス陸軍(クレオメネス指揮)、アッティカに侵入。 6月 ミュティレネ、アテナイに降伏。 ペロポネソス船隊撤退。 アッティカ侵攻軍撤退。 ペロポネソス船隊、デロス島に到着。 エンバトンに到着。 アテナイ人パケス、ノティオン制圧。 レスボス諸市を制圧。 7月 アテナイ、スパルタ人サライトスを処刑。 アテナイにてミュティレネ市民に対する裁判開廷。 アテナイ船隊(ニキアス指揮)、ミノア島を攻略。 プラタイア人、スパルタに降伏。 プラタイア破壊。 ケルキュラで反乱勃発。 8月 ケルキュラ沖海戦。 内乱激化。 貴族派惨殺。 残党は山岳に籠城。 9月 アテナイ、シケリアに干渉。 冬 アテナイに疫病再発。 ボイオティアに地震。 <426> 夏 地震・津波頻発。 ペロポネソス同盟軍、アッティカ侵攻中止。 ニキアス、メロス島を攻撃。 タナグラ破壊。 デモステネス、ペロポネソス沿岸の攻撃開始。 シケリアのメッセネ、アテナイに降伏。 8月 スパルタ人、トラキアのヘラクレイアに植民。 デモステネス、アイトリア攻略失敗。 シケリアでアテナイ軍、ロクリス軍を破る。 10月 ペロポネソス同盟軍、ナウパクトス攻撃。 デモステネスの防衛に敗退。 冬 アテナイ人、デロス島の清めを行う。 デモステネス、アルゴス・オルパイで戦闘。 オルパイ占領。 イドメネの戦い。 アンプラキア軍大敗する。 シケリアでアイトナ山噴火。 <425> 夏 ペロポネソス同盟軍、アッティカ侵入。 シケリアのメッセネ、アテナイから離反。 アテナイ船隊、シケリアへ出航。 途中、ピュロスに砦を建設。 ペロポネソス軍、アッティカより撤退。 ペロポネソス海軍、ピュロスをめぐりアテナイ海軍と海戦。 7月 ペロポネソス軍の和平交渉失敗。 アテナイ海軍、メッセネ海軍を破る。 クレオンのピュロス遠征。 8月 ピュロス・スパクテリア攻防戦。 アテナイ、スパクテリア奪取。 9月 アテナイ海軍、コリントス領に侵入。 メタナを占領。 ケルキュラの貴族派全滅。 冬 アテナイ、スパルタのペルシア王への使節を逮捕。 ペルシア王アルタクセルクセス死去。 <424> 夏 アテナイ船隊、キュテラに遠征。 シケリアで休戦成立。 アテナイ、メガラを攻撃。 メガラに政変起こる。 7月 デモステネス、ナウパクトスに到着。 アカルナニアで同盟軍を結成。 アテナイ、アンタンドロスを奪回。 9月 スパルタのプラシダス、トラキア遠征。 アカントス、スタギロスがアテナイから離反。 10月 アテナイ軍、デリオン会戦でボイオティア軍に敗れる。 トラキア王シタルケス死去。 セウテス即位。 冬 プラシダス、アムピポリスを攻略。 <423> 冬 プラシダス、アクテ・トロネを攻略。 夏 1年間休戦条約締結。 スキオネ、メンデがアテナイから離反。 プラシダスにつく。 プラシダス・ペルディッカス連合軍、リュンコス攻撃。 アテナイ、スキオネを封鎖。 メンデを奪回。 ペルディッカス、アテナイと和議。 プラシダス、ポテイダイア攻撃失敗。 <422> 夏 休戦期間終了 アテナイ人、デロス島の清めを行う。 8月 アテナイのクレオン、トラキアへ出航。 9月 クレオン、トロネを奪回。 アテナイ、バイアックスをイタリア・シケリアに使節として派遣。 ボイオティア勢、パンアクトンを奪取。 10月 アムピポリスの会戦。 クレオン、プラシダスと戦い、共に戦死する。 アテナイ敗北。 <421> 3月 平和条約成立 スパルタとアテナイの50年同盟締結。 夏 アルゴス同盟:マンティネア、エリス、コリントス、カルキディケ加盟。 ボイオティア・ラケダイモン同盟成立。 <420> 夏 アルゴス、スパルタと平和条約交渉。 アテナイ、アルゴス同盟と同盟締結。 アテナイにてアルキビアデスとニキアスの確執。 オリュンピア祭典からスパルタ人排除。 <419> ボイオティア、ヘラクレイアを接収。 夏 アルキビアデス、アテナイ指揮官に就任。 ペロポネソス半島に進軍。 アルゴス、エピダウロスを攻撃。 マンティネア会議開催。 冬 スパルタ、エピダウロスに援兵。 <418> 夏 スパルタ、アルゴスに侵攻。 アルゴスの休戦申し入れにより撤兵。 7月 アルゴス・アテナイ軍、アルカディアのオルコメノス攻略。 8月 スパルタ軍、テゲアに出兵。 マンティネアの会戦でアルゴス・アテナイ軍を破る。 冬 アルゴス、スパルタと同盟条約。 アルゴス・スパルタ、トラキア及びペルディッカスと盟約。 アテナイとエピダウロス単独講和。 マンティネア、スパルタに和を請う。 