ぼ ぎわ ん が 来る 小説 ネタバレ。 徹底ネタバレ『来る』結末や何が来たのかあれの正体、野崎と知紗はどうなったのか等ラストをまるっとまとめ

ホラー小説/ 怪談本「怖い間取り」ネタバレ感想 【リアル事故物件の闇を垣間見た】

ぼ ぎわ ん が 来る 小説 ネタバレ

参考: ぜひぜひこちらも読んでみてください。 良かったら最後までお付き合いください。 作品情報 本作を著したのはホラー小説家の 澤村伊智さんです。 出版社勤務の後に脱サラしてフリーライターになり、2015年に同作を『ぼぎわん』というタイトルで日本ホラー小説大賞に応募しました。 この日本ホラー小説大賞は大賞作品を「該当なし」として発表することもあり、非常に厳しい賞であることが知られています。 (これまでの25回の歴史の中で大賞が「該当なし」にあったことが12回もある) そんな中で澤村伊智さんの『ぼぎわん』は選考委員の中で圧倒的な評価を獲得し、見事に大賞に選出されました。 そして2015年の間に同作は『ぼぎわんが、来る』のタイトルで出版される運びとなりました。 参考: ぜひぜひ原作と併せて映画版もお楽しみください。 スポンサードリンク 『ぼぎわんが、来る』感想 感動的なほどに巧い構成 『ぼぎわんが、来る』という作品を読んでいて、一番驚かされるのは何と言ってもその作品の構成です。 全3章から成る本作は以下のように章題がつけられています。 訪問者• 所有者• 部外者 これがそれぞれ次の人物を表していることになります。 田原秀樹• 田原香奈• 野崎 『ぼぎわんが、来る』は上記のような3幕構成になっているのですが、見事なのは登場人物の主観を作品の視点に据えることで 「信頼できない語り手」を確立し、さらに 情報を断片的に提示することで常に読者に驚きをもたらしてくれる点です。 構成や作りは アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』を想起させますね。 この作品はポアロの隣人によって書かれた手記をベースに物語が進むという構造を取りましたが、『ぼぎわんが、来る。 』は3人の登場人物の語りによって全ての展開が綴られています。 また、非常に面白いのが章を隔て、語り手が変化することで読み手が描いていたキャラクター像が頻繁にひっくり返される点です。 例を挙げると、第1章で自らの主観でもって自分は「イクメン」であり、育児に協力的であると主張していた秀樹が、第2章で香奈の視点に移り変わった瞬間に極めて育児に非協力的で自分に酔った「父親ごっこをしている男」に成り下がってしまいます。 このように主観を作品の視点に据えることで、 常に物語や人物の状況や印象を流動的なものとして扱い、二転三転させることで読者の関心を損なわせることなく、最後まで読ませるという技量が著者の澤村伊智さんには備わっています。 ただこれはある種の叙述トリックなので、映画化する際に中島哲也監督がどのようにコンバートして映像にしていくのかには注目したいところです。 またミステリー小説好きには、少し丁寧に説明しすぎていると言われてしまう可能性はありますが、緻密な伏線構造にも驚かされました。 冒頭から伏線のオンパレードで忘れた頃にきちんと回収してくるよね! 1度読み終わっても、また最初から読み返してみたくなるような構成の妙も素晴らしいですね。 ホラー小説としての見せ方 近年「驚かせる」「怖がらせる」といったエモーショナルな部分ばかりにフォーカスし、飛び道具的な恐怖感の創出に終始してしまう映画や小説を見かけます。 その一方で『ぼぎわんが、来る』は極めてクラシカルで、ソリッドな手法を取っています。 というのも「ぼぎわん」という存在の作品内における価値を最初から最後まで損なわない構成にきちんと組み上げられているんです。 そのため読み始めてから読み終わるまで読み手の頭の中にある最大の疑問は「ぼぎわんとは何なのか?」