スピリチュアル 英語。 アインシュタインのスピリチュアルな名言 英語と日本語で | 日々是好日

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スピリチュアル 英語

多少古くなりますが、映画「 ラスト・サムライ」には、「 spiritual」( スピリチュアル)という言葉の意味がとても良く表れているせりふが登場します。 (以下の記述では物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされていますのでご注意ください。 ) トム・クルーズが扮する主人公のネイサン・オールグレン大尉は、語学が堪能で、アメリカ先住民の文化をよく知っていました。 ところが、北軍の士官として戦争の渦中に、 先住民の女性や子供の虐殺に加わることになり、心の傷からウイスキーびたりの生活をつづけていました。 一方、日本は明治維新の数年後であり、政府は近代的な軍備の増強を進めていました。 南北戦争の英雄であったオールグレンは、大金で政府軍の訓練のために雇われることになります。 訓練が始まったばかりの頃に、国の近代化をさまたげる悪者として扱われていた士族一派の領袖である勝元(役者:渡辺謙)が鉄道を襲ったという知らせが入ります。 オールグレンは、にわか作りの軍隊ではまだ実戦は無理だと主張しますが、近代的な銃装備を過信する大臣大村に強いられ出陣し、馬と鎧刀と弓だけの勝元軍にあっさりと破れ、オールグレンは捕虜になり、士族たちの住む村に連れ去られます。 そして、勝元の妹のたか(役者:小雪)に世話をされ、勝元の英語の話し相手となりながら、 山あいの美しい村で、武士や他の村人たちの生き方を目撃します。 村人たちは誰もが、里山の自然に溶け込むように生き、規則正しい生活を送り、自分に厳しく、 静かな笑顔をたたえながら、常に控えめであり、礼儀正しさを崩すことがありません。 畑を耕す者も、刀を鍛える者も、朝目覚めたときから、一心に自分の務めにはげみます。 アルコール中毒から立ち直り、徐々に周囲に心を開いたオールグレンは、武士たちと木刀での稽古を積みながら、それが単なる戦いの技術ではなく、 心を磨き鍛える道であることを実地に学びます。 オールグレンは、メモにこう書き記します。 (映画中ナレーション) 「1877年春。 17歳の時に農場を出て以来、こんなに長くひとところに留まったことはない。 この村には私に理解できない多くのことがある。 私は、教会に通うような人間であったことは一度もない。 そして、戦場で見たことによって、神の意志などというものを疑うようになった。 」 「 だが、ここではスピリチュアルなものを感じる。 」( But there is indeed something spiritual in this place. ) 「このことが、はっきりと理解できる日は永遠にこないだろうが、しかしその力を感じる。 はっきりと分かっていることがある。 この地でこそ、数年ぶりに初めて、私はぐっすりと眠れた。 」 「spiritual」という単語の本来の意味 「伊勢神宮に行ったことがありますか。 」(Have you ever been to Ise-Jingu? ) 「ええ、とても 厳粛な気持ちになりました。 」(Yes, I have. I found it be very spiritual experience. ) 伊勢神宮を訪れたときの気持ち(雰囲気)が英語では「 spritual」と表現され、日本語では「 厳粛な」と訳されていました。 日本人の私たちには「spiritual」が表現する雰囲気が、この例で良く理解できるのではないでしょうか。 英和辞典によれば、「spiritual」(スピリチュアル)という語は、 「精神の」、「霊魂の」、「宗教上の」、「霊的な」などと日本語に訳さ れるようです。 しかし、どうも真意を尽くすことは難しいようです。 もし、長々とした訳語をあてることが許されるなら、「spiritual」(スピリチュ アル)という語は 「 人の心のもっとも深奥にある、善良さ美しさと素朴さと、そこにあるパワーについての」というような意味合いであると考えてほぼ間違いはないでしょう。 ひとつには、 「spiritualism」(スピリチュアリズム)という言葉との混同が考えられます。 