特急マーク。 エル特急

エル特急

特急マーク

この記事にはやの一覧が含まれていますが、 による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事のにご協力ください。 ( 2014年10月) 特別急行列車(とくべつきゅうこうれっしゃ)は、における急行系統の列車であり、の上位に位置するである。 略して 特急列車(とっきゅうれっしゃ)、または単に 特急という。 やごとに多少の違いはあるものの、概ねその路線で最も早く目的地に到達する列車に与えられる呼称である。 本項では、が必要な()としての特急列車のほか、以下についても取り扱うこととする。 特急電車 - かつて(国鉄)で運行されていた特急料金不要の列車()• 特急料金不要の「特急」 - 現在日本ので運行されている列車であり、国鉄・では広義のに含まれる列車• 鉄道以外の「特急」 目次• 日本国外の例 [ ] 列車種別の分類は国や鉄道事業者によってまちまちであるが、そのうち他の列車より速い、専用車両を用いる、特別料金を必要とするなど、日本の特急に近い性格を持つもののことを、日本語で「特急」と表記することがある。 ただし正確を期する必要のある場合には原語表記やその直訳、仮名転写などが用いられる。 また や などのの列車は「」や「」と訳されることもある。 では、までにおいて「」という種別が存在した。 同年以降、長らく韓国に「特急」という種別は存在しなかったが、より(・)の速達列車として「特急」が新設された。 なお、現在の(KORAIL)の長距離座席指定列車である、などの列車では、観光ガイドなどで便宜的に「特急」という表現が使われることがあるものの 、愛称が列車種別を兼ねているため、正式には「特急」の名称は使用していない。 には、豪華な列車に、特別料金を支払って乗車する上等客のみを扱う " LIMITED" と呼ばれる列車が1910年代から運転されたが、「特急」に該当する列車種別は無い。 では、古くから日本の特急に相当する列車の運転が盛んである。 イタリアでは1936年から電車による特急列車が運転された。 1957年にはヨーロッパ各地を日帰りで行き来できるビジネスライクな が整備され、これらの列車にはを必要とした。 その後は " InterCity IC " 列車に変更された。 これは都市間連絡を主たる目的とする在来線優等列車であり、21世紀において欧州では TGV や ICE などのいわゆる新幹線タイプの特急列車が中心である。 しかし、かつては「」、「」、「」、「」などの著名な特急列車が運転され、高速なだけでなく、その走行区間において最も豪華な列車として運転されていた。 これらの特急列車はほとんどが(三等級時代は一、)のみで編成され、パーラーカーややバー、ブチックやを備えていた。 これらの列車には他の列車より高額であり、特別急行券を必要としていた。 特急の訳語 [ ] 通常英訳には、かつての米国の例に倣い「 Limited Express」が当てられるが、米国では鉄道旅客輸送の衰退に伴いほとんどになっている。 ただし、 のようにが引き継いだ列車愛称の一部にその名残が見られる。 EXP. 国鉄・JRの特別急行列車 [ ] 沿革・概要 [ ] 戦前特別急行列車の創始とその終焉 [ ] 特別急行(特急)列車が設定される前、急行列車より速い列車には「 」という種別をつけることがあった。 その中でも(39年)に、国有鉄道の - 間で設定された「最急行 1・2 列車」は、運賃以外に初めて速達サービスのための料金を徴収する列車となるなど、現在の有料特急・急行の元祖と位置づけられるものであった。 「 特別急行」の種別を初めて用いたのは、(明治45年)に前述した「最急行 1・2 列車」を区間延長する形により、を介して・欧州などへのの一翼を担う「大陸連絡列車」として、-間で運転を開始した 1・2 列車である。 編成内容も・のみでが最後尾に連結されるなど 、「日本の国威」を対外宣伝するためのような存在であった。 (3年)にが開業すると、1・2 列車も東京駅始発となった。 (大正12年)、同区間にのみで構成された 3・4 列車が運転開始される。 そこからも分かるように、この列車はどちらかと言えば大衆向けの設定であった。 に入ると特急列車に「」が付けられるようになり 、新しい列車の設定も見られたが、間も無く戦争に突入したため、結局戦前の特急列車は下記の 4 種のみにとどまった。 また戦前の特急列車は、東京以西の路線(、、、)のみで設定されていた。 そしての激化により、(19年)を以て「富士」を最後にそれらは全て廃止され、日本の特急列車は一旦消滅した。 この時期の特急列車 [ ]• - (昭和4年)、当時の国有鉄道を運営していたは前述した 1・2 列車に「富士」と命名した。 これは日本初であり、また公募によるもので(公募についてはを参照)、後述する「櫻」・「燕」もそこから命名されている。 「富士」は戦前の日本を代表する列車となり、一等展望車を最後尾に連結していた。 (昭和17年)、の開業により「富士」は運転区間をまで延長、翌年までに短縮し、1944年(昭和19年)4月に廃止された。 - 1・2 列車に「富士」と命名されると同時に、3・4 列車には「櫻」と命名。 (昭和9年)12月までは、「富士」に対して十数分先行するような時刻で運転された。 前述した「大衆列車」としての使命を全うして運転されていたが、1942年(昭和17年)11月に急行列車に格下げられた。 - (昭和5年)、東京駅-神戸駅間に一・二・三等の各等をすべて連結した列車として運転を開始。 この列車には所要時間を短縮するために様々な工夫がなされ 、1934年(昭和9年)12月には東京駅-間を 8 時間で運転、戦前の最高記録を打ち立てた。 (昭和18年)10月に廃止。 - (昭和12年)7月、東京駅-神戸駅間に運転を開始。 前述した「櫻」・「燕」の補助的性格の強い列車であった。 1943年(昭和18年)に廃止。 太平洋戦争後の復活とその後の展開 [ ] 終戦直後は、石炭・車両・整備の状況が戦時中以上に悪化したこともあって、特急列車どころか普通の列車すらまともに運転できない状態となり、(昭和22年)のから4月に掛けては急行列車まで全廃された。 その後、それらの状況がやっと好転して来た(昭和24年)9月、東京駅-大阪駅間に「へいわ」が運転開始される。 同区間を9時間で結び、速度こそ戦前の水準に及ばなかったが、この時1944年(昭和19年)以来 5 年振りに展望車・が復活するなど、見るべきことは多かった。 特徴のある特急列車 [ ] こだま その後、特急列車は次第に各線で設定・増発され、特徴ある物も増えた。 戦後の特急列車史に残る列車としては、下記の列車などが挙げられる。 (は除く)• - (昭和25年)1月、前述した「へいわ」を運転開始 3 か月で「つばめ」と改称し、戦前の名列車の名前が蘇った(戦後は「つばめ」と平仮名書き)。 同年6月、同区間にその姉妹列車として「はと」が登場する。 さらに同じ年の10月には東京駅-大阪駅間の所要時間を戦前同様の8時間とし、(昭和31年)11月には 7 時間 30 分にまで短縮する。 後述する「こだま」が登場するまで、「つばめ」・「はと」は戦後のを象徴する列車として走り続けた。 「」 - 1956年(昭和31年)11月、東京駅-博多駅間に戦後初の夜行特急列車として登場した。 関西圏を深夜時間帯に通過したりするなど、話題に尽きない列車であった。 2年後の(昭和33年)10月には使用車両を新型のに置き換え、初の「 」となった。 「」 - 1958年(昭和33年)10月に-間、即ち戦前戦後を通じて初めて東京以北へ向かう特急列車として設定された。 当初はを使用していたが、2年後の(昭和35年)12月にこれまた日本で初めての による特急列車となった。 (昭和43年)10月の改正で電車特急となる。 「」 - 1958年(昭和33年)11月、東京駅-大阪駅間に を使用した特急列車として登場。 