上級 国民 下級 国民。 『上級国民/下級国民』を読んだ感想

上級国民が無罪・不起訴になった事例まとめ 上級国民は逮捕されない説を検証

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出版社の許可を得て、新刊「まえがき」を掲載します。 発売日は明日ですが、すでに大手書店の店頭には並んでいるところもあるようです。 この表紙を見かけたら手に取ってみてください。 2019年4月、東京・池袋の横断歩道で87歳の男性が運転する車が暴走、31歳の母親と3歳の娘がはねられて死亡しました。 この事件をめぐってネットに飛び交ったのが「上級国民/下級国民」という奇妙な言葉です。 事故を起こしたのは元高級官僚で、退官後も業界団体会長や大手機械メーカーの取締役などを歴任し、2015年には瑞宝重光章を叙勲していました。 2019年5月には川崎市で51歳の無職の男が登校途中の小学生を襲う事件が起き、その4日後に元農水事務次官の父親が自宅で44歳の長男を刺殺しました。 長男はふだんから両親に暴力をふるっており、事件当日は自宅に隣接する区立小学校の運動会の音に腹を立てて「ぶっ殺すぞ」などといったことから、「怒りの矛先が子どもに向いてはいけない」と殺害を決行したと父親は供述しています。 この事件を受けて、こんどはネットに困惑が広がりました。 彼らの世界観では、官僚の頂点である事務次官にまでなった父親は「上級国民」で、自宅にひきこもる無職の長男は「下級国民」だからです。 「上級国民」という表現は、2015年に起きた東京オリンピックエンブレム騒動に端を発しているとされます。 このときは著名なグラフィックデザイナーの作品が海外の劇場のロゴに酷似しているとの指摘が出て、その後、過去の作品にも盗用疑惑が噴出し大きな社会問題になりました。 その際、日本のグラフィックデザイン界の大御所で、問題のエンブレムを選出した審査委員長が、「専門家のあいだではじゅうぶんわかり合えるんだけれども、一般国民にはわかりにくい、残念ながらわかりにくいですね」などと発言したと伝えられました。 これが「素人は専門家に口答えするな」という「上から目線」として批判され、「一般国民」に対して「上級国民」という表現が急速に広まったとされます(「ニコニコ大百科」「上級国民」の項より)。 このように当初は「専門家/非専門家」を表わすネットスラングだったものがいつの間にか拡張され、池袋の事故をきっかけに、「日本社会は上級国民によって支配されている」「自分たち下級国民は一方的に搾取されている」との怨嗟(ルサンチマン)の声が爆発したのです。 コラムニストのオバタカズユキさんは、令和改元にともなう10連休に対して、ツイッター上に次のような発言があふれたことを報告しています(「「上級国民」というネットスラングの大拡散が示す日本人の心中」NEWSポストセブン)。 〈(羽田空港行きの)モノレールが連休を旅行で過ごす上級国民様で満たされておる〉 〈10連休を取れるのは全体の3割。 そんな能天気に生きて居られるのは、上級国民だけってか〉 〈10連休なんて上級国民様の催しでしかないのです、下級国民は労働奉仕なのです(震え)〉 〈給料総額15万、週6日働いて稼働日数月25日。 盆正月関係なし。 ほとんど奴隷と同じです。 現代社会では、「エリート」や「セレブ」は「努力して実現する目標」です。 「上層階級(アッパークラス)/下層階級(アンダークラス)」は貴族と平民のような前近代の身分制を表わしていましたが、その後、階級(クラス)とは移動できる(下流から「なり上がる」)ものへと変わりました。 それに対して「上級国民/下級国民」は、個人の努力がなんの役にも立たない冷酷な自然法則のようなものとしてとらえられているというのです。 いったん「下級国民」に落ちてしまえば、「下級国民」として老い、死んでいくしかない。 これが、現代日本社会を生きる多くのひとたちの本音だというのです。 * 本書のPART1では、バブル崩壊後の平成の労働市場がどのように「下級国民」を生み出したのかを説明します。 「雇用破壊」で日本じゅうが大騒ぎしていた1990年代後半から2000年代前半にかけて、「正社員の雇用は全体としては守られた」など、あまり知られていない事実(ファクト)をデータをもとに紹介していきます。 そこから、令和の日本がどのような社会になるのかも見えてくるはずです。 PART2では、「上級国民/下級国民」が「モテ/非モテ」につながることを論じます。 「モテ/非モテ」はやはりネット上で広く流通するスラングで、現代日本の若い男性は「モテ(リア充)」と「非モテ(リア終)」に分断されているのだといいます。 なぜここで性愛(モテ)が出てくるかというと、ゆたかな社会における幸福とは、究極的には、愛情空間が満たされることだからです。 「上級国民」とは「モテる(持てる)者」であり、「下級国民」は「モテない(持たざる)者」なのです。 PART3では、日本だけでなく(先進国を中心に)世界じゅうで「上級国民/下級国民」の分断が進んでいる背景を考えます。 アメリカのトランプ大統領選出、イギリスのブレグジット(EU離脱)、フランスの黄色ベスト(ジレジョーヌ)デモなど、欧米社会を揺るがす出来事はどれも「下級国民」による「上級国民」への抗議行動です。 「白人」や「男」はこれまで社会の主流(マジョリティ)と見なされていましたが、その中核に深い亀裂が生じたことで社会は大きく動揺しています。 なぜ世界じゅうで同じ現象が起きているかというと、私たちが「知識社会化・リベラル化・グローバル化」という巨大な潮流のなかにいるからです。 その結果、世界が総体としてはゆたかになり、ひとびとが全体としては幸福になるのとひきかえに、先進国のマジョリティが「上級国民/下級国民」へと分断されていきます。 だとしたら、どこにも希望はないのでしょうか。 そんなことはありません。 社会的に解決できない問題も、個人的に解決することは可能です。 私たちがどのような社会に生きており、そこでなにが起きていて、これからどのような世界がやってくるのかを(かなりの精度で)予測できれば、自分と家族が生き延び、幸福な人生を手に入れるのにきっと大きな助けになるでしょう。