これは19世紀中頃にフランス人のアラン・カルデック(本名イポリット・レオン・ドゥニザール・リヴァイユ、1804~1869年)が広めた 降霊術のことを指します。 「spiritual」という英語の典型的な美しい意味には、この降霊術のことは含まれていません。 そして、もうひとつ、 「psychic」(サイキック)という言葉との混同があります。 この語の語源はギリシャ語の「サイキ」であり、元々は魂のことを意味していました。 辞書によれば、「psychic」には、「精神の」、「心的な」、「心霊の」などの訳語があてられるので、 「spiritual」(スピリチュアル)と混同しやすい語です。 この「psychic」(サイキック)という言葉が典型的に使われるのは、 現在では、いわゆる 超心理学の分野です。 つまり、クリヤボイエンス(千里眼と透視)、プレモニッション(予知)、テレパシー(思考伝達)、 サイコキネシス(念動)などの 超常能力に関連する事柄を指しています。 このような能力が人間にほんとうにあるかどうかを、ここで議論しようとは思いませんが、 「spiritual」(スピリチュアル)という英語がその意味に含んでいる「人の心のもっとも深奥にある、善良さ美しさと素朴さ」というニュアンスと、「psychic」(サイキック)という言葉の意味は、 かなり離れたものであることはご理解いただけることと思います。 以上の解説が、 スピリチュアル、 スピリチュアリティという事柄への、あなたの理解のご参考になれば幸いです。

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多少古くなりますが、映画「 ラスト・サムライ」には、「 spiritual」( スピリチュアル)という言葉の意味がとても良く表れているせりふが登場します。 (以下の記述では物語・作品・登場人物に関する核心部分が明かされていますのでご注意ください。 ) トム・クルーズが扮する主人公のネイサン・オールグレン大尉は、語学が堪能で、アメリカ先住民の文化をよく知っていました。 ところが、北軍の士官として戦争の渦中に、 先住民の女性や子供の虐殺に加わることになり、心の傷からウイスキーびたりの生活をつづけていました。 一方、日本は明治維新の数年後であり、政府は近代的な軍備の増強を進めていました。 南北戦争の英雄であったオールグレンは、大金で政府軍の訓練のために雇われることになります。 訓練が始まったばかりの頃に、国の近代化をさまたげる悪者として扱われていた士族一派の領袖である勝元(役者:渡辺謙)が鉄道を襲ったという知らせが入ります。 オールグレンは、にわか作りの軍隊ではまだ実戦は無理だと主張しますが、近代的な銃装備を過信する大臣大村に強いられ出陣し、馬と鎧刀と弓だけの勝元軍にあっさりと破れ、オールグレンは捕虜になり、士族たちの住む村に連れ去られます。 そして、勝元の妹のたか(役者:小雪)に世話をされ、勝元の英語の話し相手となりながら、 山あいの美しい村で、武士や他の村人たちの生き方を目撃します。 村人たちは誰もが、里山の自然に溶け込むように生き、規則正しい生活を送り、自分に厳しく、 静かな笑顔をたたえながら、常に控えめであり、礼儀正しさを崩すことがありません。 畑を耕す者も、刀を鍛える者も、朝目覚めたときから、一心に自分の務めにはげみます。 アルコール中毒から立ち直り、徐々に周囲に心を開いたオールグレンは、武士たちと木刀での稽古を積みながら、それが単なる戦いの技術ではなく、 心を磨き鍛える道であることを実地に学びます。 オールグレンは、メモにこう書き記します。 (映画中ナレーション) 「1877年春。 17歳の時に農場を出て以来、こんなに長くひとところに留まったことはない。 この村には私に理解できない多くのことがある。 私は、教会に通うような人間であったことは一度もない。 そして、戦場で見たことによって、神の意志などというものを疑うようになった。 」 「 だが、ここではスピリチュアルなものを感じる。 」( But there is indeed something spiritual in this place. ) 「このことが、はっきりと理解できる日は永遠にこないだろうが、しかしその力を感じる。 はっきりと分かっていることがある。 この地でこそ、数年ぶりに初めて、私はぐっすりと眠れた。 」 「spiritual」という単語の本来の意味 「伊勢神宮に行ったことがありますか。 