あなた の 瞳 に 映っ て 歌詞。 黒い目(黒い瞳): 二木紘三のうた物語

黒い目(黒い瞳): 二木紘三のうた物語

あなた の 瞳 に 映っ て 歌詞

ロシア民謡、日本語詞:門馬直衛/堀内敬三 (日本語詞:門馬直衛) 1 美しき 黒い目よ 燃えたてる 君が目よ こがれては 忘れえぬ わが君の 黒い目 2 その瞳 見ざりせば のどかにも 暮らせしを なやましき 黒い目よ わが幸を うばいぬ 3 いつまでも 燃えさかり 消え去りぬ 黒い目よ わが生命 (いのち) 絶ゆるごと くるおしき 黒い目 (日本語詞:堀内敬三) 1 黒い目 君の目よ 狂おしく 燃える目よ いつまでも まぼろしに うかぶのは 黒い目よ 2 あの日の あの夜の 悲しさよ くるしさよ 呪われた 愛情は 飢えていた 燃えていた 3 いつまでも まぼろしに 浮かぶのは 黒い目よ このいのちを かけた恋 忘れ得ぬ 黒い目よ (原詞1 イェウーヘン・パヴローヴィチ・フレビーンカ) 1. (原詞2 フョードル・イヴァーノヴィチ・シャリャーピン) 1. 《蛇足》 わが国では、『黒い瞳』というタイトルでも知られています。 同じロシア民謡の『』とよくまちがわれます。 この曲は、ロマ音楽の影響を受けたロシア・ロマンスとして知られてきました。 ロシア・ロマンスについては、『』で少し触れていますが、ロシア風歌曲といったところでしょうか。 作曲者については信憑性の高い資料が見つかりませんでしたが、ナポレオン の ロシア戦役の際にフランス軍楽隊の隊長だったフロリアン・ヘルマン(Florian Hermann) が作ったとする説が有力です。 彼が作った曲は2拍子の軍隊行進曲だったようですが、やがて3拍子のワルツで演奏されるようになり、さらにロマ音楽の影響を受けて、私たちが知る 『黒い目(瞳) 』 となりました。 この音は、咳払いするときにのどの奥から出すような音、すなわち日本語の「は、へ、ほ」に似た音になるので、Hermannと表記されるようになったようです。 1812年、ナポレオンは70万人の大軍でロシアに侵攻したものの、ロシア軍の焦土作戦に遭って惨敗、祖国に帰還できた者は2パーセントに満たなかったといわれます。 フロリアン・ヘルマンも、おそらく戦死か餓死したと思われます。 しかし、彼の経歴も作曲時期も不明です。 作曲関係の情報がきわめて曖昧なのに対して、作詞の経緯や時期ははっきりしています。 フレビーンカは、退役大佐の娘、マリア・ヴァシリヴニェ・ロステンベルグに会ったとき、一目で恋に落ち、その美しさを讃える3聯の詩をウクライナ語で書きました。 彼はその詩を自らロシア語に訳して、『文芸新聞(Literaturnaya Gazeta 』に投稿、1843年1月17日号に掲載されました。 翌年2人は結婚しましたが、フレビーンカは1848年12月3日、結核のため亡くなってしまいました。 わずか36年の生涯、4年弱の結婚生活でした。 その約半世紀後、ロシアの高名なバス歌手、フョードル・イヴァーノヴィチ・シャリャーピン(Foedor or Fyodor Ivanovich Chaliapin 1873-1938) が、フレビーンカの詩を下敷きにして5聯の歌詞を作り、自分のレパートリーに加えました。 彼はそれをイタリアのバレリーナ、イオーレ・トルナーギに捧げ、2人はのちに結婚しました。 上の写真は シャリャーピン夫妻です。 余談ですが、シャリャーピンの名は、シャリアピン・ステーキの創始者として多くの日本人に記憶されています。 昭和11年(1936) に彼が来日した折、柔らかいステーキが食べたいという彼の希望に応じて帝国ホテルの料理長が考案したもので、簡単にいえば牛肉のマリネステーキです。 日本以外ではほとんど知られていないので、外国のレストランで「シャリアピン・ステーキを」と注文しても通じないようです。 2つの詩の英訳を挙げておきましょう。 (フレビーンカ版) 1. Black eyes, passionate eyes, Burning and beautiful eyes! How I love you, how I fear you, It seems I met you in an unlucky hour! Oh, not for nothing are you darker than the deep! I see mourning for my soul in you, I see a triumphant flame in you: A poor heart immolated in it. But I am not sad, I am not sorrowful, My fate is soothing to me: All that is best in life that God gave us, In sacrifice I returned to the fiery eyes! (シャリャーピン版) 1. Dark eyes, burning eyes Passionate and splendid eyes How I love you, How I fear you Truly, I saw you at a sinister hour 2. Dark eyes, flaming eyes They implore me into faraway lands Where love reigns, where peace reigns Where there is no suffering, where war is forbidden 3. Dark eyes, burning eyes Passionate and splendid eyes I love you so, I fear you so Truly, I saw you at a sinister hour 4. If I hadn't met you, I wouldn't be suffering so I would have lived my life smiling You have ruined me, dark eyes You have taken my happiness away forever 5. Dark eyes, burning eyes Passionate and splendid eyes I love you so, I fear you so Truly, I saw you at a sinister hour 私感ですが、これらの詩に描かれたような神秘的で情熱的な瞳に出会い、恋に落ちた場合、その人と結婚するというのはどうなんでしょう。 憧れは実態を知らないことから生まれるといいます。 結婚して生活をともにするうちに、黒い瞳の衝撃力は消えてしまうのではないでしょうか。 ドストエフスキーも、「人間は何にでも慣れる動物である」といっています。 このやや哀調を帯びた官能的なメロディが世界に知られるようになったのは、アルフレッド・ハウゼが自作のコンチネンタルタンゴ『』のなかにこのメロディを取り入れて演奏してからだと思われます。 また、ルイ・アームストロングは、映画『グレン・ミラー物語』のなかで『オチ・チョー・ニ・ヤ(黒い瞳) 』というタイトルで、トランペットを吹き、かつ歌っています。 スペインの歌手、フリオ・イグレシアスは『黒い瞳のナタリー』というタイトルで情熱的に歌い、70年代から80年代にかけて世界的な大ヒットを飛ばしました。 (二木紘三) (曲および「蛇足」を全面的に書き直したので、再アップロードしました。 そのため、以前にご投稿いただいたコメントとの日付がずれています)。 鮮烈なイメージを喚起させますね。 ウェブで歌詞を調べてみましたら、いくつものバリエーションのあることを知りました。 僕の知っている歌詞の二番に、「私にはあなたの黒い瞳のなかに、私の心の死を悼む喪章が見える」という句があります。 僕がこの歌に出会ったのは、私塾でロシア語を習っていたときのことで、「キャビアを、ウォッカを、そしてバイオリンを」(コンサートホール ソサエティ)という題の書かれたレコードを聴かされました。 鬼先生が、こう言ってるのだよ、とハルピン仕込みのロシア語で朗々と歌い上げてくれました。 投稿: イサコフスキー 2011年6月17日 金 18時16分 かんこどりさん、ウィキペディアには、ジャネット・リンの落書きは今も保存されていると書かれています。 