スパルタ、シキュオンに貴族政確立。 <417> 夏 アルゴスに貴族政確立。 民衆派が貴族派を追放。 長壁を構築。 スパルタのアカイア内政干渉。 冬 スパルタ、アルゴスに侵攻。 アルゴス、プレイウスに報復。 アテナイ船隊、マケドニアを海上封鎖。 <416> 夏 アルキビアデス、アルゴスに内政干渉。 スパルタ派を逮捕する。 アルゴス、プレイウスに侵攻失敗。 コリントス、アテナイと交戦。 アテナイ船隊、メロス島に侵攻。 冬 メロス陥落。 アテナイ人、メロス島民を虐殺。 アテナイ・スパルタ、アルゴスおよびマケドニアに干渉。 アルキビアデス、シケリア遠征を企てる。 <415> 春 エゲスタの援軍要請。 シケリア遠征の準備始まる。 夏 アルキビアデスの石柱像破壊事件、密儀冒涜事件。 6月 シキリア遠征軍出航。 アルゴス、アルカディア、アテナイ同盟諸国の参加軍派遣。 全遠征参加軍、ケルキュラに結集。 アテナイ、アルキビアデスを召還。 アルキビアデス、スパルタに逃亡。 冬 アテナイ軍のシュラクサイ攻撃開始。 スパルタ、シケリア戦線に援軍派遣。 <414> 春 アテナイ勢、シケリア東部で作戦活動。 夏 テスピアイの内乱。 アテナイ軍、シュラクサイの城壁争奪戦に勝利。 シュラクサイを包囲する。 スパルタ軍、アルゴスを攻撃。 アテナイ軍、ペロポネソス沿岸を攻撃。 アルゴス軍、プレイウスを破壊。 ペロポネソス軍(ギュリッポス指揮)、シケリアに到着。 シュラクサイをめぐり、アテナイのニキアスとスパルタのギュリッポス戦う。 ニキアス、アテナイに援軍要請。 12月 アテナイ、第2次シケリア遠征軍先発隊派遣(エウリュメドン指揮)。 冬 コリントス、シュラクサイへ援軍派遣。 <413> 3月 スパルタ軍、アッティカに侵入。 デケレイアに築城。 シュラクサイとアテナイ、大湾内で海戦。 アテナイ勝利。 プレンミュリオン砦陥落。 5月 シュラクサイ、プレンミュリオン奪回。 6月 第2次シケリア遠征隊出発(デモステネス指揮)。 同盟諸国より援軍派遣。 スパルタ軍、デケレイアを拠点にアッティカを略奪破壊。 アテナイ国内の窮乏。 シュラクサイ諸市、反アテナイ戦線結成。 7月 エリオネス海戦。 アテナイ軍、コリントス軍と交戦。 海戦でアテナイ軍、シュラクサイ軍に大敗。 第2次遠征軍、シュラクサイ到着。 エピポライの夜戦でアテナイ軍大敗。 8月 ペロポネソス軍、シュラクサイに到着。 アテナイ勢、退却を決議。 最後の大海戦でアテナイ軍惨敗。 アテナイ軍の敗走。 アテナイ全軍、捕虜となる。 ニキアス、デモステネス処刑。 10月 アテナイに敗戦の悲報伝わる。 <412> 夏 キオス、エリュトライ、クラゾメナイがアテナイから離反。 アテナイ、キオス征討軍を派遣。 テオス、ミレトスがアテナイから離反。 第1回ペルシア・スパルタ同盟条約締結。 スペイライオン海戦でペロポネソス軍の勝利。 レペドス、ハイライがアテナイから離反。 サモス島でアテナイと手を組んだ民衆派が反乱。 レスボス島、アテナイからの離反に失敗。 クラゾメナイ、アテナイに屈服。 アテナイ軍、ミレトスとキオスを攻撃。 アテナイのプリュニコス、ミレトス軍を撃破。 ペロポネソス・シケリア連合船隊、ミレトスに到着。 10月 ペロポネソス軍、イアソスを攻撃。 サモスのアテナイ軍、ミレトスとキオスを攻撃。 クニドス、アテナイから離反。 冬 第2回ペルシア・スパルタ同盟条約締結。 アテナイ軍、キオス包囲作戦開始。 キオス、ペロポネソス軍に援助要請。 シューメー海戦でペロポネソス軍、アテナイ軍を破る。 ロドス島、アテナイから離反。 <411> ペイサンドロス、アテナイに民主制廃止を説得。 アテナイ軍、ロドス島を海上攻撃、キオス島の包囲を強化。 アテナイ、ペルシアとの交渉失敗。 第3回ペルシア・スパルタ同盟条約締結。 2月 ペイサンドロス、サモスで貴族派工作。 アテナイに民主制解体の機運高まる。 アンドロクレス殺害事件。 3月 キオス海戦。 アビュドス、ラムプサコスがアテナイから離反。 アテナイ、ラムプサコスを撃破。 5月 ペイサンドロス、アテナイに帰国。 サモス島に民主制復活。 アルキビアデス、サモス島でアテナイ指揮官に復帰。 ティッサペルネスと交渉。 アテナイに400人評議会設立。 アテナイの貴族派、エエティオネイアに城壁建設。 民衆派が城壁破壊。 プリュニコスの暗殺。 ペロポネソス船隊、エウボイアに到着。 エレトリア海戦でアテナイ船隊、ペロポネソス軍に敗北。 