忌野 清志郎 死因。 忌野清志郎がNHKホールで行われた『どんと 紅白』のトリで歌った「孤独な詩人」|Extra便|TAP the POP

忌野清志郎の死因はタバコ?咽頭がんを患っていた!闘病生活について

忌野 清志郎 死因

ちなみにこちらの司会をしていたのが当時まだ若かった古舘伊知郎さんです。 yahoo. まあ当然といえば当然と思いますが・・・。 そこで忌野清志郎はCDを東芝を通さずにインディーズとして発売します。 たとえインディーズとして発売しようが色々なしがらみによる大人の事情で東京FMは『サマータイム・ブルース』や『土木作業員のブルース』といった曲の放送を禁止しました。 その背景にはFM東京の株主だったのが旧富士銀行という問題があります。 同じグループの原発関連大手・三菱重工に配慮して同グループ系のスポンサーへ裏から圧力をかけたという説が一般的なようです。 これにさらにキレた清志郎が生放送という誰も止められない状況で多くの目に触れられる フジテレビの当時、冠番組で講義の『FM東京事件』を起こすのです。 もうこの時点で結構な泥沼ですね。 youtube. 1曲目・・・『タイマーズのテーマ』 2曲目・・・『偽善者』 3曲目・・・『デイ・ドリーム・ビリーバー』 4曲目と続く予定だったこの日の演奏は1曲目が終了した時点で 突然リハーサルにも無かった『FM東京』という歌を歌いあろう事か生放送中に禁止用語を連発して『FM東京』を批判しまくります。 テロップは『偽善者』のままなのでスタッフがこれを知らなかった事が伺えます。 番組の司会者である古舘伊知郎や共演者は慌てふためく映像がテレビに映し出されました。 もう笑うしか無いって感じです。 siruzou. 最後に清志郎は一言吐き捨てるように 『ざまあみやがれ!』 で締めくくります。 そして驚く事にこのあと3曲目の『デイ・ドリーム・ビリーバー』に入っていきます。 おそらく今のテレビ業界では途中で演奏を止められたり差し替えられたりする所ですが最期までやり切らせる所が今のテレビとは全然違いますね! まあ今こんな事をやれば1人、2人の首では済まないでしょう。 これは曲を聴けば分かりますがまさに前途の通り自分の作った曲を放送禁止にされた事への報復だったようです。 siruzou. しかしこの後視界の古館さんはメンバーといつも通りに談笑しているのは何か古館さんも思うところがあったのかと連想させられてしまいます! 一部の地域では生放送ではなく録画放送だった為、それらの地域ではく久保田利伸のライヴ映像に差し替える事で対応されました。 この事件は当時、『実はプロデューサーや他のスタッフも知っていたんじゃないのか』と憶測が飛び交いましたがのちのインタビューでこんなやり取りがありあました。 フジテレビでの収録当日、リハーサルを終えた清志郎の様子を見て嫌な予感がした近藤さんは「何か企んでいるのでは?」 と察知して近藤さんは清志郎さんに「キヨシさん、何か考えてませんか?(企んでいませんか?)」と聞いてみたそうです。 清志郎の答えは「ううん、大丈夫。 」だった。 その後に起こった「エフエム東京事件」でテレビ局に謝罪する事になった近藤さんは、当初は「なぜ自分に話してくれなかったのか!?」と憤ったそうです。 しかし、よくよく考えてみた近藤さんは「FM東京」を歌うことを話さなかったのは、自分を余計なことに巻き込まない様にするた為だったのではないか?!と思い真央したそうです。 ちょっと感動する話ですね。 youtube. それも2012年の紅白歌合戦出場時にネックストラップに「NUKE IS OVER」と書き込んだギターで演奏を行ったことが話題になりました。 あのNHKの国民的番組で密かに反原発を訴えていたのです。 本人も清志郎をリスペクトしている事は公言しているのでこの事件の事も当全知っていてなんらかの影響を受けている事は間違いなさそうですね! 忌野清志郎エフエム東京事件まとめ いかがでしたか? いや〜ちょっと今のテレビ業界からは信じられ無いような事件ですね! 後始末が本当に大変だったと思いますがこんな事があっても最後まで近藤さんは清志郎さんと親交が深かったそうです! もう2度と起こらないであろう音楽番組市場最悪の事件でした!.

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忌野清志郎さんとつんく♂さんを襲った喉頭がん それぞれの選択