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上級国民/下級国民 (小学館新書)

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「gettyimages」より 「 上級国民」という言葉が一躍注目されている。 4月に東京・池袋で死者2人、負傷者8人を出した自動車暴走事故で、車を運転していた旧通産省工業技術院の 飯塚幸三元院長(88)が現行犯逮捕されず、報道で「容疑者」ではなく「さん」「元院長」などの呼称が使われたのは、元官僚という「上級国民」だからだ、という憶測が広がった。 逮捕されないことや報道上の呼称については、それぞれしかるべき理由があるとして、憶測は否定されているようだ。 けれどもこの出来事をきっかけに、一般国民にはない特権を持つ人々(上級国民)の存在がクローズアップされたのは、社会の仕組みを正しく知るために有意義だったといえる。 ネット上の議論を見ていると、上級国民とは根拠のない陰謀論の産物で、現実には存在しないと主張する向きもある。 これは明らかに言い過ぎだ。 上級国民という呼び名はともかく、国民が一部の特権階級とそれ以外の一般人に分かれることは、あとで詳しく述べるように、古くから学問的にも指摘されてきた事実だからだ。 その意味で、上級国民は本当に存在する。 議論を深めるうえで重要なのは、何を基準に上級国民と一般国民を区別するかである。 言い換えれば、上級国民の正しい定義とは何かである。 現在、その定義はあいまいだ。 ネットの「ニコニコ大百科」では、2015年の東京五輪エンブレム騒動を発端に、権威を振りかざす専門家を皮肉る意味合いで上級国民という言葉が広まった経緯を紹介し、最近では「政治家や役人、資産家などを批判的な意味合いにて指し示すようにも用いられる」と解説するものの、はっきりした定義は述べていない。 ベストセラー作家の橘玲氏が最近出版した『上級国民/下級国民』(小学館新書)は、そのものずばりのタイトルだが、期待外れなことに、上級国民の明確な定義はやはりない。 「じゅうぶんな富のある一部の男性」を上級国民と呼ぶ箇所はあるが、あまりに漠然としている。 これなら上級国民などという新奇な言葉を使わず、単に「富裕層」と呼べば済むことだ。 階級論 学問の世界では、経済において共通の地位を占める人々の集団を「階級」と呼び、階級に関する研究を階級論という。 階級論で一番知られているのは、ドイツの共産主義思想家、カール・マルクスによるものだ。 資本主義社会は、機械や土地などの生産手段を所有する支配階級である「ブルジョワジー」と、所有しない被支配階級である「プロレタリアート」に分かれ、両者の間には不断の争い(階級闘争)が繰り広げられると説いた。 盟友フリードリヒ・エンゲルスとの共著『共産党宣言』で述べた、「これまでのすべての社会の歴史は階級闘争の歴史である」という言葉は有名だ。

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上級国民の子供は最終的には下級国民を虐げる上級国民になるからな