であり続けるわけです。 以下に本作の「ぼぎわん」の登場のさせ方を順番にまとめてみました。 冒頭の回想:シルエットと存在のみを提示• 第1章前半:被害者の提示(歯の跡の開示)• 第1章中盤:声での登場• 第1章終盤:登場するも歯と口のみが提示• 第2章中盤:千紗の姿を借りて登場• 第2章終盤:黒い影、大きな紫色の口の姿で登場• 第3章終盤:正体の判明 このようにきちんと順序立てて「ぼぎわん」の情報を提示することで、読者は興味関心のボルテージを下げることなく読み進められるわけです。 情報を出しすぎると恐怖感や畏怖の念が失われてしまいますし、逆に情報を出さなさすぎると読み手の頭の中から逃げ出してしまいます。 そのどちらにもならないように絶妙なラインで「ぼぎわん」という謎のバケモノを扱うことに成功している点で、本作はホラー小説として成功していると思います。 スポンサードリンク 『ぼぎわんが、来る』考察 虐待や育児放棄が現代の問題であるという「ウソ」 母親の香菜役で映画に出演した黒木華さん C 2018「来る」製作委員会 現代日本で大きな問題になっているのが、やはり子供の虐待問題や育児放棄といった事象です。 母親(親)が子供に虐待をした、母親(親)が子供を殺害した、捨てたなどというニュースが流れるたびに 「母性の喪失」だの 「昔はこんなことがなかった」だのと言われるわけですが、果たして本当にそうでしょうか。 「母性の喪失」という言葉を聞くと、 現代の女性には母性が備わっていない人が多く、昔はそうではなかったと言っているように聞こえてしまいます。 そう聞こえた時に引っかかるのが「昔はそうでなかった」という部分です。 果たして親が子供に対して虐待をしたり、育児放棄をしてしまうという現状は現代の問題であり、かつてはそんなことは無かったと言えるのでしょうか? 結論から申し上げますと、実はそんなことはありません。 古代や中世の日本でも既に「子捨て」の風習が存在していたことは民俗学的にも認知されています。 古代・中世は、事情があれば捨子もやむを得ないものとして、あまり詮索されることもなかったが、それは同時にその子が犬に食われようが、盗賊に八つ裂きにされようが、子そのものの運命にはさほどの同情も集まらないという事実の側面でもあった。 立浪P431 また古典や説話の中にもそういった「子捨て」の風習が社会に存在していたことを仄めかす描写が残っています。 『今昔物語集』の中でも、仕事で転勤になった夫についていくために2人いる子供のうちの1人を捨てなければならない状況に置かれた女房の話や、捨てられた子供が犬に育てられる話が収録されていたりします。 (内閣府:「日本の長期人口趨勢」より) 上記のグラフの1600年から1700年のゾーンを見ていただくと、人口が一挙に2倍以上に増えていることが分かります。 しかし、そういった人口増加が経済困窮を招き、「捨て子」の増加に拍車をかけてしまい、江戸時代前期には大きな社会問題になってしまったのです。 そして17世紀の終わりに皆さんが動物愛護の観点でよくご存じであろう 生類憐みの令という法律が徳川綱吉によって制定されます。 その1つ目の取り決めにこんなことが書かれています。 捨て子これ有り候はば、早速届けるに及ばず、その所の者いたはり置き、直 じき に養ひ候 そうろう か、または望みの者これ有り候はば、遣はすべく候。 急度 きっと 付け届けるに及ばず候事。 えっ?生類憐みの令って犬を初めとする動物愛護令じゃなかったの? 実は生類憐みの令は「捨て子政策」としての側面もかなり強かったんです。 さらに1690年には追加で捨て子禁止令が発令され、捨て子が禁止とされ罰則も設けられました。 これにより一定の拘束力や意識の変化はあったと思われますが、やはり依然として「捨て子」が存在していたことは事実です。 