ジョーカー考察。 映画『ジョーカー』評価は?ネタバレ感想考察/父の正体は?悪のカリスマ誕生の真実とは?

映画「 ジョーカー 」ネタバレあり解説で疑問点とラストシーンを考察、今作自体ジョークだったというオチ

ジョーカー考察

スポンサーリンク 映画「ジョーカー」のあらすじ・予告動画 あらすじ うだつの上がらないコメディアン、アーサー・フレック。 彼は母親から「どんなときも笑顔で、人々を楽しませない」と教わってきた。 それを体現すべく路上で大道芸を披露し、ゆくゆくは世界に笑いを届けたい、と純粋に願う青年だった。 「俺の人生は悲劇だ。 いや違う、喜劇だ」というモノローグが名曲スマイルをバックに語られる。 予告動画 予告動画を見ただけでジョーカーが異常なまでに笑いだしたりと奇怪な行動が徐々に増えて壊れていく姿に恐怖を感じますね。 が怪物ジョーカーをどう演じるのか本編が待ち遠しいです。 スポンサーリンク 映画「ジョーカー」のストーリーをネタバレ 「ジョーカー」を。 「一生見てたい。 終わらないでくれ」と心から願った。 壮絶に美しい映画。 デニーロの「タクシードライバー」、Mダグラスの「フォーリングダウン」のような、孤独と絶望の末に狂気の花を咲かせる男一代暗黒物語。 70年代米国の暴力と荒廃の香り。 狂い咲きホアキンに魂持ってかれた。 — 深町秋生・新刊「PO守護神の槍」 ash0966 ここからは具体的に映画のストーリーを紹介していきます。 普通の男アーサーが凶悪犯のジョーカーになるまでを事細かに観ていきましょう! 起:アーサーという男 化粧台の前に座ってピエロの化粧をする男。 彼がこの映画の主人公であり、のちにジョーカーとなるアーサー・フレックである。 ゴッサムシティで大道芸の派遣会社に努める彼は、今日はある電気屋の閉店セールを盛り上げるピエロとして働いていた。 しかし、持っていた看板を不良少年に取られ、アーサーは必死になって追いかけるが終いには暴行されてしまうのだった。 「狂っているのは僕か、世界か」 病院で面談を受けるアーサーは、僕はコメディアンになりたいんだと女性相談員に打ち明ける。 アーサーは昔病院で監禁されるほどの重症患者(おそらく精神疾患)で、今は大量の薬とこの面談で何とか持ちこたえているのだった。 また、彼には「笑いが止まらない」という(自称)病気を持っていて、何かにつけて笑い出し止められなくなってしまうのだ。 家に戻ったアーサーは、郵便ポストを確認し母のいるアパートの部屋に戻る。 年老いた母はずっと トーマス・ウェインという人からの手紙の返信を待っていた。 「彼が私たちを救ってくれるわ」と母は言い続けていたが、待てど暮らせどウェインからの手紙は来ないままなのであった。 母と会話しながらテレビをつけると 「マレー・フランクリンショー」がやっていた。 司会のマレーはアーサーの憧れのコメディアンで、いつかこの番組に出ることを夢見るアーサーだった。 次の日仕事場に行くと、ランドルという同僚が不良から暴行を受けたことを知って銃を渡してくれた。 しかし、アーサーはボスに呼ばれ昨日の看板を返せと言われてしまうのだった。 彼のストレスは次第に膨れ上がり、道端のゴミを蹴って発散する。 そんなアーサーの目の前にある女性が現れる。 同じアパートのソフィーという女性でエレベーターで少し話したのだが、彼は翌日彼女を仕事場までストーキングしてしまうのだった。 次の日アーサーの部屋を訪れたソフィーは「あなた私をつけていたでしょ」と言うが、ソフィーは笑って受け入れてくれたのだった。 アーサーはコメディアンになるという夢のため、ノートを持ってコメディショーに行ってはそのジョークの勉強をしているのだった。 ある日の仕事は、小児科の慰問で、ピエロ姿で子供達を笑わせていたが、先日ランドルからもらった銃を誤って落としてしまう。 それが原因で会社をクビになるのだが、ランドルは「アーサーに頼まれて売った」と嘘をつきアーサーを裏切るのだった。 承:地下鉄殺人犯 仕事を失いピエロの化粧のまま電車に乗っていたアーサー。 その隣で女性が男性3人に絡まれているのを見て、アーサーは爆笑してしまう。 男性3人はアーサーの方を向き、ちょっかいを出し始め終いには蹴る殴るの暴力をしてきたのだった。 暴力を受けたアーサーは持っていた拳銃で3人を殺し、ダッシュで地下鉄から逃げるのだった。 逃げた先のトイレで彼は優雅に踊り始め、それは彼の中で何かが解放された証だった。 アパートに戻ったアーサーはそのまま、ソフィーのところへ行きキスをするのだった。 次の日、地下鉄殺人事件はニュースになっており、 トーマス・ウェインがテレビに出ていた。 彼は次の市長選挙に出馬予定の資産家で、アーサーの母は昔ウェインの家で働いていたのだった。 アーサーが昨日殺した3人はウェインの会社の社員でエリートだったため、ウェインは「仮面なしでは殺人もできないやつ」と皮肉を言うのだが、 エリート(富裕層)をよく思っていない貧困層には 地下鉄殺人のピエロはヒーローとなっていた。 そんな中アーサーはまた面談に向かうが、もうここは閉鎖されてしまうと聞く。 自分の話をする場所も薬もなくなってしまったアーサーだが、 いつも行っているコメディアンショーで舞台に上がることができたのだ。 彼は笑いながらジョークを放ち、そこそこに笑いを取ることができたのだった。 もちろんそのショーにはソフィーも見にきていた。 二人は街中を歩き、アーサーは恋も夢も順調に流れ始めたのだった。 転:真実との対面 家に到着したアーサーは母からトーマス・ウェインへの手紙を預かる。 いつもはただ投函するだけなのだが、今回はその手紙を読んでしまった。 そこに書かれていたのは、トーマス・ウェインが自分の父であると言うことだった。 アーサーは母に問いただし、過去に母とウェインは恋に落ち子供ができたが家柄的によろしくないと捨てられたと言う話を聞いた。 父に見放されたと言うショックのためか、次の日アーサーはウェイン宅に向かいウェインの子供に話しかける。 それを見ていた執事に母のことを話すと急に顔色を変え、「何もなかった」の一点張りなのであった。 家に帰ると救急車が止まっていて、母が脳卒中で倒れたことを知るアーサー。 病院で母の治療を待っていると、二人の警官が現れ「拳銃所持と地下鉄殺人の件」で話を聞かれる。 警察はアーサーが犯人なのではないかと疑っている様子だったが、その場ではアーサーはうまく言い逃れたのだった。 病院のベットで寝ている母の隣で、ソフィーとアーサーはテレビを見ていた。 すると「マレー・フランクリンショー」で自分の姿が映されているではないか。 アーサーは感激するが、司会のマレーはアーサーのジョークをネタにし笑いにしてしまったのだった。 アーサーは尊敬するコメディアンに屈辱されたのだった。 殺人ピエロは貧困層の間でかなりムーブメントを起こしており、富裕層の集まるシアターではピエロのお面をかぶった多くの人たちが「金持ちを殺せ」「ウェインを殺せ」と暴動を起こしていた。 アーサーはその群衆に入り満足そうにしながら、そのシアター内に入っていく。 ボーイに変装したアーサーは、シアターで上映されているチャップリンを見ながら笑い、ウェインの行動を監視していた。 