当初同区間を、それまでの機関車列車の所要時間より 40 分も早い 6 時間 50 分で結び、電車の優位性を見せ付けた。 2年後の1960年(昭和35年)6月には、それをさらに 6 時間 30 分にまで短縮している。 これによって東京-大阪間の日帰りが可能となったことから 「ビジネス特急」と呼ばれ、の開業まで東海道本線の代表列車として疾走した。 特急列車運行の全国展開 [ ] 特急列車が普及したダイヤ改正として著名なものには、1961年(昭和36年)の改正(通称「」ダイヤ改正)と、1968年(昭和43年)10月1日の改正(通称「」ダイヤ改正)がある。 1961年(昭和36年)の改正ではそれまで東北・東海道・山陽・鹿児島・長崎の各本線と常磐線でしか運転されていなかった特急列車が全国の幹線を走り始め、1968年(昭和43年)の改正では、それまではその名の通り「特別」な列車であった特急列車が、需要の多い線区では1964年(昭和39年)10月に開業した東海道新幹線と同様ネット化が進み、大衆化をも推し進めることになった。 この時期の著名な列車 [ ]• 「」 - (昭和36年)10月、大阪駅-青森駅・上野駅(経由)間を結ぶ気動車による特急列車として登場。 で上野編成と青森編成とを切り離し・併結すると言う、同時に登場した「」とともに、日本初の分割・併結を行う特急列車となった。 (昭和40年)10月に、上野への編成が上野駅-間の「」として独立、そして1972年(昭和47年)10月には使用車両を電車に変えるが、その後も(平成13年)3月まで大阪駅-青森駅間 1040. 0 km を結ぶ、在来線では日本最長距離を走る昼行特急列車として君臨し続けた。 「」 - (昭和39年)10月に、東京駅-間を結ぶ寝台特急列車として登場、翌1965年(昭和40年)10月から運転区間を(現、鹿児島中央駅)まで延長し、(昭和55年)10月に運転区間を短縮するまでは、東京駅-西鹿児島駅間を経由で 1574. 2 km を走る、日本最長距離走行の特急列車であった。 エル特急の登場とその後の展開 [ ] 「」も参照 (昭和47年)10月より一部の昼行特急には、「」と言う愛称が与えられた。 後に従来のを昇格して特急列車とした際にもこの扱いを行うことが多かった。 しかしが(平成14年)12月にエル特急を名称上全廃したのを皮切りに、他のJR各社でもエル特急の名称が廃止されていった。 最後までエル特急の名称が残ったも、3月のダイヤ改正でエル特急の名称を廃止したため、登場から45年半でエル特急の名称は消滅した。 1972年(昭和47年)- (昭和60年)に掛けて、・・といった新幹線が次々と開通するにつれ、長距離を走る特急列車は新幹線に取って代わられる形で次第に減少し、それと引き換えに新幹線の沿線から離れた都市と、新幹線との連絡・接続を図る、中-短距離の列車が増えていった。 1985年(昭和60年)3月 - 2002年(平成14年)12月までの間、・などでは同線内相互間の輸送を目的とした一部のエル特急を「」と称していた。 元々は、短・中距離の急行列車を増収のためほとんど停車駅は変えず特急列車に格上げした物で、でも乗車できることとし、料金も 50 km 以下の区間は急行料金と同額とするなど、特急と急行の中間的な設定にされた。 しかし前述のような理由で設定された特急であり、使われていたはそれまでの特急列車の車両より設備が劣り、関西ではに使うような車両にを付けただけのような物であったが、後に座席は通常の特急用と同じものに交換された。 2001年(平成13年)12月にそれ以外の列車と特急料金が同額になり、「新特急」を列車名に冠する必要が無くなったためか翌年消滅した。 因みにその頃までには東北本線の新特急は朝夕の時間帯を除いて一般車使用の快速に格下げされ、高崎線の新特急もアコモデーションのリニューアルや日中時間帯の停車駅の大幅な削減などの改善策が行われた。 