おんな 武士道。 【 日本人なら読みたい 】新渡戸稲造「武士道」にみる日本人のこころ

(337)おんな武士道 ~剣道八段に挑む女性たち~ : ワンパク剣士の場外快進撃

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6月16日 月 放送のNHKミッドナイトドキュメンタリーは「おんな武士道~剣道八段に挑む女性たち~」が放送されます。 新しい時代を開こうと挑み続ける女性剣士の物語です。 【女性初の剣道八段をめざす】 人生をかけて修練してきた成果を「2分間」にこめる、女性剣士の物語を…。 その歴史の中で女性の合格者はまだいない。 その剣道八段の高みを目指す女性がいる。 これまで20回以上、審査会に挑戦してきた。 今年5月の審査会(京都)にも彼女の姿があった。 課題は「初太刀」と呼ばれる最初の一振り。 人生をかけて修練してきた成果を2分間に込める。 その不屈の闘志の陰には、20代で出会った宿命のライバルの存在があった。 新しい時代を開こうとする女性剣士の挑戦の物語 再放送・見逃し配信 放送 2019年6月16日 月 夜10時50分~11時20分 再放送 2019年6月29日 土 午前10時55分~ 【29日午前・再】「おんな武士道~剣道八段に挑む女性たち~」は、29日 土 午前に再放送予定。 女性初の 八段をめざしこれまで20回以上、審査会に挑戦してきた元高校教員。 不屈の闘志の陰には宿命のライバルの存在が…。 新しい時代を開こうとする女性剣士の物語。 ミッドナイトドキュメンタリーとは? NHK総合にて月曜夜に不定期で放送されているドキュメンタリー番組。 今回のミッドナイトドキュメンタリー 「おんな武士道~剣道八段に挑む女性たち~」は見逃し動画の配信はありません。 再放送は、 2019年6月29日 土 午前10時55分~予定されています。 動画配信について、現在は以下2作品のミッドナイトドキュメンタリーを動画配信サービスで配信中です。 - カテゴリー•

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大江戸捜査網(5)(第153回・通算第562回)おんな武士道・赤い暗殺網

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日本の試験の中でも最難関と言われる・・ 「剣道八段審査」 合格率わずか1%未満と言われ 毎年、七段から八段への昇段を目指し 何千人と受けるのですが 合格するのは1000人受けても3~5人程度と言われています。 とにかく厳しい世界なのです。 その厳しい門に、現在一人の女性剣士が10年以上挑戦されています。 その方こそ 根本道世先生 プロフィール 大阪修道館で11歳の時に剣道を始める 天理大学に進学 卒業後は布施高校で指導 1977年、1978年 全日本女子剣道選手権優勝 平成7年 七段を取得 現在八段審査に10年以上挑戦中 女性剣道家のパイオニアのような方です。 そんな彼女の人生に迫ってみました。 スポンサードリンク 始めたころは女性一人 11歳の時に家の近くにあった、 修道館(大阪城公園内にある道場)で剣道を始められたそうですが、 始めた当初は女の子は一人!! やめたくて仕方なかったとのこと・・。 今でも男性比率の方が高い剣道ですから、ほんと40年前なんかは女性剣士はすごい少なかったと思います。 しかし周りからの応援もあり、がんばって続けてくうちに剣道の面白さに目覚めたそうです。 全日本2連覇の実績 全日本剣道選手権は現在テレビ放映は男子しかされていませんが、 全日本女子剣道選手権大会も1962年から行われています。 根本先生は1977年と1978年に二連覇されています。 ライバルである堀部あけみ先生に2年連続で勝って二連覇でした。 (当時は四段) そんなすごい実績のある根本先生ですが・・ 大学卒業後に指導者として歩み始めた人生は決して平坦ではなかったとのこと 女性が男性を指導するなんて 根本先生が大学を卒業して、高校で指導を始めたのは1970年代後半・・ 今以上に女性剣士は女性の剣道指導者は少なかった上に 社会的な構造も 「男子は外・女子は家」 「女子は男子の上に立つものではない。 」 っという観念が今以上に強く 「女が男を指導するなんて・・・。 」 っとよく言われたそうです。 女性であるが故の差別的な発言もしょっちゅうだったのだとか・・ (今でも剣道界は男性中心ですしね・・。 ) 七段合格後のあり得ない男性からの言葉 根本先生は現在剣道七段 七段に受かったのは平成7年のこと。 八段審査を受け始めたのは恐らく平成17年あたりからだと思いますが・・ (七段合格後10年たたないと八段を受けることができない。 ) その七段に受かった際に・・ 「女性の七段は男性の八段と同じだから。 」 と言われたそうなのですが・・ 後々八段を受けようとしたときにその言葉の意味を教えられ、 その言葉の意味は、 「女性が八段を受ける必要はない。 女性が八段に受かることはない。 だから八段の世界に入って来るな。 」 っという意味だったそうで・・。 「なんでや!」っと思った先生はその保守的で、男性中心の剣道界の突破口となるべく10年以上剣道八段に挑戦し続けているそうです。