エウボイア離反。 9月 400人評議会解体。 5000人会議に実権移る。 ミレトスのペロポネソス船隊、ヘレスポントスへ移動。 サモスのアテナイ船隊、ヘレスポントスへ移動。 キュノスセマ海戦でアテナイが勝利。 アテナイ、キュジコスを奪回。 ペルシア太守ティッサペルネス、イオニア・ヘレスポントスへ出発。 (以下、クセノポン ギリシア史による) ヘレスポントスの戦い。 スパルタのドリエウス・ミンダウロス、 ペルシアのパルナバゾス・ティッサペルネス、アテナイのアルキビアデス・トラシュロスと戦う。 キュジコス沖海戦でアテナイ軍勝利。 ミンダウロス戦死。 タソスの内乱。 スパルタ人エテオニコスと親スパルタ派の追放。 スパルタ王アギスのアッティカ侵入。 トラシュロスが防御。 スパルタ、クレアルコスをビュザンティオンに派遣。 <410> 5月 アテナイ船隊(トラシュロス指揮)、サモスに遠征。 イオニア諸都市を攻撃。 トラシュロス、エペソスを攻撃。 ティッサペルネスに敗れる。 アテナイ船隊、ヘレスポントスへ回航。 秋 アテナイ軍(アルキビアデス、トラシュロス)、ランプサコスで越冬。 トラキアのヘラクレイアでスパルタ人入植者全滅。 <409> アテナイ船隊(アルキビアデス、トラシュロス)、 カルケドン・ビュザンティオン遠征。 スパルタ・ペルシア連合軍と戦い、スパルタ人ヒッポクラテス戦死。 冬 アテナイ軍、パルナバゾスと交渉。 ペルシア王へ使節団派遣。 アテナイ軍、ビュザンティオンを攻略。 <408> 使節団、ペルシア王子キュロスに会見。 使節団解散。 <407> アルキビアデス、サモス島に寄港。 トラシュロス、アテナイに帰還。 トラシュブロス、トラキアのタソスを制圧。 アルキビアデス、アテナイに帰還。 最高司令官に就任。 アテナイ軍、アンドロスを攻略。 サモス島へ出撃。 リュサンドロス、スパルタの艦隊司令官に就任。 サルデイスでキュロスに伺候。 ノティオン海戦でアテナイ軍敗走。 アルキビアデス逃走。 アテナイ、10将軍を選出。 アテナイのコノン、サモス島に到着。 <406> リュサンドロス解任。 カリクラティダスが後任に就く。 メテュムナ遠征。 レスボス島の戦い。 スパルタ海軍、コノンをミュティレネに包囲。 アルギヌサイ海戦。 スパルタ軍敗走、カリクラティダス戦死。 アテナイ、将軍たちを召還。 アルギヌサイ事件裁判開廷。 6将軍、死刑になる。 リュサンドロス、司令官に復帰。 <405> ペルシア王子キュロス、ペルシア王に召還される。 リュサンドロス、ランプサコスを攻撃。 アイゴス・ポモタイ(ヘレスポントス)の戦いでアテナイ軍敗北。 リュサンドロス、ビュザンティオン・カルケドンに入城。 全ギリシアがアテナイから離反。 ペロポネソス同盟軍(パウサニアス指揮)、アッティカに侵入。 ペロポネソス海軍(リュサンドロス指揮)、アテナイ港湾を封鎖。 アテナイ、テラメネスをスパルタに派遣。 アテナイ、スパルタの和平案を受諾。 アテナイ城壁の破壊開始。 (ペロポネソス戦争終結) <404> 30人政権樹立。 カリビオスがスパルタ守備隊を導入。 恐怖政治始まる。 テラメネスの政権批判。 3000人市民の登録。 市民の武装解除。 クリティアス、テラメネスを処刑。 アテナイから難民が流出。 トラシュブロス、ピュレに侵入し、亡命市民の内乱が始まる。 <403> 30人側、エレウシスに退避。 トラシュブロスの亡命軍とペイライエウスで戦う。 アテナイ市民、30人政権から離反。 10人委員を選出。 トラシュブロス軍、ペイライエウスを占拠し、籠城する。 スパルタ王パウサニアスが介入。 調停を行う。 ペイライエウスの亡命市民が帰還。 30人側はエレウシスに移住。 <401> アテナイに民主政回復。 30人側と和睦。 <400> ペルシア王子キュロスが反乱に失敗。 ペルシア王、ティッサペルネスをイオニアに派遣。 <399> スパルタ人ティブロンがペルシアで挙兵。 デルキュリダス、スパルタ指揮官に就任。 パルナバゾス領のアイオリスに侵攻。 デルキュリダス、パルナバゾスと和睦。 ビテュニアに越冬する。 <398> デルキュリダス、トラキア遠征。 ケロネソスに植民。 <397> デルキュリダス、ティッサペルネス領カリアに進軍。 マイアンドロス河畔で対峙。 両軍、和平を結ぶ。 スパルタ王アギス、エリスに侵入。 キュレネに内乱起こる。 スパルタ、エリスと和平、同盟締結。 アギス王死去、王位をめぐる争いが起こる。 