また、の開通後は東北・高崎線の快速・普通列車においてもの連結が行われるようになったため、旧「新特急」が担当していた高崎線内相互間の着席輸送においては、快速・普通列車のグリーン車の拡充を重視する傾向になっている。 (平成16年)3月にが開通して以来、は「」のうち霧島神宮・国分発着のものや、「」、また2009年10月10日から運転の「」といった臨時特急列車などが存在するが、これらの列車は停車駅こそ限定されてはいるもの、いずれも同区間を走る普通列車と同等か、それより遅い便も存在する。 これは速達性を意味する「 特別な急行列車」の意味ではなく、新幹線との接続性を重視しているものや、また車内設備のサービスに対して料金を取るか取らないかどうかや、観光に特化したサービスの提供などといったサービスの違いで「快速列車」・「」などと区分するために、「特急列車」を名乗らせているものである。 このような観光に特化した特急列車のことをJR九州では便宜的に「観光特急」などと呼ぶことが多い。 編成について [ ] 「」、「」、および「」も参照 まではによるが組まれた。 しかし、1960年代以降、速達化を計る観点から、昼行列車から使用車種を・へ変更してゆく事となった。 この初例としては、運用の効率化を図った登場時のを用いた「」の編成がある。 詳細はを参照されたいが、これは、簡易食堂「ビュフェ」付き三等車と二等車を編成中央に組み込んで8両編成で運用するものであったが、速達化・快適性の向上がなされたため、在来特急列車の電車化を行う際には、運用の効率化よりも在来編成との摺り合わせがなされたため、10 - 12両で運用された。 しかし、利用者が少ないとされた線区での使用が予想されたではと(後の)を各1両備えた 6 両編成を基本とした編成が基本とされた。 電車でもの両数の差があるものの、編成が短くなり、おおむね8 - 12両程度で運用される従来のものから大きく変容するようになる。 その初例として、(昭和51年)に設定された「」では新製車両では最も短い4両編成で運用される事例がみられるようになった。 ただし、「みどり」の事例は「」と運転を行うとして運行する関係もあり、が小さい路線での措置として異例とされた。 本格的な短編成化として知られるようになったのは、との競争が激しくなったエル特急「」である。 この列車群では、車種統一を図った(昭和59年)以降改造車両を用い、1本あたりの編成組成を短くする代わりに本数を増発する手法を採ったため、(昭和61年)には「3両編成を組んだ特急」が運行されるようになった。 後継となるでは、2両または3両編成で製作、運用されている。 しかし、気動車ではキハ82系気動車の編成を元に設計した・では「大出力エンジンを積む」や(後者のみであるが)「極寒地仕様のため先頭車両は非貫通」とした事もあり、例えばキハ181系気動車は2両で運行することは可能であるが、「がない」・「座席数が少ない」という問題もあった。 そこで、1986年(昭和61年)に運用を開始したは2両編成で運用可能とした設計とし、実際に(JR四国)はのエル特急「」の運用開始時に運用を実施した。 なお、同車両は2016年(平成28年)現在2 - 3両の短編成で運用される事が多く、当初よりの所有会社であるJR四国では主に徳島県内の特急列車群で、一部は (JR九州)が購入し・を運行する特急列車群で運用されている。 また、(JR西日本)では「の置き換え」ないしは「の高速化」という観点から、キハ185系気動車以降にて2両固定編成での運用を前提としたを新製した。 また、キハ181系気動車を最後まで使用していた「」ではグリーン車連結の4両編成であったが、では普通車のみの3両編成で置き換えた。 客車については定員が少ないを中心にして運行されたこともあるため、食堂車、・を込みで10 - 15両程度の長大編成を組んでいたが、ではサービス電力を高出力ながら乗客を乗せない専用の電源車ではなく、編成の端に連結するより供給する関係で6両程度で組成をすることとなり、その編成単位の組み合わせで運行されるようになった。 