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根本道世【八段を目指す女性剣士の経歴】~おんな武士道~

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本書は、武士道を、中世以前の武士道(「葉隠」的武士道)+近世の武士道(儒教的な「士道」)と、近代の武士道(新渡戸稲造等の「明治武士道」)に、二分し、まず、近代の武士道は、武士の実態とは乖離した、文明国家の体制確立のための、軍人・国民(臣民)道徳思想だと、指摘しています。 つぎに、武士のいない近代の武士道以外が、本来の武士道だとし、これを中世以前の武士道(戦闘者)から、近世の武士道(為政者)への転身と、認識しており、本書では、この本来の武士道を中心に、取り上げています。 しかし、筆者は、「葉隠」を訳注し、思い入れが過剰なのか、中世以前の武士道は、「葉隠」的な武士道だけではなく、臣下の主君からの離反や謀反も、度々みられたのに、本書では、それが一切、取り上げられていません。 つまり、「葉隠」的武士道も、儒教的な「士道」も、臣下の主君への絶対忠誠なので、中世以前の武士道には、「葉隠」的武士道以外の武士道も、想定しなければ、武士道の変遷を、網羅したことにはならず、それは、次のように、まとめることができます。 中世以前の武士は、主君の御恩(「徳」)と臣下の奉公(「忠」)の主従関係で、主君は、実力主義ですが、臣下は、隷属的・宿命的な家人(けにん)型と、自立的・契約的な家礼(けらい)型に、大別できます。 家人型の臣下は、主君への絶対忠誠が、自分や一家・一族の利得(「孝」)なので、「忠孝一致」といえ、これは、「葉隠」的武士道に相当する一方、家礼型の臣下は、「孝」の有無で、主君に服属か離反(謀反)かを選択するので、「忠孝分離」といえ、これは、主君に儒教道徳(「徳」)が要求されます。 それが、近世には、戦乱が終結し、身分・地位が固定化・安定化したので、武士の主従関係も、主君は、血統主義になり、交代がないので、臣下の意識を改変するしかありません。 なので、主君の「徳」ではなく、臣下に儒教道徳が要求され、浪人以外の役人化した武士は、主君へ絶対忠誠になり、中世武士の家人型のみだった「忠孝一致」が、ほとんどの武士へと、適用が拡大しましたが、徳川将軍家にとって、譜代大名は、家人型的な家臣、外様大名は、家礼型的な家臣といえます。 そして、近代には、士農工商の身分が、廃止され、全国民が、君主の天皇の臣下(臣民)になると、天皇は、純粋な血統主義で、ここでも、交代がないので、臣民の意識を改変するしかありません。 こうして、天皇の「徳」ではなく、臣民に儒教道徳が要求され、全臣民は、天皇へ絶対忠誠になり、近世武士のみだった「忠孝一致」が、当初は軍人のみでしたが、最後には全臣民へと、適用が拡大しました。 このように、時代の社会環境の変化により、「忠孝一致」の対象者が、どんどん拡大していき、最後には全国民になるとともに、当初は、私的な思想だった武士道が、最後には公的な思想になり、先の大戦では、天皇への絶対忠誠で、「死」が強要され、それが多大な犠牲となっています。 ただし、中世と近世の境目には、豊臣政権が、2度の朝鮮出兵を失敗し、徳川政権は、日本の勢力拡大の政策を継承しなかったので、武士各人の領地拡大もなくなり、鎖国へと転換、世界が閉じたので、武士は、戦闘者の実力主義から為政者の血統主義になり、役人化を受け入れるしか、ありませんでした。 一方、近世と近代の境目には、開国で世界が開き、天皇尊崇のもと、下級武士が、上級武士への絶対忠誠を破棄し、武士は、主君への「忠」や一族・一家への「孝」より、自分個人の意志で結集し、維新政府が樹立され、四民平等の臣民が、天皇と直結したのが、天皇への「忠孝」につながりました。 ここまでみると、本書の限界は、第1に、武士道の思想の背景となる、時代の社会環境が、考慮されていないこと、第2に、中世以前の、自立的・契約的な家礼型武士道を、取り上げていないことで、思想には、賞味期限があり、筆者が、武士道を、どのように切り取ったのかに、注意すべきです。 「葉隠」が執筆されたのは、江戸中期で、身分・地位が固定化・安定化した社会なので、浪人になる以外、武士には、職業選択の自由がほぼなく、自分が嫌悪する他人から、逃れられないので、万一の際には、刀を抜くことになったのでしょう。 ですが、現代は、話し合いで、自他の対立を解決できなくても、最終的に自分が、そこから退散できれば、問題自体がなくなるのに、そこで刀を抜いて、相手を斬るのは、近世よりも、野蛮・極悪な行為になります。 