今から25年前の札幌冬季オリンピック大会の女子選手村となった五輪団地だ。 銀盤の妖精の愛称で人気を集めた、ジャネット・リン選手がその一室の壁に残した 「PEACE LOVE」 の落書きは、その後、部屋の住民が五回以上も変わるうちに風化して読めなくなってしまった。 / 現在室内を改修中で、江別市在住のオーナー(個人名省略)(62)は 『落書きは残しておきたかったが、時の流れの前にはしようがない』 と話す。 」というネット上の記事もありました。 五輪団地そのものは今もあるようですが、落書きはその後本当はどうなったのでしょうね…。 投稿: 眠り草 2011年7月24日 日 13時12分 かんこどりさん ジャネット・リンの落書きについて「本当はどうなったのでしょうね」と書いた者です。 その後、ウィキペディアには注釈が加えられました。 落書きは二つあったのだそうです。 札幌オリンピック当時のは改装時に消えたようです。 ジャネット・リンはオリンピックの3年後に訪れて、その時に残した落書きは、アクリル板で覆われ今も保存されているそうです。 私には時々棘のあることを書く癖があり、人様を傷つけてしまいますので、気になって確かめてみました。 朝日新聞デジタル【白銀の祭典 札幌五輪から40年】 五輪団地に残るサイン 大切に守る夫妻 2012年02月03日 投稿: 眠り草 2012年8月13日 月 12時15分 ハコベの花様が挙げられていたイタリア女優シルヴァーナ・マンガーノは、 巨匠ルキノ・ヴィスコンティのお気に入りの女優でしたね。 「ベニスに死す」「ルードヴィヒ」「家族の肖像」など、高貴さと妖婉さを備えた、またセクシーさをも漂わせていた、存在感のある女優だったと記憶してます。 奇才パゾリーニに請われて「王女メディア」など数本出演しましたが、作品の難解さもあってマンガーノの魅力もいまひとつでした。 「黒い瞳」が87年作で、その2年後に亡くなってますね。 私は、ダーク・ボガードが主演した「ベニスに死す」のマンガーノに魅了されました。 『あの美少年タジオにこの母親ありき』ですね。 マーラーの音楽とマンガーノの美しさがベニスの街に、えも言われぬドラマ性を創っていたように思います。 もしかしたら、ハコベの花様はご容貌、マンガーノに似てらっしゃるのかなぁ……と。 ごめんなさい。 投稿: かせい 2012年9月 4日 火 01時32分 ハコベの花さまのコメントを見て思い出した記憶の断片を書かせて頂きます。 まず【黒い瞳】という映画は見た記憶があります。 大きな瞳の美人女優さんが出演していました。 相手役の男優の記憶もなくストーリーさえもまったくおぼえていませんが、セリフが英語ではなかったことだけが鮮明に残っています。 当時は神戸には【名画座】というこじんまりとした映画館がありました。 ヒットした映画を二本立てで上映しており、すきな映画は何度でも見ることが出来て、一人でも入れる場所でした。 当時はイタリア映画に魅せられていたのですが、好きな映画の付属のような映画だったと記憶しています。 この映画の結末は多分悲恋だったと思うのです。 ハコベの花さまのお好きな女優さん(マンガーノ)は、確かに綺麗でしたね。 彫が深くて鼻が高くて、どちらかというと、冷たい感じのする美人でした。 「ソフイア・ローレン」の役がらとは対照的にセリフも少なく、神秘的な雰囲気を醸し出す女優さんでした。 印象に残ってるのはあの「ワグナー夫人」役でした。 今ではあの映画の題名すら、記憶にありませんが・・・・。 「ワグナー役」は【第3の男】にも出ていた有名男優でした。 ワグナーが指揮者の夫人を奪った経由や、公演にも同行させて【事実上の夫人」となったことが、その映画に描かれていました。 ずっと無表情で言葉少ない役だったのにあの美貌は記憶に残っています。 映画史上に残るような女優は強烈な個性の持ち主でした。 私は今も「ソフィア・ローレン」が大好きです。 ハコベの花さまのコメントで、昔の消えかかった記憶の一ページを、ひもとくことが出来ました。 友人が私に「想い出はたくさん作っておけよ」と残した遺言のようなことば、かみしめて今も生きています。 投稿: mitsuko 2016年4月24日 日 16時18分.