トイレに立ったウェインを尾行し、話しかけるアーサー。 「別にあなたにあって困らそうという気は無い。 パパのハグが欲しいだけなんだよ。 」と言うが ウェインは全く相手にしない。 それどころか、それは全て母ペニーの妄想であると告げる。 アーサーは、母を屈辱され納得しなかったが、終いにはウェインに殴られ家に帰宅するのだった。 家に帰ったアーサーは、「マレー・フランクリンショー」からの出演オファーを受け取る。 前回放送されたアーサーの動画に反響があったらしいのだ。 アーサーは出演依頼を受け入れ、来週に出演することが決まった。 その間にアーサーは、アーカム市立病院へ赴き、ウェインの言っていることが正しいのか検証するため母の昔のカルテを見せてもらいにきていた。 カルテを見せるのを拒否する事務員から強引に奪い取り中を確認する。 するとそこには、 自分は養子であること、母は妄想性障害があること、幼い自分は母の恋人から虐待を受け母もそれを黙認していたことなどを知ってしまう。 彼の中で最後の糸がプツンと切れたようだった。 結:ジョーカー誕生 アーサーはソフィーの部屋に勝手に上がりこむ。 するとソフィーは血相を変えて「早く出てって、あなた確かアーサーっていう人よね」と叫ぶ。 そう、ソフィーとの思い出は全てアーサーの妄想だったのだ。 ソフィーからしたら、ただ一度エレベーターで話した男にすぎなかったのだった。 その後、彼は母親の病室へ向かい、枕で母を窒息死させてしまうのだった。 「マレー・フランクリンショー」に出演するため、挨拶の練習をしたりピエロの化粧をしていると元同僚の二人がやってくる。 彼らも警察から事情を聴取されており、何を聞かれたのかアーサーに聞きにきたのだった。 その二人のうち一人は、クビになった時に裏切ったランドルだった。 アーサーは目にも見えないスピードで、隠し持っていたハサミでランドルを刺殺。 もう一人は「君だけは親切だった」と逃すのだった。 「マレー・フランクリンショー」に向かうさなか、刑事がアーサーを止めようとし必死に逃げるアーサーは、ある電車に乗り込む。 そこには殺人ピエロ信者のデモ隊が乗っており、乗客スペてピエロのお面か化粧をしていた。 同じくピエロの化粧をしていたアーサーはその中に紛れ込み、無事にショー会場に着くのだった。 初めてマレー・フランクリンと対面したアーサーは感激の言葉を述べ、最後に 「私をジョーカーと紹介してください」 と頼む。 ジョーカーとして紹介されテレビの舞台に上がったアーサーは、マレーから新しいネタをやれと言われ 「自分が3人を殺した犯人だ」と打ち明ける。 最初はジョークだと思っていたマレーやスタッフ、観客だがそうでは無いことに気づき始め、 アーサーはマレーに「自分を正当化してもいいのか」と非難される。 「誰も他人のことを考えない。 3人死んでニュースになっても、僕が道端で死んでたら皆踏みつけるだろう。 自分を偽るのはもうやめたんだ。 僕には守るものも失うものももう無い。 」 とアーサーは言いこう続ける。 「君も、最低な人間だ。 僕を笑い者にするためにここに呼んだんだろ」 そういうとアーサーは、拳銃を取り出しマレーを射殺。 生放送の「マレー・フランクリンショー」は大惨事となり放送中止になった。 その後すぐに警察に逮捕されたアーサーは、パトカーの窓から暴動を起こしているピエロを見て笑っていた。 警官がそれに気を取られていると、パトカーは車と事故にあい、警官は死亡。 アーサーはピエロの覆面たちに救出されるが意識を失ったままだ。 その頃、他の覆面ピエロがウェインと妻、そして子供を見つける。 ピエロはウェインと妻を子供の前で射殺したのだった。 アーサーはやっと意識が戻り辺りを見回すと、辺り一面にピエロの集団が。 彼はヒーローとして多くの人に祝福されるのだった。 スポンサーリンク 映画「ジョーカー」の結末・ラストシーン 消費税増税が始まった週末に『ジョーカー』が公開されるの本当にすごいタイミングだと思う。 主人公の心が壊れるきっかけの一つが社会保障の切り捨てなんですよ。 そこは、精神病院らしい。 白い服に身を包んだアーサーと、女性面談員が会話している。 「何がそんなに面白いの?」 アーサーはウェインとその妻が殺され、一人残された息子という映像を思い浮かべる。 「ちょっとね、ジョークを思いついて。 君には理解できないさ」 アーサーは病院の無機質な真っ白の廊下を向こうに向かって歩いていくのだった。 ここで映画は終わります。 スポンサーリンク ジョーカー最後のシーンを考察!精神病院の結末の意味とは? このラストシーンは、正直かなり混乱するものでした。 私が考えたこのシーンの考察は3つです。 また、女性面談員は映画冒頭と同じ面談員で、映画中盤で面談は中断されてしまうので彼女が出てくるということもないのかなと思います。 ですのでこの考察はちょっと違うかなと思います。 彼は精神病棟にいて、長い妄想をしていた。 しかし、実際にジョーカーは誕生しバットマンと対決しているので全てアーサーの妄想というオチはないと思います。 ですので、このシーンは時系列でいうとかなり前でアーサーが精神病院で監禁されていた頃の記憶という考察ができます。 この面談は映画中盤で閉鎖されてしまうので、過去の記憶をここにラストシーンに入れたというのも納得できます。 ウェインとその妻と息子の映像はアーサーの妄想であり、これから起こることの予言なのではないかとも捉えることができると思います。 というような考察を考えました。 実際にはこのラストシーンがどういった意味を示しているのかはわかりませんが印象的なシーンであることは間違いないです。 スポンサーリンク 映画「ジョーカー」を視聴した所感 話題中の映画『ジョーカー』 映画の中では悪人だが、主役のホアキン・フェニックスは実は超優しい人。 動物を守るために3歳の時にヴィーガンになって、ずっと動物愛護の活動を頑張ってきたんだ。 「人間は動物に優しくして、失うもの何もない」と — ダンテ vegandanshi 映画館の大きなスクリーンで見ると、ジョーカーは狂った凶悪犯ながらもとてもかっこよく見えてしまいます。 映画冒頭から、アーサーがどんな立場で、社会に抑圧されて、頼れる人に裏切られて、ということを見ているのでアーサーに感情移入してしまうという面もあるのですが、 ジョーカーとして生きることを決めた瞬間からの、映画の演出や音楽がかなり凝っていて、 いかにジョーカーがかっこいい存在なのかということを私たちに訴えかけているようにも感じました。 音楽は、皆一度なら聞いたことのある愉快な音楽(チャップリンのスマイルなど)から、ジョーカーの邪悪さを表す低い低音が響く音楽など種類も豊富で、すでにサントラが欲しいです(笑) アーサーが妄想性疾患を持っているため、どこまでが妄想でどこまでが現実なのかわかりづらい部分もありましたが、とても楽しめる映画でした。 主役を演じたホアキン・フェニックスは、とても魅力的な俳優で どんどん狂っていくジョーカーに観客は次第に魅了されていくといった感じでした。 