アゲシラオス王即位。 キナドンの陰謀。 <396> アゲシラオス、リュサンドロス、アジアへ遠征。 エペソスに到着。 リュサンドロス、アゲシラオスと不和になり、配置転換。 ペルシア、ティッサペルネスへ援軍派遣。 アゲシラオス、プリュギアへ侵攻。 <395> スパルタ軍、エペソスに駐留。 リュサンドロス解任。 ヘリッピダスが後任に就く。 アゲシラオス、サルデイスに侵攻。 パクトロス川の戦い。 ペルシア軍敗北。 ティッサペルネス斬首。 ペルシア、ティトラウステスを派遣し、アゲシラオスと和平締結。 ペルシア、ティモクラテスをギリシアに派遣。 ティモクラテス、テバイ・コリントス・アルゴス・アテナイを抱き込む。 テバイ軍、ポキスに侵攻。 スパルタ、リュサンドロス・パウサニアスをテバイ攻撃へ派遣。 アテナイ、テバイ援助を決議。 スパルタ軍、ボイオティアに侵入。 ハリアルトスの戦い。 テバイ軍、スパルタを破る。 リュサンドロス戦死。 スパルタ軍、ボイオティアから撤退。 死刑を求刑されたパウサニアスが亡命。 アゲシラオス、パプラゴニアに侵攻。 ヘリッピダス、カウエでパルナバゾスと戦う。 ペルシア軍敗退。 スピトリダテスとパプラゴニア人がスパルタから離反。 アゲシラオス、パルナバゾスと会談する。 <394> アゲシラオス、スパルタに帰還開始。 スパルタ軍、コリントスに侵入。 コリントス戦争始まる。 スパルタ、アテナイ・アルゴス・ボイオティア・コリントス・エウボイア連合軍を破る。 アゲシラオス、テッサリア軍を破る。 クニドス海戦。 スパルタ軍、ペルシア軍に敗れる。 ペイサンドロス戦死。 コロネイアの戦い。 アゲシラオス、連合軍を破る。 アルゴス、コリントスの和平論者を虐殺し、コリントスを支配。 コリントス城下の戦い。 コリントス・アルゴス連合軍、スパルタ軍に大敗。 城壁破壊。 パルナバゾスとアテナイ人コノンの海軍、スパルタ領を攻撃し、キュテラ占領。 <393> コノンのアテナイ帰還。 アテナイの城壁修復始まる。 <391> アゲシラオス、アルゴスを攻撃。 コリントス占領。 ペルシア太守ティリバゾスへスパルタ、同盟軍双方から使節派遣。 コノンの逮捕。 ペルシア王、沿岸地方にストルタス派遣。 スパルタ人ティブロン、小アジアに侵入し、ストルタスに敗れる。 スパルタ人エクディコス、ロドス島に侵入。 テレウティアスと交代する。 スパルタ人ディプリダス、小アジアに侵入。 <390> アゲシラオス、コリントス攻撃。 ペイライオン占領。 レカイオンでスパルタ軍敗北。 アテナイ人トラシュブロス、ヘレスポントスに進出。 トラシュブロス、ビュザンティオン・カルケドンを味方に付ける。 トラシュブロス、レスボス島でスパルタ軍を破る。 <389> アカイアにアカルナニア軍侵入。 アゲシラオス、アカルナニア遠征。 スパルタ王アゲシポリス、アルゴスに出兵。 トラシュブロス、アスペンドスで殺害される。 スパルタ人アナクシビオス、ヘレスポントスに進出。 アテナイ人イピクラテス、ヘレスポントスに進出。 ヘレスポントスにてアテナイ軍、スパルタ軍を破る。 アナクシビオス戦死。 アテナイ、アイギナを封鎖。 スパルタ、アンタルキダスをエペソスに派遣。 <388> ゾステル岬でアテナイ軍(エウノモス)とスパルタ軍(ゴルゴパス)戦う。 アイギナでアテナイ軍(カプリアス)、スパルタを破る。 ゴルゴパス戦死。 スパルタ、テレウティアスをアイギナへ派遣。 スパルタ軍、ペイライエウスを攻撃。 ペルシアとスパルタの同盟成立。 <387> アンタルキダス、ヘレスポントスでアテナイ船隊を拿捕。 ペルシア太守ティリバゾス、ギリシア諸市の使節を召集。 <386> ペルシア王の和約。 コリントス戦争終結。 コリントスとスパルタが同盟。 アルゴスがコリントスから撤退。 ボイオティアのポリスがテバイから独立。 アンタルキダスの影響力増大。 反スパルタ的ポリスの政体変革。 <385> スパルタ王アゲシポリス、マンティネイアに出兵し、城壁を撤去。 <384> プレイウス人亡命者の帰国。 <383> スパルタ、カルキディケに派兵。 オリュントスを牽制。 スパルタ人エウダミダス、ポテイダイアを攻略。 テバイの内訌。 スパルタに支援されたレオンティアデス、イスメニアスを逮捕し、処刑。 <382> スパルタ人テレウティアス、オリュントスに遠征失敗。 テレウティアス戦死。 <381> アゲシポリス、オリュントスへ出兵。 