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ロシア民謡、日本語詞:門馬直衛/堀内敬三 (日本語詞:門馬直衛) 1 美しき 黒い目よ 燃えたてる 君が目よ こがれては 忘れえぬ わが君の 黒い目 2 その瞳 見ざりせば のどかにも 暮らせしを なやましき 黒い目よ わが幸を うばいぬ 3 いつまでも 燃えさかり 消え去りぬ 黒い目よ わが生命 (いのち) 絶ゆるごと くるおしき 黒い目 (日本語詞:堀内敬三) 1 黒い目 君の目よ 狂おしく 燃える目よ いつまでも まぼろしに うかぶのは 黒い目よ 2 あの日の あの夜の 悲しさよ くるしさよ 呪われた 愛情は 飢えていた 燃えていた 3 いつまでも まぼろしに 浮かぶのは 黒い目よ このいのちを かけた恋 忘れ得ぬ 黒い目よ (原詞1 イェウーヘン・パヴローヴィチ・フレビーンカ) 1. (原詞2 フョードル・イヴァーノヴィチ・シャリャーピン) 1. 《蛇足》 わが国では、『黒い瞳』というタイトルでも知られています。 同じロシア民謡の『』とよくまちがわれます。 この曲は、ロマ音楽の影響を受けたロシア・ロマンスとして知られてきました。 ロシア・ロマンスについては、『』で少し触れていますが、ロシア風歌曲といったところでしょうか。 作曲者については信憑性の高い資料が見つかりませんでしたが、ナポレオン の ロシア戦役の際にフランス軍楽隊の隊長だったフロリアン・ヘルマン(Florian Hermann) が作ったとする説が有力です。 彼が作った曲は2拍子の軍隊行進曲だったようですが、やがて3拍子のワルツで演奏されるようになり、さらにロマ音楽の影響を受けて、私たちが知る 『黒い目(瞳) 』 となりました。 この音は、咳払いするときにのどの奥から出すような音、すなわち日本語の「は、へ、ほ」に似た音になるので、Hermannと表記されるようになったようです。 1812年、ナポレオンは70万人の大軍でロシアに侵攻したものの、ロシア軍の焦土作戦に遭って惨敗、祖国に帰還できた者は2パーセントに満たなかったといわれます。 フロリアン・ヘルマンも、おそらく戦死か餓死したと思われます。 しかし、彼の経歴も作曲時期も不明です。 作曲関係の情報がきわめて曖昧なのに対して、作詞の経緯や時期ははっきりしています。 フレビーンカは、退役大佐の娘、マリア・ヴァシリヴニェ・ロステンベルグに会ったとき、一目で恋に落ち、その美しさを讃える3聯の詩をウクライナ語で書きました。 彼はその詩を自らロシア語に訳して、『文芸新聞(Literaturnaya Gazeta 』に投稿、1843年1月17日号に掲載されました。 翌年2人は結婚しましたが、フレビーンカは1848年12月3日、結核のため亡くなってしまいました。 わずか36年の生涯、4年弱の結婚生活でした。 その約半世紀後、ロシアの高名なバス歌手、フョードル・イヴァーノヴィチ・シャリャーピン(Foedor or Fyodor Ivanovich Chaliapin 1873-1938) が、フレビーンカの詩を下敷きにして5聯の歌詞を作り、自分のレパートリーに加えました。 彼はそれをイタリアのバレリーナ、イオーレ・トルナーギに捧げ、2人はのちに結婚しました。 上の写真は シャリャーピン夫妻です。 余談ですが、シャリャーピンの名は、シャリアピン・ステーキの創始者として多くの日本人に記憶されています。 昭和11年(1936) に彼が来日した折、柔らかいステーキが食べたいという彼の希望に応じて帝国ホテルの料理長が考案したもので、簡単にいえば牛肉のマリネステーキです。 日本以外ではほとんど知られていないので、外国のレストランで「シャリアピン・ステーキを」と注文しても通じないようです。 2つの詩の英訳を挙げておきましょう。 (フレビーンカ版) 1. Black eyes, passionate eyes, Burning and beautiful eyes! How I love you, how I fear you, It seems I met you in an unlucky hour! Oh, not for nothing are you darker than the deep! I see mourning for my soul in you, I see a triumphant flame in you: A poor heart immolated in it. But I am not sad, I am not sorrowful, My fate is soothing to me: All that is best in life that God gave us, In sacrifice I returned to the fiery eyes! (シャリャーピン版) 1. Dark eyes, burning eyes Passionate and splendid eyes How I love you, How