『シャイニング』で狂った父親役を演じたジャック・ニコルソンが、当時の観客(特に女性)から圧倒的な人気を得たのと同じように、このホアキン・フェニックスも男性はもちろん、女性からも人気が出そうです! (ちなみに、ジャック・ニコルソンは『バットマン』(1989)でジョーカー役を演じています) 私もファンになってしまいました! スポンサーリンク 映画「ジョーカー」の注目ポイント3つ 映画を視聴した方もまだ見ていない方も見てほしい映画「ジョーカー」の注目ポイント3つをまとめました。 そもそもジョーカーって一体何? ジョーカーは、DCコミックスのスーパーヒーロー 『バットマン』のスーパーヴィラン(悪役)です。 なんと、1940年には登場している、非常に歴史とともに人気のあるヴィランで、ヴィジュアルイメージは、白塗りの顔、緑色の髪の毛、裂けた真っ赤な唇で、紫のスーツ、ネクタイ、カラフルなシャツ、手袋を着用していることが多いです。 ヴィランの中では特殊能力を持たず、同じく特殊能力を持たない ヒーローのバットマンとライバルとして対をなす存在で、カミソリつきトランプ、有毒物質の調合、兵器の開発と、化学の専門知識を駆使してゴッサムシティの人々を恐怖に陥れ、バットマンと戦います。 近年でもティム・バートン監督の『バットマン 1989 』ではが、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト 2008 』では 、特にヒース・レジャーは入り込みすぎたことが死因になったとも噂された凄みのある演技で、死後にアカデミー賞の助演男優賞を受賞しています。 ちなみに全編レゴで作られ、キャラクター、背景、美術など全てレゴで作られた異色作『レゴ・バットマン』でのジョーカーは、バットマンが自分のことを宿命のライバルだと認めるまで、絡み続けるウザ可愛キャラとして登場していました。 過去の ジョーカーに共通しているのは、サイコパスで、バットマンを殺すことが目的なのではなく、舞台となるゴッサムシティの人々を恐怖に陥れることこそを目的としていることです。 また、自分がなぜジョーカーになったかについてあれこれ語るけれど、どれが真実かは煙に巻いて実態をつかませない、ということです。 本作はこれまで謎とされていた「ジョーカーがジョーカーになるまで」のリアルなストーリー。 これまでにない試みです。 US版の予告動画ではアーサーが路上で大道芸を披露していると、若者たちの妨害に遭い、奪われた大道芸の道具を取り返そうと追いかけると、返り討ちにひどい暴力を受けるシーンや、地下鉄でジョーカーメイクをして座っていると、乗り合わせたビジネスマンに因縁をつけられ、やはり暴力をふるわれるシーンが出てきます。 また、バットマンファンにはおなじみ、ヴィラン達を収容するアサイラム精神病院と関連するとおぼしき「アーカム州立病院」でカウンセリングや治療を受ける様子も見受けられます。 純粋な魂ゆえに 狂った世界に対抗するために、自分も進んで狂気に飛び込んでいき、ジョーカーと変貌していったのかもしれませんね。 映画の結末はどうなる? 今回のジョーカー誕生の物語を考えるヒントとして欠かせないのが、巨匠マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デニーロ主演の『タクシー・ドライバー 1976 』や『キング・オブ・コメディ 1982 』の2本です。 本作の脚本・監督を務めたトッド・フィリップスは、イギリスの雑誌Empire誌のインタビューで、『タクシー・ドライバー』や『キング・オブ・コメディ』の影響を受けている、とその2作の主演であり、本作でも主要出演者であるロバート・デニーロに対して話したことを明らかにしています。 どちらも孤独で疎外感を感じている青年が、「自分なりの善」を突き通した結果、世界と敵対して暴力を爆発させるストーリーです。 また、本作は、あえてコミックを意識せずに独自のオリジンストーリーとして執筆されたとのこと。 そのことを踏まえると、「自分なりの善」を信じたアーサー・フレックが、人々から笑顔を奪おうとしている社会そのものと対立し、「笑いと恐怖は紙一重」として、大きすぎる恐怖は笑いに通じるとばかりに変貌を遂げ、彼なりのロジックで恐怖の救済を行なっていくのではないでしょうか。 映画「ジョーカー」のネタバレあらすじ!なぜ普通の男が恐怖のジョーカーに?まとめ 主役ジョーカーには、数々の映画賞を受賞しているホアキン・フェニックス。 彼は2008年に突如俳優を引退し、ラッパーになると宣言し、数々の奇行を繰り広げたのですが、引退後の彼に密着したドキュメンタリー『容疑者、ホアキン・フェニックス』を2010年に突然発表。 なんと、全てがフェイクで、壮大な悪戯だったことを明かして、ハリウッドから相当な批判を浴びたお騒がせセレブでもあります。 その後は持ち前の演技力で、映画界に見事に復帰していますが、複雑な内面を持った、孤独な魂を持った男を演じるのにうってつけです。 また、『キング・オブ・コメディ』で自身が誘拐する人気コメディアンのような役どころでキャスティングされているロバート・デニーロ。 当代きっての名優二人が、アメコミ映画の枠に収まらない、重厚なストーリーのもと繰り広げる演技合戦が楽しみです。 純粋な魂を持つがゆえに社会から疎外され、孤独を拗らせていき、狂気へとひた走る破滅のストーリー。 名優デニーロも感心したという脚本と世界観。 この秋の注目作『ジョーカー』。 ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を取るなど、世界レベルで注目されている作品です。 ぜひ、あなたの目でご覧ください! たんたん コミックで言うと、ジョーカーは何度も逮捕され「アーカムアサイラム」という精神病院兼刑務所に入れられます。 しかし、その度、彼の精神病という判定がなされて釈放されたり、彼の仲間や支持者によって助けられ脱獄を繰り返します。 その後また血の気も失せるような犯罪を犯し、バットマン によってアーカムに戻され…を繰り返します。 バットマン は犯罪者を殺さない事が信念であり、ジョーカーもそこを知っていてそこの葛藤がまた2人の精神状態が描かれる、とてもダークな物語になっていきます。 つまり本作のラストはアーカムアサイラムに本作の事件後に収監されたジョーカーだと思われます。 で、ここからジョーカーの物語が始まるのです。

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ジョーカー(JOKER)【ラスト考察】伝えたかったこととは。

ジョーカー考察