アゲシラオス、プレイウスへ出兵。 <380> アゲシポリス病死。 スパルタ、ポリュピアデスを後任に派遣。 <379> プレイウス降伏。 アゲシラオス帰還。 オリュントス降伏。 スパルタが全ギリシアを支配。 テバイ人亡命者、レオンティアデスを殺害。 スパルタ駐留軍を追放。 テバイに民主政回復。 スパルタ、クレオンブロトスをテバイに派遣。 スポドリアスをテバイ総監とする。 <378> スポドリアスのアッティカ侵入。 アテナイ、テバイ支援に傾く。 スポドリアス告発されるが無罪獲得。 アゲシラオス、テバイに出兵。 ポイピダス、テバイ総監となる。 ポイピダス戦死。 <377> アゲシラオス、テバイに再出兵。 テスピアイを占領。 <376> アゲシラオス罹病。 クレオンブロトス、テバイ攻略に失敗。 スパルタ海軍、アテナイ封鎖に失敗。 ナクソス海戦。 アテナイ軍(カプリアス)、スパルタ軍(ポリス)を破る。 <375> アテナイ人ティモテオス、ペロポネソス沿岸を巡航。 ケルキュラを占領。 スパルタ海軍(ニエロコス)、ティモテオスに敗れる。 <374> テバイ、ボイオティアを征服。 クレオンブロス、ポキスへ派兵。 ペライのイアソン、テッサリアの支配者(タゴス)となる。 アテナイ、スパルタと和平締結。 スパルタ、ムナシッポスをケルキュラに派遣。 <373> アテナイ、クラシレス・イピクラテスをケルキュラに派遣。 <372> ケルキュラ軍、ムナシッポスを破る。 イピクラテス、シュラクサイ船隊を拿捕。 <371> アテナイ、テバイから離反。 スパルタと和平を締結。 レウクトラの戦い。 スパルタ軍とテバイ軍激突。 ペライのイアソン、テバイへ援軍。 スパルタ敗北。 イアソン、帰国後に暗殺される。 ペルシア王の和平案に各ポリス宣誓(エリスのみ拒否)。 マンティネイア、城壁を再建。 <370> ポリュウロン、テッサリアのタゴスに就任。 テゲアの内訌。 プロクセノスとカリビオス派、スタシッポス派を処刑。 スタシッポス派、スパルタに亡命。 アゲシラオス、マンティネイアに侵攻。 マンティネイア、オルコメノス侵攻に失敗。 アルカディア軍、マンティネイア軍と合流。 スパルタ軍、マンティネイアから撤退。 アルカディア軍、ヘライアを攻撃。 テバイ軍、マンティネイア軍に合流。 マンティネイア・アルカディア・テバイ連合軍、ラコニアに侵入。 オイオンでスパルタ軍、アルカディア軍に大敗。 アテナイ軍(イピクラテス)、スパルタを救援。 <369> アテナイ・スパルタ同盟成立。 テバイのエパメイノンダス、コリントスに侵入。 スパルタ軍、テバイ軍に敗退。 プレイウス軍、テバイ軍を撃退。 シュラクサイからの第1次援軍到着。 休戦成立。 アルカディア人がテバイ・エリスから離反。 <368> ペルシア人ピリスコスの和平協議失敗。 シュラクサイからの第2次援軍到着。 アルカディアに侵入。 アルカディア同盟結成。 エウトレシスでスパルタ・シュラクサイ軍、アルカディア・アルゴス軍を破る。 <367> テバイ、ペルシアへ使節派遣。 ペルシア王の提言を各ポリス拒絶。 アカイア、テバイから離反。 シキュオンでエウプロンが独裁者となる。 <366> テバイ・ペレネ軍、プレイウス軍に撃退される。 エウプロン、シキュオンから追放。 テバイで暗殺される。 アテナイ、オロボスへ進軍。 アテナイ、アルカディアと同盟。 アテナイ軍、コリントスから撤収。 コリントスでティモパネス独裁。 テバイと和平を結ぶ。 シュラクサイの第3次援軍到着。 <365> エリス軍、ラシオンを占領。 アルカディア軍に敗れる。 アルカディア軍、エリスに侵入。 スパルタ軍、アルカディアに侵入し、クロムノスを占領。 アルカディア軍とスパルタ軍激突。 和平成立。 エリス軍、ピュロスを占領。 <364> エリス軍、オリュンピア侵攻。 アルカディア軍を破る。 <363> アルカディア人、ゼウス神殿の神聖財宝を流用。 マンティネイア人抗議する。 アルカディア人とエリス人和睦。 ゼウス神殿をエリスに返還。 テゲアにてアルカディア人貴族派を逮捕。 マンティネイアの抗議により釈放。 <362> テバイ同盟軍、アルカディアへ進軍。 アルカディア軍、アテナイ・スパルタへ救援要請。 テバイ軍、ラコニアに侵入。 スパルタ軍に敗れる。 マンティネイアの戦い。 テバイ同盟軍とペロポネソス・アテナイ連合軍激突。 エパメイノンダス戦死。 休戦成立。 Posted in Post navigation.