しかし、以降、長期的な・の凋落傾向から必ずしも10両程度の需要がないことから、短編成化された列車も存在した。 中には廃止直前の「」の様に開放式車のみの4両編成で運行された列車もあった。 また、「」・「」は、運行末期である(平成17年)より(平成21年)の廃止までは以降のJR九州管内においては6両編成、東京駅 - 門司駅間ではそれを2編成組み合わせた12両で運行されていた。 なお、末期の寝台列車で運用されたものの編成は以下の通りであった。 (平成22年)に廃止された「」の運行末期はA寝台連結で8両編成であった。 「」・「」・「」ではであるのホーム最大に合わせた12両編成となっていた。 編成の長短について [ ] 新幹線(写真はN700系) で運行される列車も特急列車として分類される。 (昭和50年)3月まで速達タイプの「」と各駅停車タイプの「こだま」は料金に区別があった。 また、1972年(昭和47年)3月までは「ひかり」は、「こだま」は特急として区別していた。 (平成4年)3月に登場した「」も「ひかり」・「こだま」とは料金に格差が設けられている。 ただし、(平成15年)に「のぞみ」にもを設定したが、これについては「ひかり」・「こだま」と同一料金である。 と直通する列車も特別急行列車と定義されている。 このため、運行列車(列車名なし)や「」・「」も特別急行列車である。 特急料金 [ ] にある通り、JR の場合特急列車を利用する場合、のほかに特別急行券(特急券)が必要である。 料金などの詳細については、「」の項を参照されたい。 特急列車へのでの乗車は原則として認められていないが、近年は特例として一部の列車・路線で定期乗車券に自由席特急券ないしは立席特急券を追加すれば乗車が認められるようになってきている。 現在では、自由席については昼行列車の全列車が定期乗車券との組み合わせで乗れるようになった。 しかし、指定席は認めていない場合も多い。 特急料金が不要な区間 [ ] 普通列車が一切ないなどの理由で、特急列車に乗車しても特急料金がかからない区間がある(ただし、新幹線車両使用区間を除く)。 詳細は「」を参照のこと。 車両 [ ] 国鉄の「つばさ」とトレインマーク() 時代の特急の特色として、綺麗なデザインが施されたがある。 丸い金属製のもので、客車端部に設置したものである。 戦前にすでに運行されていた「」「」の列車愛称命名時に取り付けを行ったのが端緒である。 戦後、(昭和25年)に復活した以降、特急列車のシンボルとして牽引機関車と最後尾客車に取り付けられるようになった。 以降、特急列車である・「」・「」・「」・・ までは・を含むによる列車のみであったため、半ば必然的にトレインマークとしてのヘッドマーク・テールマークが用意された。 以降、新設の特急列車では、初のであるでは151系電車の特急マーク・国鉄ロゴ・ボンネットスタイルを踏襲し、ヘッドマークについては列車名のみとなった。 客車列車はの電車化が(昭和42年)登場のであることから、それ以前の設定列車は客車列車のみとなり、イラスト付きのヘッドマークが用意された。 なお、では、・ついては当初地色を列車ごとに変えたが 、のちに白地に濃紺(ローマ字表記は赤)で列車名のみを表示する形とした。 また、後継であった・といったでも当初は列車名のみの表記となっていた。 そのため、機関車取り付けのヘッドマークは寝台特急のシンボルとなり好評を博した。 その一方で、取り外しが面倒、費用が嵩む、あるいはに合うなどの理由で(昭和50年)には東京 - 西日本・九州方面の7列車以外はすべて廃止されてしまった。 しかし、このトレインマークは軒並みや子供たちの間で評判で、ブルートレインブームを巻き起こした。 加えて漫画『』のヒットなどにより、が大流行した。 それを受け、自動車、航空機など移動の多様化にともなう旅客減少により、採算が悪化、事業再興の機を窺っていた国鉄は千載一遇のチャンスとばかり、(昭和53年)10月にはすべての電車特急にイラストを施した 絵付きトレインマークを採用することになる。 