0 こんにちは!エンタメブリッジライターのriezoです! 今回はDCコミックスの人気コミック、バットマンに登場するジョーカーの誕生を描いた映画、 「ジョーカー」をレビューしていきます。 とにかくホアキン・フェニックスがいい! 単なる悪ではなく、そこに哀しみや苦悩がぐちゃぐちゃに混ざって怖いんだけどカッコいい。 まさに迫力満点の演技です。 そもそもジョーカーについての私の知識は、バットマンに出てたコワイ顔の人、ぐらい。 もともとアメコミに詳しくないので、てっきりバットマンやジョーカーって人造人間とか「変身系」のキャラクターだと思っていました。 なので初めてダークナイトを見たときに 「え、君ら人間だったの?」と衝撃を受けたのを覚えています。 「ジョーカー」は、そのタイトル通り、バットマンの敵役としてのジョーカー誕生物語としても観られます。 しかし実際に作品を観てみると、それ以前に 一人の狂気にとらわれた人間の話として非常に考えさせられる話であることが分かりました。 特に話題になっているのは、あの エンディングをどう考えるか。 もちろんバットマン誕生の前日譚という解釈もあるでしょうが、今回はそこからさらに一歩踏み込んだ個人的な考察をしていこうと思います! 公開日:2019年10月4日(アメリカ) 監督:トッド・フィリップス 原作:ボブ・ケイン(キャラクター創作)、ビル・フィンガー(キャラクター創作)、ジェリー・ロビンソン(キャラクター創作) 脚本:トッド・フィリップス、スコット・シルヴァー 出演者:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ他 公式サイト: 2. warnerbros. 人々の暴力的な内面を刺激しかねないと思われたその内容とは。 早速あらすじを見ていきましょう。 内容を知りたくない方はネタバレなしのあらすじだけにとどめてください! 「ジョーカー」のあらすじ(ネタバレなし) 舞台は1980年代のゴッサムシティ。 財政難に陥った市内では衛生局のストライキが続き、街にはネズミが大発生している。 貧富の格差も激しく、 市民の間には富裕層に対する不満や政治に対する不信感が膨れ上がりつつあった。 アーサー(ホアキン・フェニックス)はそんなゴッサムシティで、体が弱い母ペニー(フランセス・コンロイ)の介護をしながら大道芸人の派遣会社でピエロの仕事をしている。 しかし、路上で閉店セールの宣伝をしていれば街の不良に絡まれたり、 不当な扱いを受けることが多く報われないことが多かった。 職場では唯一小人症のゲイリー(リー・ギル)だけがアーサーに対して優しく接してくれている。 心臓病や認知症を患う母を介護しているアーサーだったが、自身も 感情的に高ぶると発作的に笑い始めるという脳の障害を抱えていた。 週に一度、福祉センターで不毛なカウンセリングを受けながら向精神薬に依存する生活。 しかしそんな生活の中でも、アーサーはいつかコメディアンになることを目指していた。 子供のころから言われていた 「どんな時にも笑顔で人を楽しませなさい」という母親の言葉を胸に・・・。 warnerbros. アーサーは母親と2人暮らしです。 アーサーの母ペニーは、ゴッサムシティの市議会員のトーマス・ウェイン(ブレット・カレン)を敬愛していました。 ペニーは、若い頃にウェインの屋敷で家政婦として働いていたのです。 その縁を頼って「私たち母子の生活をなんとか助けてほしい」とウェインに手紙を書く母と、来ることのない返信を確かめるようにポストを覗く息子。 それが親子の日課でもありま した。 ある日、仕事中に不良に絡まれたアーサーに、同僚のランドル(グレン・フレシュナー)は「護身用だ」といって銃を渡します。 アーサーは断りつつも、なかば強引に ランドルから銃を受け取らされてしまいました。 嫌な予感しかしないこの出来事が、のちのちアーサーの運命に大きく影響することになるのです。 コメディアンを目指していたアーサーにはあこがれの存在がいました。 それはテレビで活躍しているマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)です。 アーサーと母親のペニーは、毎週マレーが司会をしているコメディ番組が楽しみでした。 アーサーは、撮影を観覧中に呼ばれてステージに上がり、 会場の大喝采を浴びながらマレーにも称賛される自分の姿を想像しながら番組を見ています。 さて、そうこうしているうちにゴッサムシティの財政はさらに悪化し、アーサーがカウンセリングに通っていた福祉局も閉まることが決まりました。 アーサーにとってはもともと不毛なカウンセリングでしたが、薬の処方がなくなるのは困った問題。 またしても不安材料は加算されていきます。 そんなある日、アーサーは小児病棟で入院中の子供たちを笑わせる仕事をしてました。 ピエロ姿でおどけるアーサーを見て子供たちや看護師も楽しそうです。 ところがそのとき、 護身用として持っていた銃を子どもたちの前で落としてしまいます。 一瞬かたまる一同。 当然アーサーは病院から追い出され、そのことを知った会社からもクビにされてしまいました。 あれはパフォーマンスの小道具なんです!と言い訳するアーサーですが、到底通用しません。 しかも銃をくれた張本人のランドルは、アーサーに銃を売ってくれと頼まれたとウソまでつく始末。 職を失ったアーサーは、 ピエロのメイクのまま地下鉄に乗って家路につきました。 地下鉄の中では3人のビジネスマンが酔っぱらって女性客に絡んでいます。 その時アーサーの突発的な笑いの発作が出てしまいます。 その隙に女性は逃げましたが、ビジネスマンたちは大笑いしているアーサーに矛先を向け、 椅子から引きずりおろして殴る蹴るの暴行。 すると アーサーは拳銃を取り出し、3人を撃ち殺してしまいます。 衝動的に3人を殺してしまったことで最初は動揺していたのものの、やがてアーサーは不思議な高揚感に満たされていくのでした。 その後アパートに戻ったアーサーは、同じフロアに住むソフィーという女性の部屋を訪ね、いきなりキスをします。 ソフィーとは以前エレベータで一緒になり、ひとことふたこと言葉を交わした程度。 アーサーとソフィーは、その後もデートをしたりと親しい間柄になっていきます。 アーサーが起こした 地下鉄での殺人事件は新聞やテレビのニュースで大きく報道されました。 殺されたビジネスマンは、ウェインが経営する会社の社員だったのです。 ウェインは「仮面をつけなければ何もできないやつ」と犯人を非難しますが、 ゴッサムの貧困層の多くは犯人を支持していました。 この事件をきっかけに、ゴッサム市内で貧困層が富裕層に対する反感にますます拍車がかかっていき、ついに 犯人をヒーロー化する風潮が広まっていきました。 街中にはアーサーがしていたピエロのメイクにインスパイアされた人々が、ピエロのお面をつけてデモをしています。 さてさて一方のアーサーはというと、自分がいつも勉強のために足を運んでいたスタンダップコメディのバーで、初めてコメディアンとしてステージに立つことができました。 ソフィーもその姿を見に来ています。 ステージ上で発作が出てしまったりと、結果は大成功とまではいきませんでしたが、アーサーにとっては大きな一歩。 そんな時、いつものように母親からウェインへの手紙を投函するよう頼まれたアーサー は、何気なく手紙を開けて読んでしまいます。 するとそこにはアーサーにとって衝撃の事実が! なんと、 ウェインが自分の父親だというのです。 母親を問い詰めると、家政婦として働いていた時に2人は恋に落ち、アーサーが生まれたとのこと。 