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「ポソ宗教戦争」に関連した英語例文の一覧と使い方

ポ ソ 戦争

デロス同盟とペロポネソス同盟 (前500~前449年)の最終段階、でアテネ海軍の活躍でギリシアのポリス連合軍は勝利を占めた。 海軍力を新調させたは、ペルシアの再襲来に備えて、エーゲ海域の諸ポリスと攻守同盟であるを結成し、その盟主として全ギリシアから東地中海一帯の海上までその支配を拡大し、に将軍職となったのもとで全盛期を迎えていた。 それに対して、すでにはペロポネソス半島の諸ポリスとの間にを結成していたが、アテネの勢力拡大にさらに強い警戒感をもつようになった。 こうしてギリシアはアテネを中心としたデロス同盟諸国と、スパルタを盟主とするペロポネソス同盟の対立というあらたな段階に入り、両陣営はに戦争に突入、27年間にわたって続いた戦争はに講和して終わった。 両軍の戦いは、ギリシア本土とエーゲ海全域にわたり、さらにエーゲ海上から遠く西地中海の島まで及んでいる。 古代地中海世界の世界戦争と捉えることができる。 アテネとスパルタはギリシアの覇権を争う二大ポリスであったが、アテネが典型的な民主政を発展させたポリスであったのに対し、それに対してスパルタは貴族政(寡頭政)のもとで、貴族の中から王を選び、少数の貴族階級が多くの半自由民(ペリオイコイ)と奴隷(ヘイロータイ)を抑えるために軍国主義を採っているというように、国家体制に大きな違いがあった。 アテネとスパルタの戦い 戦争の要因 トゥキディデスの『戦史』の伝えるところでは、前435年ギリシア本土西北岸のギリシア人植民都市エピダムノスで起こった党争にからんで、コルキュラとコリントが対立、アテネがコルキュラを支援したのでコリントはペロポネソス同盟の同盟国であるスパルタに支援を要請したことから始まったという。 しかし、開戦の要因は、勢力の伸張の著しいアテネに対して、スパルタが強い脅威を感じたことにあった。 開戦 前431年、スパルタ王アルキダモスの率いるペロポネソス同盟軍がアテネの本拠アッティカ地方に侵入して長い戦争が始まった。 守勢に立ったアテネでは周辺の住民もアテネ市内に籠城し、は海軍力で反撃しようとする。 開戦1年目、ペリクレスはこの戦いをポリス民主政を守る重大な戦いだと市民に訴える大演説を行った。 しかしその年、アテネは想定外の疫病が蔓延、翌429年までに人口の3分の1が失われてしまう。 ペリクレスは将軍職を罷免され、二人の息子も疫病で亡くし、自らも倒れてしまう。 ニキアスの平和 ペリクレス死後、アテネは主として戦利品の分け前を欲求する下層民に支持された主戦派と、戦費負担の重さに苦しむ富裕市民を中心とした和平派が対立したが、主戦派のクレオンなどの主戦派が主導権を握り、前425年にはスパルタの近くのピュロスに上陸してスパルタに迫った。 あわてたスパルタが講和を申し込んだがクレオンはそれを拒否、和平の機会は失われた。 逆襲したスパルタはアテネの要衝トラキア西部に進出し、主戦派のクレオンが戦死したためようやく講和となり、前421年に和平派のニキアスの主導により「ニキアスの平和」が実現した。 アテネのシチリア遠征失敗 しかし、アテネでふたたび主戦論が台頭し平和は約8年しか続かなかった。 アテネで登場した主戦派はアルキビアデスという弁舌の達者な野心家であった。 そのころ島で同盟国セゲスタがアテネに援軍を要請してきた。 アルキビアデスはこれにこたえてシチリアに出兵しようと主張し、ニキアスは反対したが、遠征熱に駆られた市民がアルキビアデスを支持し、艦隊派遣が決定された。 前415年、重装歩兵を載せた艦隊130余隻の大艦隊がシチリアに向かったが、アテネでは不吉な出来事が続いて不安がつのり、アルキビアデスを召喚することになる。 召喚命令を受けたアルキビアデスはこともあろうに敵国スパルタに亡命する。 前413年、代わってアテネ海軍はニキアスが指揮官となってスパルタとシチリアのの連合軍と戦ったが、上陸した部隊は捕虜となって石切場に閉じこめられ、全員が餓死し、ニキアスも戦死してしまった。 スパルタ=ペルシア同盟の成立 さらにスパルタはアルキビアデスの入れ知恵でアッティカ北部を占領し、冬期も撤退せずアテネを脅かした。 シチリアでのアテネの敗北を知ったイオニアのデロス同盟諸国が離脱すると、スパルタはイオニア諸国へのの保護権を認める代わりにその資金援助を受けるというスパルタ=ペルシア同盟を結んだ。 その資金でスパルタは海軍を増強、次第に制海権を握ってアテネの穀物輸送路を抑えたため、前404年にアテネは全面降伏した。 <伊藤貞夫『古代ギリシアの歴史』2004 講談社学術文庫版 などによる> トゥキディデスの『戦史』 ペロポネソス戦争の歴史については、アテネの市民の『』に詳細に記録されている。 