明治時代以降西洋的な制度や価値観が流入し、「家制度」や「良質賢母」の価値観が日本に入ってきたことにより、「捨て子」の悪習は少しずつ改善に向かいましたが、現代にいたるまで「捨て子」的な行動が残り続けているのを見ると、解決されたとは言い難い状態です。 「ぼぎわん」の正体とは? では、ここまで「捨て子」の歴史的な経緯を辿ってきたわけですが、それに基づいて本作の最大の謎である「ぼぎわん」の正体に迫っていきたいと思います。 まず作中での記述はこうあります。 人だったのか。 子供だったのか。 口減らしで村からさらわれた子供の成れの果てなのか。 (角川ホラー文庫『ぼぎわんが、来る』より引用) つまり 「ぼぎわん」というのはかつて捨てられた子供たちの亡霊であるということですね。 そして次に見入られた子供が新たな「ぼぎわん」として彷徨うことになるわけです。 では、なぜ「ぼぎわん」は「子供」として描かれなければならなかったのか?という部分を突き詰めていく必要があると思います。 それを考えた時に、実は今の日本が江戸時代的な子育て観に近い方向に向かっているという点を指摘する必要があります。 明治時代以降「良質賢母」や「家制度」が流入したことで、女性の「母」としての側面が一層強まったわけですが、江戸時代は女性はそれほど「母」の役割を重視されていませんでした。 子育てというのは、家事の一環であり、主人に仕えるという一連のルーティーンの中の一要素でしかなかったのです。 それゆえに「間引き」「子捨て」という行為が江戸時代初期には罪悪感すらなく行われていたとまで言われています。 そして現代日本はどんどんと女性の社会進出が進み、再び「女性=母」という考え方は弱まっています。 近年の児童虐待(育児放棄、ネグレクト等含む)の件数が急激に増加しているのは、もちろん社会的に問題になったことで認知されやすくなったという側面もあるとは思いますが、そういった意識の変化も反映されているように思えます。 児童相談所対応虐待件数:産経新聞より引用 では、日本は明治時代から根付いた「女性=母」の考え方に回帰する必要があるのでしょうか? それは私は違うと思います。 『ぼぎわんが、来る』における秀樹という男性(映画では 妻夫木聡が演じる)が「ぼぎわん」に襲われることになった経緯を鑑みると、「女性=母」への回帰が現代の志向すべきベクトルではないことは明らかです。 彼は「イクメン」を自称し、子育てに協力的な素振りを見せつつも、実際は育児に協力的な自分に酔っているだけで、子供と一切向き合おうとしません。 また、育児に協力的な姿勢を見せながら結局は妻の香奈を「家」に縛り付け、彼女に負担を強いている状態です。 つまり秀樹と香奈の家庭は外から見ると、すごく現代的な「家族」像に見えるんですが、その実態は極めて旧来的な(明治以降の)「家族」像であることが分かってきます。 そんな「家族」の隙間に「ぼぎわん」は入り込み、秀樹を殺害しました。 そして第2章では2人の娘である知紗を「お山」に連れて行こうとしました。 ここから読み解くに、まず 「ぼぎわん」というのは愛を注がれなかった子供たちの亡霊であるという側面があると思います。 「間引き」や「子捨て」といった親のせいで不遇な生涯を遂げた子供たちが亡霊と化し、子供に愛を注がない親のところに現れては攻撃し、またその子供を自分たちの世界に取り込もうとします。 『ぼぎわんが、来る』の中で夫のために神経をすり減らしながらも、知紗に愛を注ごうとした香奈が「ぼぎわん」に襲われていない点は印象的です。 また子供を自分が子育てができない身体だからという利害もありつつ関わっていた真琴が真に「子供」に対して愛を注ぐ存在となり、その指輪が「ぼぎわん」を淘汰するキーになるというのも興味深い点です。 そしてもう1つの側面だね。 