でも家柄の違いから、アーサーを実子とは認めてもらえず。 いてもたってもいられなくなったアーサーは、ウェインの邸宅に向かいました。 すると敷地の中に1人の少年が。 ウェインの息子のブルース(ダンテ・ペレイラ=オルソン)です。 アーサーはブルースに向かっておどけてみせますが、ウェイン家の執事のアルフレッド(ダグラス・ホッジ)に見つかってしまいます。 自分はペニー・フレックの息子だというアーサーの言葉に、顔色が変わるアルフレッド。 どうやらペニーのことを知っているようです。 しかしアーサーはアルフレッドに追い返されてしまいました。 意気消沈してアパートに戻ると、なんと 母のペニーが心臓発作をおこして救急車に運ばれるところでした。 殺人事件を追っていた刑事たちが、アーサーに事情聴取をしにやってきていたときに倒れたのです。 病院にやってきた刑事に事件のことを聞かれますが、アーサーは相手にしません。 病室に戻ってテレビをつけたアーサーは、思わずテレビを二度見。 なんと、自分が バーで初舞台を踏んだときの映像が、マレーの番組で取り上げられているではないですか。 マレーはアーサーのステージを見て、「誰でもコメディアンになれる時代だ」と皮肉を言っています。 その後、なんとしかしてウェインに会って自分を息子だと認めてもらおうとするアーサーは、 ついにウェインと対面しました。 ウェインは、「ぼくはあなたの息子だ」と主張するアーサーの言葉を否定します。 ペニーには妄想癖があり、自分とのことはすべてでたらめだし、 アーサーはペニーの養子だというのです。 失意のうちにアパートに戻ったアーサーは、ソフィーの部屋に向かいました。 リビングのソファに座っていると、 寝室から出てきたソフィーはアーサーの姿に驚いてこういいました。 たしか、アーサーよね。 あなた部屋を間違っているわ。 お母さんに迎えに来てもらう? そう。 ソフィーとの関係はアーサーの妄想だったのです。 アーサーは母ペニーが入院していたという精神病院に向かいました。 そこでペニーが精神病を患っていたこと、アーサーが養子だったことを知ります。 さらに、 アーサーがペニーの元恋人から虐待されていたにもかかわらず、ペニーはそれを止めなかったとして逮捕されていたのです。 すべての真実を知ったアーサーは、ペニーの病室に行き、窒息死させてしまいました。 1人アパートで失意のどん底にいるアーサーのもとに マレーの番組のスタッフから、番組への出演を打診する電話がかかってきます。 出演依頼を受けたアーサーは、1人で何度もリハーサルを繰り返しながら当日を迎えます。 いよいよ今日が本番という日、ランドルが銃の件で口裏を合わせようとアーサーの元にやって来ました。 しかし アーサーはそんなランドルを惨殺。 不敵な笑いを受かべながらテレビ局へと向かいます。 刑事たちはアーサーを追うものの、ピエロのお面を被って暴徒化した群衆に襲われてしまいます。 テレビ局の楽屋で待機していた アーサーは、自分のことを ジョーカーと紹介してほしいとマレーに頼みます。 それは以前マレーがアーサーの映像を紹介したときに呼んだ名前ですが、マレーはそれを覚えていません。 いよいよ本番が始まりました。 アーサーはいくつかジョークを披露しますが、 マレーから番組の品位に合わないと言われます。 するとアーサーは、 地下鉄でビジネスマンを殺したのは自分だと言い始めました。 ざわつくスタジオ内。 本当なのか?と聞くマレー。 あの殺された3人がもてはやされているのはウェインがコメントしたからだ。 俺が死んだらみんな俺のことを踏みつけて行く。 世の中は不平等だ。 そう主張するアーサーに、マレーは 「自分を正当化するのはよくない」と言い放ちます。 するとアーサーは、マレーも自分を笑いものにするために番組に出演させたと言って、 カメラの前でマレーを射殺してしまいました。 ピエロのデモ隊がひしめく中、アーサーを連行するパトカー。 街の中では暴動が起き、あちこちで火の手が上がっています。 その光景を見た警官は、 すべてアーサーが引き起こした混乱だと言います。 それを聞いて微笑むアーサー。 その時突然パトカーの横に救急車が突っ込んできました。 運転していた警官は死亡。 アーサーも気を失っています。 救急車の運転手は ピエロのお面をつけています。 運転手は同じようにピエロのお面をつけた別の男と一緒に、後部座席からアーサーを引きずり出し、 パトカーのボンネットにアーサーを寝かせました。 アーサーが目を開けると取り囲んでいた群衆たちはみな歓声をあげます。 アーサーは口元から流れる血で大きく裂けたように笑った口を描き、ボンネットの上に立ち上がって踊り始めました。 その頃、劇場から出てきたウェイン親子を1人 のピエロ姿の男が追っています。 そして ブルースの目の前でウェインとその妻を射殺しました。 場面が変わって、病室でカウンセリングを受けているアーサー。 患者衣を着て手錠をはめられています。 すると、アーサーは突然面白そうに笑い始めました。 「ジョークを思いついた 」というアーサー。 カウンセラーは「話して」と促しますが、 アーサーは「君には理解できない」と拒否します。 廊下を歩いていくアーサー。 靴の裏には血がべっとりとつき、真っ赤な足跡が続いています。 その先には病院から逃ようとするアーサーとそれを追いかける看護師の姿がありました。 warnerbros. ではその「闇」とは何か。 映画の見どころを紹介しながら考察していきましょう。 すべてはアーサーの妄想だった 「ジョーカー」はどこまでがアーサーの妄想なのか、ということがこの映画の最大の謎。 映画のエンディング、つまりアーサーがジョーカーとして覚醒したあと、病院でカウンセリングを受けているシーンの捉え方にいろいろな解釈が生まれています。 アーサーには妄想癖がありました。 それは隣人のソフィーとの関係でわかりますよね。 他にもマレーのテレビ番組を見ながら自分の願望をイメージするシーンもありましたが、まぎれもなく妄想だと分かるように描かれていたのはソフィーとのことだけ。 しかし、 この映画の内容すべてが実はアーサーの妄想だったのではないかという考え方もできます。 地下鉄の事件も、コメディアンになろうと頑張っていたことも、マレーの番組に出たことも、そしてマレーを射殺したことも。 そもそも、 ペニーやウェインさえもアーサーが作り出した妄想なのかもしれません。 マレーの番組に出ていたときはアーサーの髪は緑色でしたね。 出演が決まって髪を染めているシーンがありました。 でも最後の病院のシーンでは黒髪に戻っています。 あえて事件から何年も経っているという設定にする意味がないことを考えると、 それまでの出来事はすべてアーサーが考えていた妄想、「ジョーク」だったとしても納得ができます。 それはカウンセラーに言った「ジョークを思いついた」というセリフにもつながります。 そうなると、 ブルース・ウェインもアーサーの妄想の産物だったことになり、じゃあその後のバットマンの誕生はどうなるんだっ、ということになるでしょう。 