トゥキディデスは富裕なアテネの市民であり、また一時は将軍として出征したが、作戦に失敗して追放され、所有するトラキアの鉱山に隠棲して戦争の推移を見守り、叙述を続けた。 その特徴は、後半に史料を集めながら、厳しい史料批判を行い、客観的な事実を究明しながら、この未曾有の戦争の原因と経過を論述しようとしている点である。 ペリクレスの演説、アテネの疫病の流行、アテネ海軍のシチリア遠征失敗などが詳細に述べられており、第一等の史料となっている。 久保正彰氏訳の岩波文庫三冊でその全貌を読むことができる。 <トゥキディデス『戦史』上・中・下 久保正彰訳 岩波文庫> なお、ペロポネソス戦争の最中、アテネのシラクサ遠征が失敗に終わった後の前411年に上演された喜劇がの『女の平和』である。 その中で、アテネを無残な敗北に導いた政治指導者を批判している。 ペロポネソス戦争の影響とその後のギリシア この戦争でポリス社会がすぐに崩壊したわけではなく、スパルタや、など有力ポリスがその後も交替し、戦争勃発からほぼ1世紀後の前338年のでマケドニア軍によってギリシアがほぼ制圧されるまで続く。 しかし、この27年にわたる戦争によってギリシアのポリス社会は大きく変質し、その全盛期が終わって衰退期に入る契機となったことも確かである。 特にアテネを中心とした主な情勢は次のようなことが挙げられる。 ・戦争の長期化によって市民が没落し、ポリス民主政の基盤がくずれていった。 ・そのため戦争の主体も市民による重装歩兵から、に移行していった。 ・アテネでは一時は寡頭体制がとられ、民主政は復活したがが多くなった。 ・アテネの海上帝国は崩壊し、デロス同盟も解体、ポリス世界の覇権はスパルタに移った。 ・スパルタはペルシア帝国と同盟したため、ペルシアのギリシア干渉が再び強まった。 は戦争にそなえてアテネ人をアテネに移住させていたので市内の人口は過密になっており、真夏の炎天下、疫病が蔓延し、神殿と言わず、路上と言わず死体がころがっているという状態となった。 ペリクレス自身も二人の子供をペストでなくし、ついに自らも一年後に死んだ。 もっともこの「アテネのペスト」とは、「悪疫」の意味で、いわゆるペストではなく、天然痘であるという説明もある。 ) <村上陽一郎『ペスト大流行』1983 p. 12 岩波新書>.

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ペロポネソス戦争をわかりやすく解説

ポ ソ 戦争

デロス同盟とペロポネソス同盟 (前500~前449年)の最終段階、でアテネ海軍の活躍でギリシアのポリス連合軍は勝利を占めた。 海軍力を新調させたは、ペルシアの再襲来に備えて、エーゲ海域の諸ポリスと攻守同盟であるを結成し、その盟主として全ギリシアから東地中海一帯の海上までその支配を拡大し、に将軍職となったのもとで全盛期を迎えていた。 それに対して、すでにはペロポネソス半島の諸ポリスとの間にを結成していたが、アテネの勢力拡大にさらに強い警戒感をもつようになった。 こうしてギリシアはアテネを中心としたデロス同盟諸国と、スパルタを盟主とするペロポネソス同盟の対立というあらたな段階に入り、両陣営はに戦争に突入、27年間にわたって続いた戦争はに講和して終わった。 両軍の戦いは、ギリシア本土とエーゲ海全域にわたり、さらにエーゲ海上から遠く西地中海の島まで及んでいる。 古代地中海世界の世界戦争と捉えることができる。 アテネとスパルタはギリシアの覇権を争う二大ポリスであったが、アテネが典型的な民主政を発展させたポリスであったのに対し、それに対してスパルタは貴族政(寡頭政)のもとで、貴族の中から王を選び、少数の貴族階級が多くの半自由民(ペリオイコイ)と奴隷(ヘイロータイ)を抑えるために軍国主義を採っているというように、国家体制に大きな違いがあった。 アテネとスパルタの戦い 戦争の要因 トゥキディデスの『戦史』の伝えるところでは、前435年ギリシア本土西北岸のギリシア人植民都市エピダムノスで起こった党争にからんで、コルキュラとコリントが対立、アテネがコルキュラを支援したのでコリントはペロポネソス同盟の同盟国であるスパルタに支援を要請したことから始まったという。 しかし、開戦の要因は、勢力の伸張の著しいアテネに対して、スパルタが強い脅威を感じたことにあった。 開戦 前431年、スパルタ王アルキダモスの率いるペロポネソス同盟軍がアテネの本拠アッティカ地方に侵入して長い戦争が始まった。 守勢に立ったアテネでは周辺の住民もアテネ市内に籠城し、は海軍力で反撃しようとする。 開戦1年目、ペリクレスはこの戦いをポリス民主政を守る重大な戦いだと市民に訴える大演説を行った。 しかしその年、アテネは想定外の疫病が蔓延、翌429年までに人口の3分の1が失われてしまう。 