I fear you Truly, I saw you at a sinister hour 2. Dark eyes, flaming eyes They implore me into faraway lands Where love reigns, where peace reigns Where there is no suffering, where war is forbidden 3. Dark eyes, burning eyes Passionate and splendid eyes I love you so, I fear you so Truly, I saw you at a sinister hour 4. If I hadn't met you, I wouldn't be suffering so I would have lived my life smiling You have ruined me, dark eyes You have taken my happiness away forever 5. Dark eyes, burning eyes Passionate and splendid eyes I love you so, I fear you so Truly, I saw you at a sinister hour 私感ですが、これらの詩に描かれたような神秘的で情熱的な瞳に出会い、恋に落ちた場合、その人と結婚するというのはどうなんでしょう。 憧れは実態を知らないことから生まれるといいます。 結婚して生活をともにするうちに、黒い瞳の衝撃力は消えてしまうのではないでしょうか。 ドストエフスキーも、「人間は何にでも慣れる動物である」といっています。 このやや哀調を帯びた官能的なメロディが世界に知られるようになったのは、アルフレッド・ハウゼが自作のコンチネンタルタンゴ『』のなかにこのメロディを取り入れて演奏してからだと思われます。 また、ルイ・アームストロングは、映画『グレン・ミラー物語』のなかで『オチ・チョー・ニ・ヤ(黒い瞳) 』というタイトルで、トランペットを吹き、かつ歌っています。 スペインの歌手、フリオ・イグレシアスは『黒い瞳のナタリー』というタイトルで情熱的に歌い、70年代から80年代にかけて世界的な大ヒットを飛ばしました。 (二木紘三) (曲および「蛇足」を全面的に書き直したので、再アップロードしました。 そのため、以前にご投稿いただいたコメントとの日付がずれています)。 鮮烈なイメージを喚起させますね。 ウェブで歌詞を調べてみましたら、いくつものバリエーションのあることを知りました。 僕の知っている歌詞の二番に、「私にはあなたの黒い瞳のなかに、私の心の死を悼む喪章が見える」という句があります。 僕がこの歌に出会ったのは、私塾でロシア語を習っていたときのことで、「キャビアを、ウォッカを、そしてバイオリンを」(コンサートホール ソサエティ)という題の書かれたレコードを聴かされました。 鬼先生が、こう言ってるのだよ、とハルピン仕込みのロシア語で朗々と歌い上げてくれました。 投稿: イサコフスキー 2011年6月17日 金 18時16分 かんこどりさん、ウィキペディアには、ジャネット・リンの落書きは今も保存されていると書かれています。 今から25年前の札幌冬季オリンピック大会の女子選手村となった五輪団地だ。 銀盤の妖精の愛称で人気を集めた、ジャネット・リン選手がその一室の壁に残した 「PEACE LOVE」 の落書きは、その後、部屋の住民が五回以上も変わるうちに風化して読めなくなってしまった。 / 現在室内を改修中で、江別市在住のオーナー(個人名省略)(62)は 『落書きは残しておきたかったが、時の流れの前にはしようがない』 と話す。 」というネット上の記事もありました。 五輪団地そのものは今もあるようですが、落書きはその後本当はどうなったのでしょうね…。 投稿: 眠り草 2011年7月24日 日 13時12分 かんこどりさん ジャネット・リンの落書きについて「本当はどうなったのでしょうね」と書いた者です。 その後、ウィキペディアには注釈が加えられました。 落書きは二つあったのだそうです。 札幌オリンピック当時のは改装時に消えたようです。 ジャネット・リンはオリンピックの3年後に訪れて、その時に残した落書きは、アクリル板で覆われ今も保存されているそうです。 私には時々棘のあることを書く癖があり、人様を傷つけてしまいますので、気になって確かめてみました。 朝日新聞デジタル【白銀の祭典 札幌五輪から40年】 五輪団地に残るサイン 大切に守る夫妻 2012年02月03日 投稿: 眠り草 2012年8月13日 月 12時15分 ハコベの花様が挙げられていたイタリア女優シルヴァーナ・マンガーノは、 巨匠ルキノ・ヴィスコンティのお気に入りの女優でしたね。 「ベニスに死す」「ルードヴィヒ」「家族の肖像」など、高貴さと妖婉さを備えた、またセクシーさをも漂わせていた、存在感のある女優だったと記憶してます。 