トッド・フィリップス監督はインタビューで、今回の「ジョーカー」はDCユニバースから切り離して作った、今までのジョーカーと共存することは避けたかった、と語っています。 つまり、 今作の「ジョーカー」は、のちにバットマンのヴィランとなるジョーカーとはまったくの別物であるということです。 それを踏まえれば、さらに「すべてがアーサーの妄想だった」説は濃厚となりますね。 さらに言うなら、 映画の中に出てくる時計の時間はすべて11時11分。 映画の中のディテールに無意味なものなんてありません。 ただの偶然・・・なわけはないでしょう。 warnerbros. どちらも 狂気的な妄想癖がある主人公と社会との不適合を描いている作品です。 「ジョーカー」の主人公アーサーも、脳の障害による持病や変わり者というレッテルから起こる「生きにくさ」とは別に、人格としてある種の狂気をはらんでいることは間違いありません。 その 狂気が妄想を見せるのか、妄想癖が強くなるにつれて狂気が増幅されるのか、どちらにしてもアーサーが見ている世界と、他の「普通の」人が見ている世界は明らかに違うのでしょう。 それは映画の冒頭でアーサーが言った 狂っているのは自分か、世界か。 このセリフがすべてを物語っています。 自分が見ている世界や自分の感じ方。 それは本当に正しいのか。 自分が間違っているのか、世間が間違っているのか、何が正義なのかなぜそれが正しいのか。 そんなことをまじめに追求して考えていくと、ワケ分からなくなってしまいそう・・・。 マレーの番組で、自分が地下鉄で3人を殺した犯人だと言ったとき、アーサーはこうも言っていました。 みんな自分で善悪を決めればいい。 確かにそうなんですけどね。 でもそこには 前提となる「秩序」とか「倫理」っていうものが存在します。 ただその「秩序」とか「倫理」とは何なのかっていうことになってくる。 たとえばなぜ自殺してはいけないのか、という問いに対してどう答えますか? いろいろな答えがあるでしょう。 究極は「自殺をしてはいけないと決まっているから」。 そういう 「善」か「悪」かを簡単に答えられない私たちの「闇」の部分に、じんわりとボディブローのように入ってくる。 それがこの映画の本当の怖さだと思います。 warnerbros. アーサーは脳の障害によって突発的に笑い出すという持病を持っていました。 病気の発作で笑いが止まらなくなってしまう場面もたくさんありましたね。 でも本当に楽しくて笑っていたわけではありません。 ある意味の代替行為です。 そんなアーサーが1度だけ本心から笑った場面。 それはラストシーンでカウンセリングを受けているときです。 監督の言葉を借りると「純粋な笑い」だそうです。 なぜアーサーはその時本当に笑ったのでしょう。 それまでのアーサーは、周りの人間から正当に評価されず、社会にもうまく適応できずに生きてきました。 社会の中に自分が存在する価値すらないも同然。 そんな自分がある日を境に反権力のカリスマとなり、 いままで味わったことのない全能感を知ってしまった。 たとえそれがアーサーの妄想だとしても。 そんな狂気に満ちた全能感がアーサーを心から笑わせたのではないかと。 この瞬間に本当の意味でジョーカーが生まれたと言ってもよいのではないでしょうか。 ジョーカー誕生の秘密 アーサーは初めから悪のカリスマだったわけではありません。 人を笑わせることが好きな、不器用な人間だっただけです。 格差社会の中のさらに底辺に位置づけられ、障害のために奇異な目で見られたり理不尽な目に遭ったりする、 いわゆる社会の弱者。 いくら自分ががんばっても報われない、さらに信じていた者(母親)からも結果的に裏切られてしまう、そんな負の連鎖がどんどんアーサーを追い詰めていきました。 アーサーにはコメディアンになりたいという夢がありました。 コメディアンになる=人から認めてもらう、というのがアーサーの欲求です。 しかし、偶発的に起こってしまった地下鉄の事件から、アーサーは自分が意図しない方向で人々から認められていってしまうのです。 自分がしていたピエロの姿を真似する人々が街にあふれ、権力に対してものすごい負のエネルギーを向けていく。 その様子に アーサーは自分の中に力がみなぎるのを感じ始めるのです。 それは、弱者として抱えていた不満や不条理に対する憎悪の表出と、自分を馬鹿にした社会への報復欲求でもあります。 でもそれはアーサーだけに起こりうることなのか。 社会の歪はいつの時代も生まれるもの。 その歪から 誰かが新たなジョーカーとなる可能性がゼロだと言い切れるでしょうか。 warnerbros. 地下鉄で3人を銃殺したあと、トイレに駆け込んだアーサーはダンスをするうちに徐々に落ち着いていきます。 むしろ、人を殺してしまったことへの高揚感すら感じています。 マレーの番組に出演が決まり、髪を染めている時、階段を歩きながら、そして本番の幕が開く瞬間も、アーサーはダンスをしています。 パトカーのボンネットに立ち、ピエロ姿の群集に崇められているときも。 アーサーにとって ダンスとはアーサーからジョーカーになる儀式。 つまり残忍な部分であるジョーカーは、自分の中にいるもう1人の自分であることを受け入れているのです。 warnerbros. いきなり何を、と思いますよね。 社会学者のエミール・デュルケムによると、犯罪のない社会は存在しません。 ある一定の比率の犯罪が存在するのは、その社会が正常である証だとさえ言います。 犯罪が起こると、それに対する法律や道徳的な観念が生まれるということです。 確かに、犯罪がない社会というのは、そういう行為がまったくないのではなく、それを 裁くシステムがないために犯罪という概念がない社会だとも言えるでしょう。 悪を裁く機能が働いているからこそ、「それ犯罪ですから!」として罰則を与えたり、そういう悪いことはしてはいけないのだという道徳的な発想や戒めが生まれます。 そのサイクルが働いている社会を正常だというのです。 さらに、社会学の機能分析という側面から見てみると、「ジョーカー」には 顕在的機能と潜在的機能が存在していることが分かります。 「顕在的機能」とは、何かを企て実行した行為が実際にその目的通りの結果になることを言います。 そして、その行為が意図せずして社会に変化や影響をもたらすことを「潜在的機能」といいます。 アーサーが地下鉄でビジネスマンを殺そうと銃を撃った結果、3人が死亡したのは顕在的機能によるものだと言えるでしょう。 しかしそれが街の中に犯人を支持するムーブメンを起こすことになったのは、まさしく潜在的機能による結果です。 そして、その善悪に関わらず、 これらの現象は正常な社会の仕組みだと言えるのです。 だから「ジョーカー」で描かれているのは特別な現象ではないということ。 さらに言うと、その行為を起こすのはアーサーに限らないということ。 つまり、状況がそろえば誰もがジョーカーになる可能性がある。 そして、現代はそういう殺伐とした事件が珍しくない世の中。 そこがこの映画から伝わる怖さです。 アーサーは1人の人間というより社会の歪そのものなのかもしれません。 warnerbros. 観る人によってはとても陰鬱な気持ちになって映画館を後にする人もいるでしょう。 