」(Have you ever been to Ise-Jingu? ) 「ええ、とても 厳粛な気持ちになりました。 」(Yes, I have. I found it be very spiritual experience. ) 伊勢神宮を訪れたときの気持ち(雰囲気)が英語では「 spritual」と表現され、日本語では「 厳粛な」と訳されていました。 日本人の私たちには「spiritual」が表現する雰囲気が、この例で良く理解できるのではないでしょうか。 英和辞典によれば、「spiritual」(スピリチュアル)という語は、 「精神の」、「霊魂の」、「宗教上の」、「霊的な」などと日本語に訳さ れるようです。 しかし、どうも真意を尽くすことは難しいようです。 もし、長々とした訳語をあてることが許されるなら、「spiritual」(スピリチュ アル)という語は 「 人の心のもっとも深奥にある、善良さ美しさと素朴さと、そこにあるパワーについての」というような意味合いであると考えてほぼ間違いはないでしょう。 ひとつには、 「spiritualism」(スピリチュアリズム)という言葉との混同が考えられます。 これは19世紀中頃にフランス人のアラン・カルデック(本名イポリット・レオン・ドゥニザール・リヴァイユ、1804~1869年)が広めた 降霊術のことを指します。 「spiritual」という英語の典型的な美しい意味には、この降霊術のことは含まれていません。 そして、もうひとつ、 「psychic」(サイキック)という言葉との混同があります。 この語の語源はギリシャ語の「サイキ」であり、元々は魂のことを意味していました。 辞書によれば、「psychic」には、「精神の」、「心的な」、「心霊の」などの訳語があてられるので、 「spiritual」(スピリチュアル)と混同しやすい語です。 この「psychic」(サイキック)という言葉が典型的に使われるのは、 現在では、いわゆる 超心理学の分野です。 つまり、クリヤボイエンス(千里眼と透視)、プレモニッション(予知)、テレパシー(思考伝達)、 サイコキネシス(念動)などの 超常能力に関連する事柄を指しています。 このような能力が人間にほんとうにあるかどうかを、ここで議論しようとは思いませんが、 「spiritual」(スピリチュアル)という英語がその意味に含んでいる「人の心のもっとも深奥にある、善良さ美しさと素朴さ」というニュアンスと、「psychic」(サイキック)という言葉の意味は、 かなり離れたものであることはご理解いただけることと思います。 以上の解説が、 スピリチュアル、 スピリチュアリティという事柄への、あなたの理解のご参考になれば幸いです。

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いくつもあるスピリチュアルの意味 スピリチュアルって多義的な言葉で、 独特な受け取り方をされています。 例えばこんな意味で使われています。 オカルト• 霊、霊的体験、お化け• 不思議な現象• 占いの一種 「オカルト」というのは非難の言葉です。 詐欺、まやかし、霊感商法のようなものです。 こういう怪しいものを指して、 「スピリチュアル」と言う人もいます。 「霊」というと、突然怖い感じ になりますよね。 憑依されるとか、お化けを見るとか、 心霊写真とか、そっち系の関心です。 オカルトの一部と見なされることもあります。 子どものころは、よくこういう番組があったな~ それとはちょっと別に、 実際に体験された方の 見方もあります。 電気製品が立て続けに壊れるとか、 理由もないのに時計が一斉に止まるとか、 呼び出し音のない電話の着信があるとか 何かの気配を感じるとか、論理では説明しにくい 不思議な現象を指してスピリチュアルと 思う人もいるでしょう。 また、スピリチュアルを 宗教と同一視する 人もいます。 「スピリチュアルって、神様がいてそれを 信仰するんでしょ?」 と思っている人もいます。 もっとカジュアルに、 占いの一種、 お告げみたいなものだと思う人もいます。 自分の人生の行き先を教えてくれるもの という受け取り方です。 あなたもこんな意味で、 「スピリチュアル」という言葉を 使っているのでは? スピリチュアルを英語で考えると? こんなさまざまな意味で使われる「スピリチュアル」。 