奇才パゾリーニに請われて「王女メディア」など数本出演しましたが、作品の難解さもあってマンガーノの魅力もいまひとつでした。 「黒い瞳」が87年作で、その2年後に亡くなってますね。 私は、ダーク・ボガードが主演した「ベニスに死す」のマンガーノに魅了されました。 『あの美少年タジオにこの母親ありき』ですね。 マーラーの音楽とマンガーノの美しさがベニスの街に、えも言われぬドラマ性を創っていたように思います。 もしかしたら、ハコベの花様はご容貌、マンガーノに似てらっしゃるのかなぁ……と。 ごめんなさい。 投稿: かせい 2012年9月 4日 火 01時32分 ハコベの花さまのコメントを見て思い出した記憶の断片を書かせて頂きます。 まず【黒い瞳】という映画は見た記憶があります。 大きな瞳の美人女優さんが出演していました。 相手役の男優の記憶もなくストーリーさえもまったくおぼえていませんが、セリフが英語ではなかったことだけが鮮明に残っています。 当時は神戸には【名画座】というこじんまりとした映画館がありました。 ヒットした映画を二本立てで上映しており、すきな映画は何度でも見ることが出来て、一人でも入れる場所でした。 当時はイタリア映画に魅せられていたのですが、好きな映画の付属のような映画だったと記憶しています。 この映画の結末は多分悲恋だったと思うのです。 ハコベの花さまのお好きな女優さん(マンガーノ)は、確かに綺麗でしたね。 彫が深くて鼻が高くて、どちらかというと、冷たい感じのする美人でした。 「ソフイア・ローレン」の役がらとは対照的にセリフも少なく、神秘的な雰囲気を醸し出す女優さんでした。 印象に残ってるのはあの「ワグナー夫人」役でした。 今ではあの映画の題名すら、記憶にありませんが・・・・。 「ワグナー役」は【第3の男】にも出ていた有名男優でした。 ワグナーが指揮者の夫人を奪った経由や、公演にも同行させて【事実上の夫人」となったことが、その映画に描かれていました。 ずっと無表情で言葉少ない役だったのにあの美貌は記憶に残っています。 映画史上に残るような女優は強烈な個性の持ち主でした。 私は今も「ソフィア・ローレン」が大好きです。 ハコベの花さまのコメントで、昔の消えかかった記憶の一ページを、ひもとくことが出来ました。 友人が私に「想い出はたくさん作っておけよ」と残した遺言のようなことば、かみしめて今も生きています。 投稿: mitsuko 2016年4月24日 日 16時18分.

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ロシア民謡、日本語詞:門馬直衛/堀内敬三 (日本語詞:門馬直衛) 1 美しき 黒い目よ 燃えたてる 君が目よ こがれては 忘れえぬ わが君の 黒い目 2 その瞳 見ざりせば のどかにも 暮らせしを なやましき 黒い目よ わが幸を うばいぬ 3 いつまでも 燃えさかり 消え去りぬ 黒い目よ わが生命 (いのち) 絶ゆるごと くるおしき 黒い目 (日本語詞:堀内敬三) 1 黒い目 君の目よ 狂おしく 燃える目よ いつまでも まぼろしに うかぶのは 黒い目よ 2 あの日の あの夜の 悲しさよ くるしさよ 呪われた 愛情は 飢えていた 燃えていた 3 いつまでも まぼろしに 浮かぶのは 黒い目よ このいのちを かけた恋 忘れ得ぬ 黒い目よ (原詞1 イェウーヘン・パヴローヴィチ・フレビーンカ) 1. (原詞2 フョードル・イヴァーノヴィチ・シャリャーピン) 1. 《蛇足》 わが国では、『黒い瞳』というタイトルでも知られています。 同じロシア民謡の『』とよくまちがわれます。 この曲は、ロマ音楽の影響を受けたロシア・ロマンスとして知られてきました。 ロシア・ロマンスについては、『』で少し触れていますが、ロシア風歌曲といったところでしょうか。 作曲者については信憑性の高い資料が見つかりませんでしたが、ナポレオン の ロシア戦役の際にフランス軍楽隊の隊長だったフロリアン・ヘルマン(Florian Hermann) が作ったとする説が有力です。 彼が作った曲は2拍子の軍隊行進曲だったようですが、やがて3拍子のワルツで演奏されるようになり、さらにロマ音楽の影響を受けて、私たちが知る 『黒い目(瞳) 』 となりました。 この音は、咳払いするときにのどの奥から出すような音、すなわち日本語の「は、へ、ほ」に似た音になるので、Hermannと表記されるようになったようです。 1812年、ナポレオンは70万人の大軍でロシアに侵攻したものの、ロシア軍の焦土作戦に遭って惨敗、祖国に帰還できた者は2パーセントに満たなかったといわれます。 フロリアン・ヘルマンも、おそらく戦死か餓死したと思われます。 しかし、彼の経歴も作曲時期も不明です。 作曲関係の情報がきわめて曖昧なのに対して、作詞の経緯や時期ははっきりしています。 フレビーンカは、退役大佐の娘、マリア・ヴァシリヴニェ・ロステンベルグに会ったとき、一目で恋に落ち、その美しさを讃える3聯の詩をウクライナ語で書きました。 