アメリカでは公開を中止した映画館もある問題作をおすすめするのはこんな人です。 善と悪について考えたい人 世の中には完全な善や完全な悪というのは存在しないかもしれません。 間違いなくジョーカーは善人ではありません。 でも善人ってなんでしょう? 悪人とはいったい? そんな簡単に答えの出ないことをじっくり考えてみたい人はぜひこの作品を観て考察を深めてください。 バットマンシリーズが好きな人 ジョーカーと言えばやはりバットマンのヴィランとして、人気のあるキャラクターでしょう。 その ジョーカーがどのように誕生したのか、という視点で観るのも楽しいです。 作品中にはブルース・ウェインや執事のアルフレッドなど、のちのバットマンの主要人物となるであろうキャラクターも登場します。 ブルースがバットマンになるきっかけとなった事件も描かれていますので、DCユニバースから独立させた作品とは言いながら、つながりを感じさせる部分がきちんと入っています。 ホアキン・フェニックスを知らない人 私は「ザ・マスター」のフレディ役の時の彼がすごく好きだったんですが、ジョーカーはその数倍素晴らしいです。 彼を知っている人ならその魅力については十分ご存じのはずですので、ぜひまだ知らないという人に観ていただきたいです。 おそらくジョーカーを観て、カッコいい・・・と思ってしまった人は、 ホアキン・フェニックスに魅了されたんじゃないかとも思います。 彼だったからこそ、この作品ができたと言っても過言ではないと思います。

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映画『ジョーカー』ネタバレ感想・考察!誰もが彼になりうるかもしれない...。悪の誕生、過去を描いた良作

ジョーカー考察

監督:トッド・フィリップス 脚本:トッド・フィリップス 制作:ヴィレッジ・ロードショー・ピクチャーズ 音楽:ヒドゥル・グドナドッティル キャスト:ホアキン・フェニックス、 ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツら 上映時間:122分 日本公開:2019年10月04日 配給:ワーナー・ブラザース 映画「ジョーカー」あらすじ 映画「ジョーカー」あらすじは以下のとおり 「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。 都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーに密かな好意を抱いている。 ジョーカーになる前の主人公「アーサー」は皆を笑わせる・楽しませる「コメディアン」を夢見ています。 貧乏な中、母親の介護もしていますし、非常に心優しい男なんですね。 ピエロの派遣会社で働いていて、ジョークを言ってもなかなか受けないですが、小児病棟などでは笑い(笑顔)をとることはできる。 彼には「笑ってはいけない場面で、ついつい笑ってしまう」という持病があります。 それが原因で、会社の同僚には疎まれ、おそらく友人もいない。 周囲の人には気味悪がられているんですね。 で、その病気を止める(笑いを止める)には薬が必要。 アーサーが住むのは、バットマンシリーズでおなじみの町「ゴッサム・シティ」は、腐敗した町です。 町の方針で福祉にお金をかけられないということが決まり、彼は薬を得られなくなる。 そんな矢先、母親もふとしたことから入院し、仕事も首になるという不幸が重なります。 彼は会社の同僚からもらった銃を使って…という話。 アーサーは銃で証券マン3人を衝動的に殺してしまいます。 警察に追われつつも、自身の父親らしき政治家のウェインに会いに行く。 すべては母親の妄想だった。 アーサーは母親を殺害し、「ジョーカー」の格好をして、呼ばれたコメディ番組に登場。 司会者を銃殺し、警察に捕まる。 ジョーカーの行動も相まって、町中の人は暴徒化し、ゴッサムシティは火につつまれる。 そしてアーサーは精神病院に入れられる、、、という結末。 監督は「ハングオーバー! 」のトッド・フィリップス 監督はコメディ映画「ハングオーバー! 」の監督で知られるトッド・フィリップス。 コメディの名手が手掛けた結果、「笑い」と「狂気」は紙一重ということがよく分かる一作となっています。 ジョーカーのテーマ考察(ネタバレ) 以下、ネタバレですのでご注意ください。 貧困と格差がある現代社会 心優しく、慎ましく生きているアーサー。 彼を支える福祉(セーフティネット)がなくなり、富裕層(上級国民)は映画を見て笑うだけである。 これが一種の社会批判になっています。 アーサーは、母親の言葉をずっと信じて、政治家のウェインを希望の対象と思っていた。 正義の味方であり、自分を救ってくれると。 しかしウェインは、アーサーが起こした事件を見て 「貧困な人々は社会の負け組。 ピエロの仮面をかぶらないと犯罪もおかせない臆病者」と語ります。 「狂っているのは自分か、世界か」と冒頭で問いかけがあるように、この格差社会そのものが間違えている、おかしいとしたら、それって壊れていいよね? というのが視聴者の無意識に埋め込まれる仕組みです。 現代日本が今よりも不況になったとき、このテーマがより如実に浮かび上がる気がします。 自分の中にいるジョーカーを肯定してもいいんじゃないか、と。 誰の心のなかにもジョーカーはいる 誰の心のなかにもジョーカー的な存在がいるんですよね。 で、この作品の恐ろしいところは、ジョーカーについつい感情移入しそうになるところです。 ジョーカーの貧困な状況、虐げられる状況。 ゴッサムシティの腐敗と、政治不信。 それらの救いようのない状況から、ついつい弱者の側であるアーサーに自己投影してしまう作りになっています。 しかし、徐々に「アーサーのヤバさ、狂気」が見えてきて、視聴者として彼を客観的に見られるようになっていく。 とそこで、アーサーが「本当の自分はこれだったんだ」と語るところから、 自分のほんとうの気持ちはなんだろう? 自分は素直に生きているのだろうか? と心揺さぶられるんですね。 物語の最後。 アーサーがコメディーショーの司会者を殺し、捕まります。 その際の街の描写が秀逸。 暴徒がゴッサムシティを火まつりにして、暴れているのですが、映像美もあいまって、なんともいえないカタルシスになります。 アーサーはその光景を本当に「美しい」と思っていたでしょう。 そして、事故にあって気を失っていたアーサーが生き返り、周囲から大歓声を浴びるシーン。 これこそ彼が思い描いてたものであり、ずっと認められたい、誰かに自分を見て欲しいと思っていた彼の願いが、いびつながらもかなったシーンなんですよね。 ここにきてアーサーの気持ちが少しわかる。 わかってしまう。 そこにこの映画のスゴさ、そして恐ろしさがあるのだと思います。 この作品を見た後のなんともいえない感覚の正体はなにか?• アーサーがかわいそうだった• 悪に落ちるのはダメだ• 上級国民(社会の上位層)許さない! などのシンプルな感想が、いだきにくいところだと思うんですよね。 つまり、自分の中にいるジョーカーを無意識に感じる。 