忌野 清志郎 死因

どんとがハワイで急逝したのは2000年の1月28日、まだ37歳という若さであった。 訃報を聞いた忌野清志郎はレギュラーで書いていた雑誌に、こんな追悼文を寄せている。 (注1) 雰囲気のあるいい奴だった。 俺の音楽の理解者だった。 もっとたくさん会えば良かったが今はもう遠い。 今年も年賀状が届いたばかりだというのに…。 さようなら、どんと。 安らかに眠ってくれ。 僕はこの月の砂漠で昔のことを想い出しては笑ったり、時には涙を流したりする。 ひとりぼっちとはいえ、なかなか人生は忙しいもんだ。 どんとはRCサクセションのレコードを、高校時代から全部集めて持っていた。 ライブを何度も見に行っていたので、服装も唄い方も清志郎を真似てたし、その頃に作った歌も清志郎にそっくりだったという。 仲間たちが「おまえのその清志郎ぶし、何とかしろ」と言ってやめさせるほど、どんとには清志郎に染まっていた時期があったのだ。 どんとが自分のそんな過去を一気に思い出したのは、ボ・ガンボスを解散してソロになって音楽業界から一線を画し、家族と一緒に沖縄にわたてたった一人で音楽活動を始めていた1995年である。 その日のことを雑誌に寄稿した文章が残っている。 (注2) 海で遊んで家へ帰るとケーブルテレビで忌野清志郎のコンサートをやっていたので、友達とワイワイ騒ぎながら見てたら、自分も子供たちをステージに出して楽しそうに歌っていた。 前はお客のことをさんざん悪口を言って胸をもんだりパンツに手を入れたり「ブスは帰れ」といっていたのに、今ではお客さんに優しくなって「変わったなあ」なんて見てたら急に初期の『わかってもらえるさ」を歌い始めて俺は急に想い出した。 「これ大好きだった!」そうだ俺の人生は清志郎一色だったのだ! ひとたび素晴らしいバンドやミュージシャンに出会ったならば、その音楽を全身全霊で体感し、吸収できるものはすべて自分のものにするまで熱愛する……それがどんとにとって音楽との真剣なつきあい方だった。 ボブ・ディランやビートルズのときがそうだったように、どんとはフォーク時代の忌野清志郎に入れ込んでいた。 そして若い頃にタイムスリップしたどんとには、10代だった頃の想い出が次々と出てきて、忌野清志郎の歌が万華鏡のように輝いて聴こええたという。 翌日、すぐに那覇の国際通りにあったベスト電器に行って、RCサクセションが3人だった頃のセカンド・アルバム『楽しい夕べに』と、初期のベスト・アルバムのCDを購入して家に帰った。 そしてどんとは再び、大ファンに戻ってしまったのである。 二人が初めて会ったのはイベントで共演した際に、どんとが清志郎の楽屋に会いに行ったからだった。 だが、お互いに極度の人見知りゆえ、その場では話があまり弾まなかったらしい。 (注3) 二人とも照れて話すことがなく、黙って数秒たってから清志郎が「ギター見る?」と言って新しく買ったギターをさわらせてくれた。 おれは少し触ってすぐ返して、また照れながら自分の出番になったので、ステージに行った。 おれは歌の中の清志郎と同じだと思った。 彼の『ヒッピーに捧ぐ』という唄の中に、死んだヒッピーに「明日また楽屋で会おう。 新しいギターを見せてあげる」という一節があったのを思い出したからだ。 そのときに白組のトリを務めたのが忌野清志郎である。 どんとが1997年に発表したソロ・アルバム『DEEP SOUTH』から「孤独な詩人」を選んで、それを得意のマント・ショーのスタイルで披露した。 ライブを会場で見ていた者にとって、その時の渾身のパフォーマンスは鬼気迫るものであった。 それからわずか3年後、忌野清志郎もまた星になった。

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忌野清志郎のエフエム東京事件とは?音楽番組史上最悪の放送事故!|Natural Girl

忌野 清志郎 死因

忌野清志郎さんについて。 忌野清志郎さんの死因は癌性のリンパ管症とありました。 以前調べてみたところ、それは肺に水が溜まり大変苦しくて辛い状態とありました。 しかし、何かの本で目にしたのですが、清志郎さんが亡くなる時は血圧が急に下がり眠るように亡くなったと記してありました。 そして亡くなる前日までメンバーと談笑していたとありました。 癌性リンパ管症でも、様々なケースがあるのですか。 清志郎さんの最後は癌性リンパ管症の苦しい状態で亡くなられたのではなく、本に書いてあったように眠るように亡くなられたのでしょうか。 では何故死因を癌性リンパ管症にするのでしょうか。 詳しい方、教えて下さい。 よろしくお願いします。 人間しろ動物にしろ最期は心臓が止まるわけですから血圧が下がります。 それが急にくるか緩やかにくるかの違いはあるものの、死ぬ時は皆絶対に心不全になるわけです。 ですから必ず直接死因は「心不全」です。 しかし、死亡診断書は行政的な手続き書類という意味合いの他に、厚生行政の統計資料にもなり、むしろそちらの方が社会的には大きな意味を持つので、死因には「心不全」と記載してはいけないことになっています。 となると死に至る過程(つまり心停止に向かう過程)の中で、一番大きな要因となったものが死因として記載され、それが癌性リンパ管症であったということです。 ちなみに、癌性リンパ管症は肺に水が溜まり大変苦しくて辛い状態であることには違いないですが、癌の末期状態で亡くなっていくときは意識を失っていきますので、「眠るように亡くなる」という表現は間違っていません。 急に血圧が下がったというのは、例えばそれが10秒であるのか1時間であるのかは筆者の主観によるでしょう。 おそらく数時間かけて血圧が低下傾向となり70台あたりから一気に下がった(それでも20~30分はあったと思いますが)というような経過が医学的に自然かと思います。 前日まで談笑していた方が翌日亡くなるというのは珍しいことではありませんし、医学的に麻薬等の使用で苦痛をコントロールしているのは当然の状況だと思われますので、その中で本人の意思で気丈に談笑されていたのだと思います。

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