もう1つは、古来より続く 伝統的な価値観や考え方の表出としての存在意義があるんじゃないかと思います。 「ぼぎわん」はそもそも日本で古来より続く「口減らし」「間引き」「子捨て」の風習が原因で生まれたバケモノです。 そしてそれが明治時代への突入に伴い、社会や人々の意識が変化したことで徐々に減少傾向を見せました。 しかし、それが現代に入って再び増加傾向を見せているのです。 「ぼぎわん」はそんな現代を生きる我々に警鐘を鳴らすために現れたのかもしれません。 そして作中でも示されたように、明治時代的な価値観に回帰するというベクトルはもはやアウトオブデイトです。 だからこそその先にあるのは、真の意味で夫婦が子供に寄り添い、共に育て、愛を注ぐという「当たり前」に思えて実は難しい「家族」であってほしいと思います。 旧来的な「家族」を象徴する秀樹という人物が(またはそんな彼の祖父が)「ぼぎわん」によって命を奪われ、無精子症で子供を設けることは叶わないながら、「父としての愛」に真に目覚めた野崎が「ぼぎわん」を倒すことができたところに本作の答えがあると私は考えています。 今を生きる我々は、過去に戻るのでなく、過去に囚われるのでもなく、まだ見ぬ未来を志向していかなければなりません。 我々1人1人が来たる「ぼぎわん」と向き合わねばならぬのだと、そう告げられているような気がしました。 スポンサードリンク ラストの寝言をどう読み解く? 本作『ぼぎわんが、来る』のラストは何とも印象的です。 「・・・さお・・・い、さ、むあ・・・んん・・・ち、が・・・り」 寝言だ。 (中略) 真琴の方に揺られ、知紗は幸福そうに眠っていた。 (角川ホラー文庫『ぼぎわんが、来る』より引用) これをどういう風に解釈するかという点において、すごく意見が分かれると思うんですよ。 「真琴の方に揺られ、知紗は幸福そうに眠っていた。 」という記述を参照すると、この作品はハッピーエンドであるという風に取れます。 しかし、 冒頭にぼぎわんが幼少の秀樹の前に現れた時に言っていた「ちがつり」(トリックオアトリートが由来か?)という言葉を彼女が発している点にも注目する必要があります。 そう考えると本作のラストには以下の2つの解釈が生まれるように思います。 ほぎわんは去り、知紗が幸せそうに眠っているハッピーエンド• ほぎわんが依然として知紗の中に残っていることを示唆するバッドエンド しかし当ブログ管理人の立場はどちらなの?と聞かれたら、 「どちらでもない」と回答させていただきます。 私はこのどちらもが『ぼぎわんが、来る』のラストに含まれているものだと考えているからです。 実はこのラストの一節の少し前に興味深い記述があります。 琴子の言ったとおり、 この件はまだ終わっていないのだ。 だったら、と俺は思う。 知紗と香奈が許す限り、俺と真琴は知紗に関わっていきたい。 (角川ホラー文庫『ぼぎわんが、来る』より引用) 実は「まだ終わっていない。 」とこの作品は明言しているんです。 だからこそ「ぼぎわん」はまだ世界から消えてなどいません。 まだまだ世界には「愛」を注がれず、虐待や育児放棄といった憂き目にあう子どもたちがたくさんいます。 そしてそういう子どもがいる限り、そんな彼らの集合理念とも言える「ぼぎわん」という存在は消えることはないでしょう。 おそらく知紗の中には、まだ「ぼぎわん」の思念の断片が残っているのだと思います。 しかし、だからと言ってこの作品はバッドエンドではないと思っています。 「ぼぎわん」を倒す方法は霊媒師の術や結界ではありません。 本当に「ぼぎわん」を倒すために必要なのは「親が子に注ぐ愛情」なのではないでしょうか。 ゆっくり月日をかけて少しずつ子供の心の隙間を「愛情」で満たしてあげることこそが真の打倒に繋がるのだということを本作のラストは示しているように感じられます。 だからこそ「まだ終わっていない」のですし、本当の「戦い」はこれからなのかもしれません。 