だからこそ、見終わった後の「言葉にならない感じ」があるのだと思います。 チャップリン「人生は近くで見ると悲劇だが、 遠くから見れば喜劇」 作中にチャップリンの映画が映っていましたね。 また、近代社会を描いた作品「モダンタイムズ」のテーマ局「Smile」も何度も作中で使われていました。 「人生はずっと悲劇だと思っていた。 でも外から見れば喜劇なんだよな」 「主観で見れば喜劇だ」 ということを語っていました。 実際、映画内では、彼がジョーカーになった瞬間から、それまでのおどろおどろしい音楽が反転。 一気に明るい音楽が流れ、お立ち台から降りる彼の姿はなんとも晴れやか。 で、これってチャップリンが 「悲劇を喜劇」に見せたのと逆。 ジョーカーという作品は 「喜劇が悲劇」に見えるんですよね。 ジョーカーからすれば 「悲劇に思えていた人生は、実は喜劇だった」という主観。 しかし、それを更に外側から見ている我々からすると、それは「悲劇」だよね、と感じてしまう。 この構造が非常に面白い。 ジョーカーの面白い部分の感想(ネタバレ) 土台がグラグラ揺れる感じ(妄想が連発する) この作品のエンターテイメントとして面白いところは、主人公アーサーの見えていた世界にトリックがあるところですね。 つまり、アーサーは妄想をしていた、ということが分かり、見えていたシーンが嘘だったと分かる。 同じマンションに住む女性とは何も関係がなかったこと。 母親とウェインの子どもかもしれない?と思いきや、妄想だったこと。 そうやって、自分を支えていた「何か確からしいもの」が音を立てて壊れていく感じを疑似体験できるんですよね。 それがあるから、• そもそも全てはアーサーの妄想だったんじゃないか?• コメディショーに呼ばれたのすら妄想だったのでは? とついつい思ってしまったり。 不穏な音楽と相まって、作品の土台がグラグラ揺れる感じが見ていて堪らなかったです。 僕らの中に潜む悪意と、消費税増税の今公開されることの意味 日本で「消費税」が増税された10月。 この作品は公開されました。 今後確実に不景気になる時代に、このゴッサムシティの「悪」と行き場のない「不満」を見ると、なんとも言えない気持ちになります。 結局、人々の暮らしは貧しく、日常には悪意が溢れ、一方で上級国民たちは良い暮らしをしている。 そんなことを無意識に思っている中で、この作品最後の「暴徒たちが町を壊す」が妙に爽快です。 ジョーカーという作品を通じて「悪はいけないことだ」ということはよく分かりつつも、いつの間にかジョーカーに心を奪われた我々は、その光景にどこかカタルシスというか、なんともいえない良さを感じるんですよね。 もちろん、理性の上では「町を壊すのはダメだし、テロもダメだ」ということはわかっている。 ただジョーカーが語るように「本当の自分はこういうものだ」という気持ちもどこかにある。 つまり、感情の奥底には自分にも「ジョーカー的なもの」があるんじゃないか、とゾッとするわけですよ。 アーサー(ジョーカー)の人生を想像する アーサーは最初、弱いものとして描かれます。 同僚には嫌がらせをされますし、上司には疎まれる。 不良少年たちにボコボコにされるし、カウンセラーは自分の話をまともに聞いてくれない。 彼は小児病院に銃を持っていったことで、仕事をクビになるわけですが、それまで何か悪いことをしていのだろうか?とつい思ってしまいます。 そもそも、小児病棟では、彼は笑いをとれていたというか仕事をできていたわけですし、母親の介護もしていた、と。 つまり、彼自信はもともと「優しい人」ということが描かれています。 一方で、同じマンションに住む女性をストーカーしたりと、狂気の面、悪い一面も確かに持っている。 一方で、直接的な告白などはできなかった(妄想だった)というところから、彼の弱さ、自信のなさが浮かび上がります。 というのも「チック症」みたいな笑いで、社会生活を送るのが大変難しかっただろうと思うんですよね。 友達はいない。 同僚にも疎まれる。 上司にもバカにされる。 彼のこれまでの人生を想像するとなかなかに悲惨です。 まともな仕事にはつけないでしょうし、まともな人間関係はつくれなかっただろう、と。 ジョーカーの分かりづらいところを解説 アーサーと母親はどこまでが妄想か問題 私の解釈ですが• 彼の希望• 自分の愛しているという発言を受け入れてくれる• 自分の「笑い」も受け入れてくれる• すべてを捨ててでも「君を息子にしたい」と言ってくれる が詰まっていたということ。 アーサーが母親を殺した理由は? 自分を騙していたというのもそうですが、アーサーが笑う病気になったのは、虐待のせいなんですよね。 過去の新聞に「頭の大怪我」というのがありましたけど、あれが直接の原因でしょう。 なぜ小人病の元同僚は許された? ここまでさんざん書いていますが、アーサー自身はもともとは心優しい人間なんですよね。 で、小人病の元同僚に対しては、優しくしてもらっていた。 これは、彼がそのネタを笑ってはいけないと考えていたということ。 つまり、もともと悪い感情は持っていなかった。 アーサーからすると彼は数少ない「友人」だったんですよね。 ウェインってそもそも誰?あの子どもは誰? これはバットマンシリーズを見ていないとわからないと思います。 政治家のウェインは、大金持ちでしたよね。 で、政治家ウェインの息子「ブルース・ウェイン」が途中に出てきましたよね。 彼は、後のバットマンです。 で、物語最後の暴動が起きた日は、ウェイン夫妻は殺されて、ブルースウェインが一人残されました。 つまりこれは、 アーサーがジョーカーとして目覚めた日でありながら、 ブルース・ウェインがバットマンになるキッカケの日でもあった… という描写ですね。 映画「ジョーカー」誕生に影響を与えたキング・オブ・コメディとタクシードライバー 映画「ジョーカー」誕生に影響を与えた映画は主に3つ。 キング・オブ・コメディ• モダンタイムズ• タクシードライバー 名作『タクシードライバー』。 主人公トラヴィスは低賃金のタクシードライバーをしつつ、世の中を憂う。 ある日、堕落した世の中をクリーンにしてあやると思ったトラヴィスは、モヒカン・サングラスにイメチェンする。 そして、大統領候補の政治家の暗殺を企てる。 この作品も、監督自身が影響を受けたと語っていますし、見終わった後の「なんともいえない感じ」が近しい。 この映画を見ると、ジョーカーがより深く楽しめるので、是非見ておきましょう。 まとめ:ジョーカーは今見るべき映画 ハッキリ言って、ジョーカーを見ても良い気持ちにはなりません。 なんとも言えない気持ちで終わるはず。 それはきっと、自分の中にあるジョーカー的なものに気づいたからだと思います。 なんとなく世界情勢が悪くなりそうな予感と、閉塞感のある日常。 そういった現代だからこそ、見る価値がある作品だなと思います。 自分でもまだ咀嚼しきれていない作品です。 見終わった後の、なんとも言えない感じを持っている方、コメント待ってます。

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