彼はその詩を自らロシア語に訳して、『文芸新聞(Literaturnaya Gazeta 』に投稿、1843年1月17日号に掲載されました。 翌年2人は結婚しましたが、フレビーンカは1848年12月3日、結核のため亡くなってしまいました。 わずか36年の生涯、4年弱の結婚生活でした。 その約半世紀後、ロシアの高名なバス歌手、フョードル・イヴァーノヴィチ・シャリャーピン(Foedor or Fyodor Ivanovich Chaliapin 1873-1938) が、フレビーンカの詩を下敷きにして5聯の歌詞を作り、自分のレパートリーに加えました。 彼はそれをイタリアのバレリーナ、イオーレ・トルナーギに捧げ、2人はのちに結婚しました。 上の写真は シャリャーピン夫妻です。 余談ですが、シャリャーピンの名は、シャリアピン・ステーキの創始者として多くの日本人に記憶されています。 昭和11年(1936) に彼が来日した折、柔らかいステーキが食べたいという彼の希望に応じて帝国ホテルの料理長が考案したもので、簡単にいえば牛肉のマリネステーキです。 日本以外ではほとんど知られていないので、外国のレストランで「シャリアピン・ステーキを」と注文しても通じないようです。 2つの詩の英訳を挙げておきましょう。 (フレビーンカ版) 1. Black eyes, passionate eyes, Burning and beautiful eyes! How I love you, how I fear you, It seems I met you in an unlucky hour! Oh, not for nothing are you darker than the deep! I see mourning for my soul in you, I see a triumphant flame in you: A poor heart immolated in it. But I am not sad, I am not sorrowful, My fate is soothing to me: All that is best in life that God gave us, In sacrifice I returned to the fiery eyes! (シャリャーピン版) 1. Dark eyes, burning eyes Passionate and splendid eyes How I love you, How I fear you Truly, I saw you at a sinister hour 2. Dark eyes, flaming eyes They implore me into faraway lands Where love reigns, where peace reigns Where there is no suffering, where war is forbidden 3. Dark eyes, burning eyes Passionate and splendid eyes I love you so, I fear you so Truly, I saw you at a sinister hour 4. If I hadn't met you, I wouldn't be suffering so I would have lived my life smiling You have ruined me, dark eyes You have taken my happiness away forever 5. Dark eyes, burning eyes Passionate and splendid eyes I love you so, I fear you so Truly, I saw you at a sinister hour 私感ですが、これらの詩に描かれたような神秘的で情熱的な瞳に出会い、恋に落ちた場合、その人と結婚するというのはどうなんでしょう。 憧れは実態を知らないことから生まれるといいます。 結婚して生活をともにするうちに、黒い瞳の衝撃力は消えてしまうのではないでしょうか。 ドストエフスキーも、「人間は何にでも慣れる動物である」といっています。 このやや哀調を帯びた官能的なメロディが世界に知られるようになったのは、アルフレッド・ハウゼが自作のコンチネンタルタンゴ『』のなかにこのメロディを取り入れて演奏してからだと思われます。 また、ルイ・アームストロングは、映画『グレン・ミラー物語』のなかで『オチ・チョー・ニ・ヤ(黒い瞳) 』というタイトルで、トランペットを吹き、かつ歌っています。 スペインの歌手、フリオ・イグレシアスは『黒い瞳のナタリー』というタイトルで情熱的に歌い、70年代から80年代にかけて世界的な大ヒットを飛ばしました。 (二木紘三) (曲および「蛇足」を全面的に書き直したので、再アップロードしました。 そのため、以前にご投稿いただいたコメントとの日付がずれています)。 鮮烈なイメージを喚起させますね。 