このトレインマークは子供達だけでなく、鉄道ファンやその他一般人にも大きく受け入れられ、ブルートレインと並んで旅客特急列車にブームを呼び寄せ、トレインマークをデザインしたグッズや特急を掲載した図鑑や絵本が人気を呼び、に興味を持つ人も多く誕生した。 当初は、交換が容易なを備えたまたは緩急車で採用されたため、同じ電車列車でも透過式アクリルヘッドマークを使用したボンネットタイプの制御車を持つ車両ではイラストなしの愛称標を使用していた場合もあったとされる。 また、同様の形態 で愛称標を使用していた・も絵入りのトレインマークは採用が遅れたが、(昭和60年)1月までには全路線の気動車特急にも絵入りトレインマークが採用されるようになった。 しかし、(昭和62年)4月1日にされ、 が発足すると各社はこぞって脱国鉄色を目指すようになり、加えて鉄道車両の老朽化、陳腐化などに伴い、高速性、居住性の改善など性能に優れた近未来的な新型車両を採用していく中で、JR東日本を中心にを利用したマークが採用されたり、トレインマークを掲げないものも増加していったりした。 一方で、車両を特徴付けるサインやは重視された。 他方、JR西日本のの各特急列車では、183系電車・381系電車にての運行末期となった時期では図案を統一化したものや、のから図案をより簡略化したものもあらわれた。 また、かつてそのブームの旗手となった寝台特急が廃止に追い込まれていく中で、多くの鉄道ファンや子供たちが魅せられたイラスト付きのトレインマークは過去を回想させるものとなりつつある。 特急電車 [ ] の前身である時代より同路線では特急やといった無料の速達列車が運行されていた。 同社が山手線を経て(昭和19年)5月にされた時点ではそれらはすべて急行となり、それらも戦時中にいったん廃止されるが、1946年12月改正でが、1949年3月改正でが復活し、1950年10月改正で流電ことを使用した特急が復活した。 これらの列車は他の国鉄特急とは制度的に別種の列車であり、また国電区間で初めて設定された特急であったことから、阪和線の特急は 特急電車と呼ばれ他と区別された。 しかし、1950年代後半になってくると他線区でも電車による優等列車が走るようになり、1958年には電車による有料特急「こだま」の運行開始が予定されていたため、阪和線の準急電車・急行電車・特急電車は(昭和33年)10月の称号改正で特急電車が、急行及び準急電車がに改められた。 私鉄の特別急行列車 [ ] ではが(大正15年)12月3日に、初めてこの名前の列車を運転したといわれている。 また、料金を別途必要とする有料制の特急列車については、が(昭和22年)に - 間において運転を開始した のが最初である。 利用するためには、鉄道会社によってJRと同様にのほかに(またはそれに類した追加料金)が必要なものと、乗車券だけで利用できるもの、および座席指定車と料金不要の自由席車の両方を連結したものの3種類がある。 また、私鉄にはオリジナルの列車種別が設定されていることも多く、用途や行先を冠することで、複数の「特急」(例:の場合ミュースカイ・快速特急・特急)が設定されているケースも少なくはない。 また、近年では、に「」的な性格の列車が運転されているケースも多い。 有料特急列車 [ ] 有料特急列車の例:近鉄特急 種別としての性格は、など特別急行料金を徴収する JR の特急列車と同等のものと、や、など本来特別急行料金は設定していなかったが、座席指定料として運賃とは別に料金を徴収するようになったものとがある。 JR と同様に、高速性、車内設備などが他の種別に使用している車両に比べて優れているが使用されており、差別化を図っている。 一部の私鉄やには、JR線から特急列車が乗り入れている(一部は相互直通運転を実施)。 なお、事業者によっては指定席車と自由席車の両方を連結する列車も運行されているが、これについては次項「」を参照。 