いろいろなイメージがありますが、英語の辞書を調べてみると、スピリチュアル(spiritual)とは、 「スピリットに関連する」 とか 「スピリットによって成り立つ」とあります。 つまり、 【 スピリット】 spirit に関連することがスピリチュアルだというのです。 スピリット? これも聞いたことがあると思いますが、イメージがまたさまざまです。 お酒が好きな人だったら 「スピリット? 強い酒のこと?」 と思うかもしれません。 では「スピリット」も英語の辞書を調べてみると 「生体に命を与える原理」 (an animating or vital principle held to give life to physical organisms) が挙がっています。 つまり、有機物だけでは命はないけれど、有機物に命を与える原理がほかにある。 それが「スピリット」だという考え方です。 こんなふうにとらえるといいかもしれません。 あなたを1cmのサイコロ状に切り刻むとします。 想像するとちょっとイヤですかね? まあ比喩なので付き合ってください。 元はあなただったたくさんのサイコロ状の肉塊。 これを正確に積み上げて、最新の美容技術でつなぎ目をわからないようにしたら、 見かけは元のあなたと同じになります。 さて、これは元のあなたと同じように生きていると思いますか? きっと全員がNOと答えるんじゃないでしょうか? そこには生命の営みがないし、きっと身体が動かないと思いますよね。 つまりそこに肉体はあるけれど、命はない。 肉体だけでは動かない。 身体が動くためには、何か他の原理が必要だ。 その動かす原理がスピリットだ、というのです。 肉体にスピリットという命、生命力が流れ込んでいるから、僕たちは生きている。 その意味では、 スピリットは僕たちの「本質」です。 実際、英語の辞書にはスピリットの2番目の意味として 「超自然的存在、本質」 とあります。 ですから、スピリットは、僕たちを生かす力であり、僕たちの本質です。 この意味では 誰にもスピリットが流れ込んでいるし、誰もがスピリチュアルだといえるのです。 スピリチュアルに興味があったり、信じたり?するからスピリチュアルなのではありません。 全員がスピリチュアルなのです。 でなければ、その人は死んでいます。 ちなみに、スピリットの語源はラテン語のspiritusで文字どおり 「息」のことです。 つまり、英語の語感では「息が人を生かす」ということになります。 これ、実は日本語の感覚とも同じです。 日本語は同じ音は同じ意味なので、息=生きなのですが、 「息をすることが生きること」 というのは洋の東西を問わず共通していて、呼吸はスピリチュアルの実践でも古来より重視されています。 おもしろいですね。 スピリチュアルとは本質とともにあること スピリチュアルという言葉は、「オカルト」「霊、霊的体験、お化け」「不思議な現象」「宗教」「占いの一種」などの意味で使われることがありますが、本当の意味はそういうことではありません。 僕たちの本質であるスピリット。 そのスピリットに関することがスピリチュアルなのです。 にしきが「スピリチュアル」という言葉で意味しているのはまさにそれ。 つまり「スピリチュアル」とにしきが言うとき、 【自分の本質を知り、本質とともにあること】 ということを意味しています。 聖人の名前を知っていることも、 オーラの色が見えることも関係ないのです。 自分の「本質」が、単なる肉体ではなく、 永遠のスピリットであること。 「スピリット」が、僕たちの本質なのです。 「スピリット」とは 「命そのもの」であり、 生きるエネルギーのことです。 僕たちが肉体を持って生きているのも、 「スピリット」という生命エネルギーが 僕たちの肉体に流れ込んでいるからです。 僕たちは肉体だけじゃない。 肉体はないけれど、別の自分もいる。 それが「スピリット」。 こういうことに気づいているのが スピリチュアルであることです。 そして、机上の知識ではなく、 実際に肉体を持った自分が スピリットとともにあることです 愛、喜び、感謝、悟りといった 高い波動を持ち、 スピリットからの働きかけを受け取る。 「自分の意思=スピリットの意思」だと知り 自分を尊重する。 自分=スピリットという聖なる存在 であることを知り、自分を愛する。 そして、スピリットとともにあるとき 宝箱が勝手にあいて、 そのなかから出てくるギフト・出来事を 喜び、楽しむ。 