ウェブで歌詞を調べてみましたら、いくつものバリエーションのあることを知りました。 僕の知っている歌詞の二番に、「私にはあなたの黒い瞳のなかに、私の心の死を悼む喪章が見える」という句があります。 僕がこの歌に出会ったのは、私塾でロシア語を習っていたときのことで、「キャビアを、ウォッカを、そしてバイオリンを」(コンサートホール ソサエティ)という題の書かれたレコードを聴かされました。 鬼先生が、こう言ってるのだよ、とハルピン仕込みのロシア語で朗々と歌い上げてくれました。 投稿: イサコフスキー 2011年6月17日 金 18時16分 かんこどりさん、ウィキペディアには、ジャネット・リンの落書きは今も保存されていると書かれています。 今から25年前の札幌冬季オリンピック大会の女子選手村となった五輪団地だ。 銀盤の妖精の愛称で人気を集めた、ジャネット・リン選手がその一室の壁に残した 「PEACE LOVE」 の落書きは、その後、部屋の住民が五回以上も変わるうちに風化して読めなくなってしまった。 / 現在室内を改修中で、江別市在住のオーナー(個人名省略)(62)は 『落書きは残しておきたかったが、時の流れの前にはしようがない』 と話す。 」というネット上の記事もありました。 五輪団地そのものは今もあるようですが、落書きはその後本当はどうなったのでしょうね…。 投稿: 眠り草 2011年7月24日 日 13時12分 かんこどりさん ジャネット・リンの落書きについて「本当はどうなったのでしょうね」と書いた者です。 その後、ウィキペディアには注釈が加えられました。 落書きは二つあったのだそうです。 札幌オリンピック当時のは改装時に消えたようです。 ジャネット・リンはオリンピックの3年後に訪れて、その時に残した落書きは、アクリル板で覆われ今も保存されているそうです。 私には時々棘のあることを書く癖があり、人様を傷つけてしまいますので、気になって確かめてみました。 朝日新聞デジタル【白銀の祭典 札幌五輪から40年】 五輪団地に残るサイン 大切に守る夫妻 2012年02月03日 投稿: 眠り草 2012年8月13日 月 12時15分 ハコベの花様が挙げられていたイタリア女優シルヴァーナ・マンガーノは、 巨匠ルキノ・ヴィスコンティのお気に入りの女優でしたね。 「ベニスに死す」「ルードヴィヒ」「家族の肖像」など、高貴さと妖婉さを備えた、またセクシーさをも漂わせていた、存在感のある女優だったと記憶してます。 奇才パゾリーニに請われて「王女メディア」など数本出演しましたが、作品の難解さもあってマンガーノの魅力もいまひとつでした。 「黒い瞳」が87年作で、その2年後に亡くなってますね。 私は、ダーク・ボガードが主演した「ベニスに死す」のマンガーノに魅了されました。 『あの美少年タジオにこの母親ありき』ですね。 マーラーの音楽とマンガーノの美しさがベニスの街に、えも言われぬドラマ性を創っていたように思います。 もしかしたら、ハコベの花様はご容貌、マンガーノに似てらっしゃるのかなぁ……と。 ごめんなさい。 投稿: かせい 2012年9月 4日 火 01時32分 ハコベの花さまのコメントを見て思い出した記憶の断片を書かせて頂きます。 まず【黒い瞳】という映画は見た記憶があります。 大きな瞳の美人女優さんが出演していました。 相手役の男優の記憶もなくストーリーさえもまったくおぼえていませんが、セリフが英語ではなかったことだけが鮮明に残っています。 当時は神戸には【名画座】というこじんまりとした映画館がありました。 ヒットした映画を二本立てで上映しており、すきな映画は何度でも見ることが出来て、一人でも入れる場所でした。 当時はイタリア映画に魅せられていたのですが、好きな映画の付属のような映画だったと記憶しています。 この映画の結末は多分悲恋だったと思うのです。 ハコベの花さまのお好きな女優さん(マンガーノ)は、確かに綺麗でしたね。 彫が深くて鼻が高くて、どちらかというと、冷たい感じのする美人でした。 「ソフイア・ローレン」の役がらとは対照的にセリフも少なく、神秘的な雰囲気を醸し出す女優さんでした。 印象に残ってるのはあの「ワグナー夫人」役でした。 今ではあの映画の題名すら、記憶にありませんが・・・・。 「ワグナー役」は【第3の男】にも出ていた有名男優でした。 ワグナーが指揮者の夫人を奪った経由や、公演にも同行させて【事実上の夫人」となったことが、その映画に描かれていました。 ずっと無表情で言葉少ない役だったのにあの美貌は記憶に残っています。 映画史上に残るような女優は強烈な個性の持ち主でした。 私は今も「ソフィア・ローレン」が大好きです。 ハコベの花さまのコメントで、昔の消えかかった記憶の一ページを、ひもとくことが出来ました。 友人が私に「想い出はたくさん作っておけよ」と残した遺言のようなことば、かみしめて今も生きています。 投稿: mitsuko 2016年4月24日 日 16時18分.

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