よって、この小説のラストをハッピーエンドかバッドエンドかという二元論的な帰結に至らしめることは私にはできません。 ただ、フィクションとして1つの希望を示した。 私はそう受け取りました。 参考: おわりに いかがだったでしょうか。 今回は映画『来る』の原作である『ぼぎわんが、来る』について書いてきました。 これがデビュー作でありながら文体や構成の面でホラー小説かとしてすでに洗練されている澤村伊智さんの才能にはただただ驚かされるばかりでした。 また、この意欲的な作品の映画版を監督するのが中島哲也さんだというのも個人的には興味深いです。 オカルトチックな描写には非常に長けていますし、比較的「明るい場所」で繰り広げられるホラーエンターテインメントなので、中島監督の手腕が生きやすい題材だと思います。 ただ、映画版は予告編を見ている限りでもかなり原作から改変されていることが予見されます。 ですので映画版を見て、小説を読んでも良いですし、逆に小説をもう読んだという方でも映画版をご覧になって見ると良いんじゃないでしょうか。

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ホラー小説「ぼぎわんが、来る」が面白い。途中まで最高で最後がちょっとだけ残念

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目次 【「怖い間取り」私的ダイジェスト感想】 はじめに書いておきますが、 この本はあまり怖くないです。 とか、おぞましい化け物が出るなど、わかりやすい怖さを期待して読むと肩透かしを食うかもしれません。 しかしこの本には、 じんわりと日常を侵食する静かな怖さがあります。 派手な怪異ではないものの、確かにある踏み入れてはいけない禁忌。 リアルな事故物件を扱ったこの本は、日常に潜む異質を疑似体験させてくれるのです。 この本は 氏が自己の経験に基づいて書いたものですが、 ご自身が体験された事故物件の話は5件分しかありません。 ほとんどは誰々から聞いた怖い話とか、心霊スポットの話などです。 しかし 50話弱の短い怪談集の中に 本気で怖い話が3話ぐらいあります。 そして私はこの本を読んだ翌日、 めちゃくちゃ頭が痛くなって吐いた。 私の頭痛とこの本は関係ないです。 なんだか意味深なことを書いた後で 雑なネタバレ をお送りします。 松竹芸能のプロフィール写真より、著者の松原タニシさん。 【物件その1】姉妹が惨殺された大阪のマンション 事件のあった部屋だけではなく、マンション全体が事故物件扱いされている稀な物件。 事件後、マンション1階部分は潰されて駐輪場になっている(事件があったのは4階)。 誰も自転車を止めないので不気味さが増します。 そしてこの物件に住むと高確率で人身事故に遭います。 物理的な被害が怖いですね。 【物件その2】芸人2人が精神崩壊した部屋 2名とも別の時期にこの部屋を借りたが、精神的に不安定になり退去している。 部屋の隅にロウソクを置く、野菜や衣類などを切り刻んで床にばらまくという珍行動が一致。 さらにこの物件は、1階の部屋の窓に鉄格子がはめられています。 以前は精神病院があったのかもしれないと書かれているが、素朴に これ1階だから防犯のために鉄格子つけてるんじゃないかな? 【物件その3】インターホンに映った謎のおじいさん たぶんこの人は霊とかじゃなく生きている普通の人です。 ページの最後でそのおじいさんの画像が貼られている。 たぶん一般の人だよね?霊よりもプライバシーの問題が心配。 【物件その4】箸休めにみんな大好き特殊清掃の話だよ! 幽霊はダメだけど虫系は平気な方にオススメ。 長期放置された死体は液状化するんだってね知らなかったよ。 そして蛆虫は大群になると 一見して粉のように見えるそうな。 