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上級国民(じょうきゅうこくみん)とは、と対をなす、民の身分を表すのひとつである。 概要 上級国民という言葉は、に対してそれ以外の(特別な)民がいるかのような発言を受けて、それを皮るために生まれた単()である。 エンブ騒動を発端とし、にのを中心として発祥した。 当初は(に精通している)専門側のの言葉を皮るために用いられたが、その後は上級国民という言葉の連想から、や役人、などの層を的な意味合いにてし示すようにも用いられるようになった。 実際に単が生まれ、広まった詳しい経緯については以下の項を参照。 2015年に広まった経緯 この言葉は以後に上で急速に広まった言葉であり、それ以前の使用例は非常に少ない。 この項では、広まった経緯について解説する。 まず、としてはエンブに関する騒動がある。 、多数の応募作品の中からのによるエンブ案が採用されることが発表された。 しかしその後このエンブ案について、の劇場で先行する類似したが使用されていたことが判明し、ではないのかという疑惑が持ち上がった。 その騒動の中で、(あるいは氏のの他の)によるの等について、他者のや作品からの断流用・があったことが判明し、もそれを認めた。 その影から、がこのエンブ案でも断流用をしたのではないかと疑う人々が増え、やこのエンブ案を採用した組織委員会への・バッもしくなっていた。 ただしエンブ案自体については、はを否定していた。 そのためのエンブ案がそのまま使用されていく可性も残されており、使用をするのか、あるいは中止するのか、組織委員会の判断に注が集まっていた。 そんな中、に組織委員会はこのエンブ案の採用を中止することを決定し、その件についてを開いた。 その会見では組織委員会の総長の敏郎がこの判断に至るまでの経緯の説明を行ったが、その中で、(エンブ応募作品の審にあたった審の一正の意見を紹介する、という形で)「一般の民の方々」「」という言葉が使用されていた。 この言葉が使用されるまでの文脈を示す意味で、やや長くなるがその言葉を含む発言内容をする。 (「氏は模倣を否定しており、エンブは自分のであるとしている」という内容を伝えた後に) 審はですね、私はこれについて、「どういうにお考えになりますか?」と伺ったところ、 『界の理解としてはですね、そのようにさんの9されたの基本、それはとは全く違うものであるので、違うものと十分認識できるものであって、さんの言う通り、これはさんのなものとして認識されると、自分は思います』 と。 『界としては、そういう理解』 と、ということでありましたが、同時にですね、 『ここまで色々な形で問題となった時に、一般の民の方々が、今のような説明で本当に納得されるかどうかということについては、現状、問題があるかもしれません』 と。 これはさん自身のお話でありました。 『残念ながら、自分のこのような説明、それからさんの説明は、専門の間では十分分かり合えるんだけれども、にはわかりにくい、残念ながらわかりにくいですね』 という話が、ありました。 (「」によってにされた「」より、敏郎総長の発言内容を一部抜して書き下し。 言いよどみ、繰り返しは省いた。 ) 以上のようにこの発言の文脈では、「一般の民」「」と対されていたのは、「界」「(一正審のような、の)専門」であったことがわかる。 即ちこの会見において、「」とは「ではない人たち」「の専門ではない人たち」、つまり「非専門」という意味合いであった。 逆に言えば、本来の意味ではどれだけの持ちだろうが権者だろうが、に精通していなければ「」に含まれるとも言えるだろう。 この会見の後、「」のや上のの中には、この「」と言う表現を「」であるといった論調で的に要約して伝えたものが多数あった。 その中では「」の対として「上級国民」という表現が使用されていた。 その結果、本記事の「上級国民」という言葉が上で急速に広まったのである。 なの言葉が広まるにつれて、「」が「の専門」と対させた「非専門」をす表現であったという元々の意味合いについては割と薄まってしまったようで、「上級国民」という言葉は「」「専門」ではなく、「特権階級」「上流階級」をして使われることも多いようだ(ただし本来の成り立ちからすれば厳密には誤用である)。 2019年に広まった経緯 新まで残すところ約10日となった、過ぎ、にて歳の高齢が運転するが。 歳の運転手含む10人が怪、2人の子がするとなった。 を起こした運転手が元高級官僚であったことが判明し、凄惨なのわりにされなかったこと、に対するののありかたなどが問題になり、この事件を機に上では「上級国民」の言葉が再び広まることになる。 詳細については個別記事「」「」の記事を参照。 以降、においては「上級国民」の項は消され、新規には作成できない状態になっている。 また、の 外部 もやるきがなさげである。 上級国民と見なされる人々 への露出が多い人を中心に、以下の人物・団体が上級国民と見なされる場合が多い。 (特に現役閣僚・閣僚経験者)• ・等の一部の• ・等一部の団体• を利用して租税回避している人• 関係者• 御用学者• ・ 等 関連動画 関連項目• 特権階級• - 上級国民と対をなす。 第14条 - 法の下の等、の禁止、栄典について規定している。 等権に関して規定する条文とも言われる。 法の下の等• 族 - により止されたの制度。 プチ事件• - エンブ関連の騒動を詳細に扱った記事。 同記事は氏および組織委員会に対する的な論調であり、この言葉が広まるとなった「雰囲気」がわかりやすい。

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