ホント簡単に言っちゃうと、 スピリチュアルとはこういうことを、 にしきは指しています。 波動とか、願望とか、そういう話もしますが それは入り口、あなたがスピリットに 気づくためのきっかけにすぎません。 もちろん、にしきは波動がどうのだかとか、 願望がどうのだとか 思ったりしません。 それよりは、自分の本質である スピリットとともあるようにしています。 いえ、別の霊的なものと交信する わけではありません。 本質ですから、 いつも自分とともにあるのです。 にしきのスピリットだったら、知的であるとか、 明るく朗らかであるとか 勇気があるとか、美や食に優れるとか、 諦めないとか いろいろあります。 そういう自分を祝福し 自分であろうとします。 そういう 自分の本質から ずれないようにしています。 この意味では、スピリチュアルに 興味がない人でも 自分には何か大きな存在があり、 自分を大事に、自分を尊重している人は 大いにスピリチュアルだといえます。 また、スピリチュアルに興味があって いろいろ学んでいても、 自分の本質に気づかず 自分を尊重していない人は 本当の意味でスピリチュアルであるとはいえません。 (まあ、生きている人はみんな スピリチュアルなのですが) にしきにとってスピリチュアルとは、 自分の本質とともあることです。 そして、 スピリチュアルな自分として 三次元世界を豊かにするための行動する。 スピリチュアルは「精神世界」というような 閉ざされた世界に 閉じこもるのではありません。 肉体と心と精神(スピリット)の統一体として もう一度、三次元世界に愛で かかわっていくのです。 スピリチュアルと宗教の違いは? ところで、スピリチュアルと混同されがちな「宗教」とはどう違うのでしょう? スピリットは生命力であり、自分を超えた偉大な力であり、よきものです。 スピリチュアルはその素晴らしき力が生命力として内側に流れていると見ます。 つまり、 スピリチュアルでは自分の 「内側」に聖なるもの、偉大な力、「神」があると考えます。 そして、その偉大な力に自分で直接触れることができ、まさしくその偉大な力が自分だととらえます。 これに対して 宗教では、聖なるもの、偉大な力、「神」は僕たちの 「外側」にあって、直接触れることができないものだと考えます。 そのため、教会などの組織が必要とされ、場合によると神を拝む必要があるとされます。 聖なるものが内側にあるのか、外側にあるのか、その捉え方の違いが、スピリチュアルと宗教の相違点になっています。 どうやったらスピリチュアルになれる? さて、どうすればこういう意味での スピリットを知り、 スピリチュアルになれるのでしょうか。 正直言うと、「こうすれば、こうなる」 という公式はないのではないかと思います。 もし、お伝えできることがあるとすれば 「目の前のことに、楽しみながら一生懸命に なること」 じゃないですかね。 遠くを見ないことです。 必要なことはすべて目の前にあります。 それに取り組むだけです。 逃げずに、自分なりにやり遂げる。 「やりきったな」という感覚を 持つことです。 やるべきことをしないのに 「誰かが助けてくれる」と思っていたら 自分の本質には触れられません。 引き寄せの法則が何かを 引っ張ってくれるわけじゃありません。 自分でしっかりやるんです。 あとは 「意識的に生きること」。 なんとなく流されるのではなく、 今日は何をして、どんな日にするか 意識することです。 自分が何を感じているかにも意識的。 この姿勢を持っていたら、 ベストのタイミングで自分の本質であり スピリットがわかってくると思います。 そして、人生が思わぬ方向に 加速的に展開する。 それがミラクルなんですよね。 こんな意味での スピリチュアル、スピリットが、実は引き寄せの法則の本質です。 ただ、何かを引っ張ってくる自己啓発的なノウハウではないのです。 スピリットが創造力なので、スピリチュアルであることで引き寄せの力を使えるようになります。 このブログ 「真実の引き寄せの法則」では、こんなスピリチュアルの王道を語っています。 よかったら、お付き合いくださいね。 登録すると、スピリチュアルの本質から見た真実の引き寄せの法則動画10本+小冊子2冊を無料プレゼント。 カテゴリー•

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