そうみるのは、現代に、隷属的・宿命的な関係は、極稀だからで、もし、そのような極限の環境下であれば、情状酌量の余地があると判断されますが、そうして、時代の社会環境を、考慮しないと、思想を取り上げる意味は、まったくなく、異様で危険な思想だと、相手にされず、一蹴されるだけです。 おそらく筆者は、中世以前の、自立的・契約的な家礼型武士道を、打算的で、謀反に道徳はないとし、あえて除外したとも、推測できますが、現代は、実力主義で、自立的・契約的な関係が、原則なので、家人型武士道(「葉隠」的武士道)より、家礼型武士道が、現在の道徳と類似しているでしょう。 そうなると、「葉隠」の意義は、どこにあるかですが、それは、家人型武士道を、儒教的な「士道」という「思想」(道徳)ではなく、「形式」(理屈なしの感情・行動の様式)で表現したかったからと、みることができ、これらは、宗教の教義面(「思想」)と儀礼面(「形式」)の、両面のようです。 「葉隠」で、武士道を「形式」化したのは、「思想」は、忘れ去られても、「形式」は、生き残るからで、「孝」の目的のための手段が「忠」なら、「思想」的で打算的ですが、単純な「死」や純粋な「恋」は、理屈でない感情・行動なので、何とか「形式」に踏み留めようとしたとも、読み取れます。 近世の宗教は、儒教が、「思想」をほぼ独占したので、仏教・神道は、庶民に難解な「思想」(教義)を布教するよりも、寺社参詣という「形式」(儀礼)を、植え付けようとしており、「葉隠」で、武士道を「形式」化したのも、儒教的な「士道」という「思想」に、対抗しているようにみえます。 それで、近世も近代も、主君・君主の為政者の血統主義で共通しているので、実際には、先の大戦でも、難解な「思想」はなく、軍人勅諭・教育勅語・帝国憲法等の、簡単な「葉隠」的武士道のような「形式」が、受け入れられ、「思想」は、忘れ去られても、「形式」は、生き残ることが、実証されています。 武士がまだ戦闘に明け暮れていた当時の思想と、永らくの太平ののち帯刀を廃し、近代哲学に触れた当時の士道が異なるのは当たり前です。 そんな事をあげつらって鬼の首取ったような趣向は偏りがあると言わざるを得ません。 結果論として封建制をその母とする武士道がその戦闘的な思想を脱しきれず、軍部の正当化に利用されていった事は免れない事実です。 しかし特に新渡戸稲造の武士道の価値は、当時の軍部に叶った思想であるというより、あくまで日本人の精神性の高さを、古来よりの西洋哲学に比して論じた事に価値があるのです。 彼の武士道の中で新渡戸は、結局は封建の世の一個産物である武士道が「もはや今は亡きものであり、あくまでその精神の美徳のみにおいて日本の人々に受け継がれ得る」ものだと断言しています。 またその当時に、あらたなる鳳凰のように羽ばたいて見えるその思想が、あたかもその鳥が死の灰からのみしかたち登れないものだと暗喩し、思想自身の弱点と不吉な未来の示唆も忘れていません。 その後の彼の平和の使徒としての活躍をみれば自ずと明らかな事だと思います。 その他読者の方は新渡戸の武士道を読んで再考を忘れないでいただきたいと思います。 可能であれば、英語の原文で読んだ方が、真の意図を汲めるかと思います。 現代を生きる我々にこそ価値があります。 武士が生きた時代に、武士の武士たるあり方として形成された「武士道」と、武士が退場した時代に、日本国民の日本国民たるあり方として編成された「明治武士道」とは明確に違う。 これが、一読すればすぐ分かる本書の核心である。 本来の「武士道」、即ち自己と守るべき妻子や領地や主君とを徹底的に守り抜こうとする私的戦闘者としての武士。 この点を論じた第五章はスリリングな展開を見せ、思わず手に汗を握る。 武士の私的な主従関係を徹底的に否定しながら、その関係を天皇と国民との関係にスライドさせる。 その綱渡りのような危うさは、しかし矛盾をはらみつつも、近代日本ネイションの構成原理として国民国家の中心に据えられたのである。 そうした原理が否定された戦後日本。 だが、筆者は言及していないが、依然としてそこにも「戦後武士道」とでも称すべきものが存在するように私には感じられる。 例えば司馬遼太郎・早乙女貢・『プレジデント』誌・戦国時代史や幕末維新史の根強いファン…。 彼等の扱う論理もまた、「武士道」の名を冠しつつも、本来の「武士道」とは違うものである。 「明治武士道」とも違う。 ではいったい「戦後武士道」とは何か。 今後に残された課題であろう。

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