【物件その5】いわく付き人形や墓石と同居している著者の松原タニシ氏 たぶんこの人が一番怖い。 不動産屋さんが入ることすら嫌がる事故物件に普通に上がり込み、速攻で賃貸の契約をする(しかも業者の清掃を断って不気味なままの部屋に住みたがるんだよこの人)。 脳のプラグが凡人とは違う繋ぎ方になってますよね? 【物件その6】Yマンションの話 普通にめっちゃ怖い話です。 みたいな内容。 3人で部屋を借りた芸人たちが不可解な出来事に遭遇する。 最初に和室で寝ていた先輩が、そして次に洋室で寝ていた先輩が次々と退去していきます。 最後に残ったのは、キッチンで一人で寝ていた後輩。 彼が一人きりの夜に見た真相とは・・。 要所要所に画像が掲載されているんですが、普通に心霊写真もあって心臓に悪い。 kindleで読み進んでいると不意に心霊写真が出てくるのでびっくりするんだよぉ〜 これはYマンションの間取りなのですが、浴室と洗面、トイレの配置が私好みです。 【物件その7】七人ミサキを見たかもしれない少年の話 七つの白い足袋がさらさらと歩く様を見た少年。 隠れてやり過ごすも、これはかの有名な では?と思う。 七人ミサキとは、常に七人で現れる亡霊のことです。 七人ミサキのルーツは、斬首された7人の武士から来ているらしいよ。 首のない姿で夜な夜な 白馬に乗って現れます。 なんかかっこいい設定。 なぜ白馬?黒馬だったとしてもかっこいいけども。 ポニーとかロバとかじゃダメなの?ポニーもロバも逆に癒されちゃうからかな。 【事故物件を渡り歩く因果か】顔が黒く写る 写真を撮ると、著者の松原タニシさんの顔だけ真っ黒になっている。 黒いといっても他の撮影者は普通のカラーに対して、この人だけ色調が暗くなっている感じです。 知り合いの神社関係者に尋ねたところ、5年ももたないと言われたそう。 それでも事故物件に住み続けたり心霊スポット巡りをしたり、わりと平気っぽい。 ひとえに「芸人として成功したい」という強い意志が働いているからなのか。 【この本のまとめ】 以上が私的「怖い間取り」のダイジェスト感想です。 事故物件が怖いというか、 そもそも事故物件に指定されるような凄惨な事件や事故が怖いです。 さらに写真に写る顔が謎に黒くなっている松原タニシ氏。 事故物件に住み続けるという選択肢を外せないこの世の中は、幽霊の世界より怖いのかもしれません。 興味のある方は図書館で借りることをお勧めします。

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【ネタバレあり】『ぼぎわんが、来る』感想・考察:ぼぎわんの正体とラストの寝言の意味とは?

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ぼぎわんというコミュ力高い怪物が忘れた頃にある家族を訪問してくるお話です。 先に原作を読んでね! 【登場人物紹介】 田原 秀樹(35)・・・ 第1章の主人公。 小学生の頃、祖父母の家で留守番をしている時にぼぎわんの訪問に遭う。 恐怖の記憶も忘れかけた頃、勤め先でぼぎわんに再訪問される。 最終的にぼぎわんに家の侵入を許し、 頭と顔を食われて絶命。 秀樹の妻・香奈(32)・・・ 第二章の主人公。 スーパーでパートしていたが出産を機に辞める。 いいパパぶりっこで何の役にも立たない秀樹に嫌気がさしていたので、秀樹の死に清々しささえ感じる。 第二章の最後でぼぎわんに最愛の娘を目の前で奪われ、 気が触れて精神病院に収容される。 田原夫妻の娘・知紗(2)・・・人見知りの2歳児。 ぼぎわんに連れ去られたり、浮遊霊に体を乗っ取られたりする。 第三章で琴子と野崎により救出されるが、新生ぼぎわんになる素質があったようで多分最後の方で ぼぎわんになったっぽい。 秀樹の祖父・銀次・・・ぼぎわんが幼い秀樹に接触を試みた際、寝たきりの状態ながら追い返した。 