ペリクレスは将軍職を罷免され、二人の息子も疫病で亡くし、自らも倒れてしまう。 ニキアスの平和 ペリクレス死後、アテネは主として戦利品の分け前を欲求する下層民に支持された主戦派と、戦費負担の重さに苦しむ富裕市民を中心とした和平派が対立したが、主戦派のクレオンなどの主戦派が主導権を握り、前425年にはスパルタの近くのピュロスに上陸してスパルタに迫った。 あわてたスパルタが講和を申し込んだがクレオンはそれを拒否、和平の機会は失われた。 逆襲したスパルタはアテネの要衝トラキア西部に進出し、主戦派のクレオンが戦死したためようやく講和となり、前421年に和平派のニキアスの主導により「ニキアスの平和」が実現した。 アテネのシチリア遠征失敗 しかし、アテネでふたたび主戦論が台頭し平和は約8年しか続かなかった。 アテネで登場した主戦派はアルキビアデスという弁舌の達者な野心家であった。 そのころ島で同盟国セゲスタがアテネに援軍を要請してきた。 アルキビアデスはこれにこたえてシチリアに出兵しようと主張し、ニキアスは反対したが、遠征熱に駆られた市民がアルキビアデスを支持し、艦隊派遣が決定された。 前415年、重装歩兵を載せた艦隊130余隻の大艦隊がシチリアに向かったが、アテネでは不吉な出来事が続いて不安がつのり、アルキビアデスを召喚することになる。 召喚命令を受けたアルキビアデスはこともあろうに敵国スパルタに亡命する。 前413年、代わってアテネ海軍はニキアスが指揮官となってスパルタとシチリアのの連合軍と戦ったが、上陸した部隊は捕虜となって石切場に閉じこめられ、全員が餓死し、ニキアスも戦死してしまった。 スパルタ=ペルシア同盟の成立 さらにスパルタはアルキビアデスの入れ知恵でアッティカ北部を占領し、冬期も撤退せずアテネを脅かした。 シチリアでのアテネの敗北を知ったイオニアのデロス同盟諸国が離脱すると、スパルタはイオニア諸国へのの保護権を認める代わりにその資金援助を受けるというスパルタ=ペルシア同盟を結んだ。 その資金でスパルタは海軍を増強、次第に制海権を握ってアテネの穀物輸送路を抑えたため、前404年にアテネは全面降伏した。 <伊藤貞夫『古代ギリシアの歴史』2004 講談社学術文庫版 などによる> トゥキディデスの『戦史』 ペロポネソス戦争の歴史については、アテネの市民の『』に詳細に記録されている。 トゥキディデスは富裕なアテネの市民であり、また一時は将軍として出征したが、作戦に失敗して追放され、所有するトラキアの鉱山に隠棲して戦争の推移を見守り、叙述を続けた。 その特徴は、後半に史料を集めながら、厳しい史料批判を行い、客観的な事実を究明しながら、この未曾有の戦争の原因と経過を論述しようとしている点である。 ペリクレスの演説、アテネの疫病の流行、アテネ海軍のシチリア遠征失敗などが詳細に述べられており、第一等の史料となっている。 久保正彰氏訳の岩波文庫三冊でその全貌を読むことができる。 <トゥキディデス『戦史』上・中・下 久保正彰訳 岩波文庫> なお、ペロポネソス戦争の最中、アテネのシラクサ遠征が失敗に終わった後の前411年に上演された喜劇がの『女の平和』である。 その中で、アテネを無残な敗北に導いた政治指導者を批判している。 ペロポネソス戦争の影響とその後のギリシア この戦争でポリス社会がすぐに崩壊したわけではなく、スパルタや、など有力ポリスがその後も交替し、戦争勃発からほぼ1世紀後の前338年のでマケドニア軍によってギリシアがほぼ制圧されるまで続く。 しかし、この27年にわたる戦争によってギリシアのポリス社会は大きく変質し、その全盛期が終わって衰退期に入る契機となったことも確かである。 特にアテネを中心とした主な情勢は次のようなことが挙げられる。 ・戦争の長期化によって市民が没落し、ポリス民主政の基盤がくずれていった。 ・そのため戦争の主体も市民による重装歩兵から、に移行していった。 ・アテネでは一時は寡頭体制がとられ、民主政は復活したがが多くなった。 ・アテネの海上帝国は崩壊し、デロス同盟も解体、ポリス世界の覇権はスパルタに移った。 ・スパルタはペルシア帝国と同盟したため、ペルシアのギリシア干渉が再び強まった。 は戦争にそなえてアテネ人をアテネに移住させていたので市内の人口は過密になっており、真夏の炎天下、疫病が蔓延し、神殿と言わず、路上と言わず死体がころがっているという状態となった。 ペリクレス自身も二人の子供をペストでなくし、ついに自らも一年後に死んだ。 もっともこの「アテネのペスト」とは、「悪疫」の意味で、いわゆるペストではなく、天然痘であるという説明もある。 ) <村上陽一郎『ペスト大流行』1983 p. 12 岩波新書>.

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