若い頃に 志津との子供を虐待死させた過去があり、長年恨みを募らせた志津によって呪いを受け、衰弱死した。 田原の祖母・志津・・・ちゃきちゃきした元気な年寄りで銀次の介護も積極的に行っていたが、その実子供を二人も死なせた銀次を長年呪っていた。 ぼぎわんを呼び寄せた張本人。 唐草(35)・・・秀樹の幼馴染で独身の民俗学者。 快活で真面目な顔とは裏腹に子供を持つ家族に強い嫌悪感を抱いている。 秀樹の死後は香奈との急接近を試みるも拒否され、 逆恨みしてぼぎわんの侵入をほう助する。 自分的にはこの人が秀樹の次にいキモい。 この人の闇に比べたらぼぎわんとかまだ可愛い方です。 比嘉 真琴(26)・・・女性霊能者でフリーター。 髪をピンクに染めている。 少し変わり者だが純粋で、子供好き。 ぼぎわんから知紗を守りたいと思っている。 実は子どもが産めない体で、そのこともあって知紗に思い入れしている。 野崎(32)・・・ 第三章の主人公にして敏腕オカルトライターで真琴の恋人。 無精子症で子どもを設けられないことにコンプレックスを感じていたが、ぼぎわんとの対決を通してそんな自分自身をも受け入れられるようになる。 比嘉 琴子(30代)・・・ 最強の女性霊能力者で真琴の姉。 この人が第三章で登場してから一気にラノベっぽくなる。 警視総監と直につながりがあるほどの実力者で、第三章から野崎と組み、ぼぎわんを迎え討つ。 (雑魚霊たちが彼女の名を聞くだけで恐れ逃げていく描写は完全にギャグです。 ) 逢坂(50代)・・・強い力を持つ霊能力者だが、ぼぎわんと対決して惨敗。 右腕をもぎ取られ死亡する。 高梨・・・秀樹の同僚。 ぼぎわんと会話をしてしまい、腕を噛まれた挙句衰弱死する。 ぼぎわん・・・強力な化け物で、並の霊能者では歯が立たない。 ぼぎわんの名は、ブギメやブギーマンなどから派生したと言われている。 おやまと呼ばれる異界に住み、 人を呪う感情を感知すると家にやってきて子供をさらう。 長い髪に灰色のシルエットを持ち、巨大な口には無数の歯が並んでいる。 これに噛まれると致命傷でなくとも傷口から障気が入り込み、やがて死に至らしめる。 【雑なあらすじと結末】 最後の方で琴子(女性霊能力者)とぼぎわんが対決するんですが、 肉弾戦になって琴子がぼぎわんを滅します。 というかぼぎわんは怖くないんですよ。 怖いのは 実の子ども2人を死なせたにも関わらず裁かれることもなくのうのうと生きてきた祖父や、風俗に通い会社で女性社員を食い散らかしつつも良いパパぶる秀樹です。 作者の澤村氏は、気持ち悪い人の描写を描くのがうまい印象でした。 わかりやすくおかしい人じゃなくて、よく行動を観察してたら あれ?なんかキモくね?みたいな人。 善良な市民の皮を被ったモラハラ野郎の気持ち悪い行動を書くのが上手い。 それが第二章の妻視点になって初めて、秀樹の非常識さやキモさ、正直子どもにとって害になるモラハラ行動などが見えてきます。 さらにこの 「別の人間から見た全く異なる人物像」が、秀樹や野崎など各章の主人公においてだけではなく、幼馴染の唐草や霊能者の真琴、優しかった祖母など他のキャラクターにも現れてくるのです。 最初は全く謎の、ただ怪異としか言いようのなかったぼぎわんまで、最終的に なんかかわいそうな化け物というイメージに変化しますからね。 ぼぎわんは普通に人語を操るし何ならスマホに電話もかけてきます。 尊敬語や謙譲語もマスターしていて最後にあっとサプライズしたりするお茶目な一面もある。 化け物って文明の利器とか疎そう、というか喋らなさそうという思い込みをぶっ壊します。 ちなみに何の目安にもなりませんが、私的怖い度は「夜中にシャンプーはためらわれるけどお風呂には入れる程度」です。

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