自社の専用車両を用いて運行する列車 [ ]• 臨時列車を除く。 列車愛称は現行愛称を中心に掲載(詳細は各種記事を参照)• 通勤ライナーとして独立した列車種別で運行されている有料列車についてはおよびを参照。 『むいね』『もみじ』は下り、『しらかば』『みどり』は上り列車。 東北・関東地方 運行事業者 愛称 運行路線 備考 ブランド名・通称 列車愛称など 通過駅あり 各駅に停車 (一部各停) で運行。 鬼怒川線・会津鬼怒川線・会津線内のみ相互利用の場合、乗車券のみで乗車可能。 1964-69年の間は使用列車にD特急の列車種別を使用し、 1969-71年の間は1720系使用列車をA特急、1700系使用列車を B特急と列車種別で区別した。 伊勢崎線 (りょうもう) (りょうもう) 『りょうもう』は、『リバティりょうもう』は500系「リバティ」で運行。 伊勢崎線 特急ライナー 伊勢崎線・ (ちちぶ) 列車種別もスカイライナーで、特急(無料)の上位に位置する。 2015年12月5日定期運行廃止。 湯の山線の特急は2004年定期運行廃止。 難波線・奈良線 京都線・橿原線 大阪線・名古屋線 山田線・鳥羽線・志摩線 伊勢志摩や吉野の観光地へ向かう旅客のための「観光特急」として運行。 特急券の他に専用の専用の車両券が必要となる。 南大阪線・吉野線 南海本線 南海本線 高野線 全区間の運行を南海に委託。 JR西日本直通は1990年3月10日廃止。 JR東海直通は2001年10月1日廃止。 この場合、自由席については一般車両が使用され、かつ普通乗車券のみで乗車できる。 運行事業者 愛称 運行路線 備考 ブランド名・通称 列車愛称など 通過駅あり 各駅に停車 名古屋鉄道 名古屋本線・西尾線 常滑線・空港線・河和線 津島線 犬山線・広見線 豊川線 知多新線 尾西線 列車種別は特急および快速特急 を必要とする特別車両を「特別車」、それ以外を「一般車」と呼称。 特別車はリクライニングシート、一般車は通常転換クロスシート車 または転換セミクロスシート車、およびロングシート車のいずれか。 南海電気鉄道 南海本線 指定席車はリクライニングシート車であるが、自由席車は通勤形のロングシート。 高野線 展望車のみ座席指定。 洛楽(快速特急) 列車種別は特急および快速特急「洛楽」 プレミアムカーはリクライニングシート、自由席車は転換セミクロスシート車。 料金不要の「特急」 [ ] この節のほとんどまたは全てがにのみ基づいています。 も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。 ( 2019年3月) 他の列車種別より停車駅が少ないもの、いわゆる最速達列車として「特急」を運行している事業者も存在する。 そのため、他種別の列車と同じくを用いるのが一般的である。 ゆえに、このタイプの「特急」は JR における「」または「」(前述した国鉄阪和線における特急電車と類似、いわゆるの一種)と同義の種別であると考えることができる(「」も参照)が、一部の私鉄には快速に相当する種別を「特急」として、その上に「」といった、さらに上位の種別を設定している事業者もある。 しかし、競合する他事業者の鉄道路線がある場合には、料金不要の列車といえども車内設備や性能の優れた専用車両を充当することがある。 こうした例は、や・と競合すると、と競合する、中京地区でと競合する、・と競合する・・・、と競合するに見られる。 臨時列車を除く。 表中の「派生種別」については特急の派生に限る。 急行・準急など他の派生種別は各項を参照。 同年6月から8月まで進駐軍専用車。 1948年8月以降は有料・座席指定。 より川越特急を新設。 通勤特急 都営浅草線よりエアポート快特が直通するが 3社線内では種別を変更する。 案内上,単に「行き」と表示される列車を含め、は経由しない。 通勤特急 および・・へ乗り入れる。 大半の列車をと称するが、直通先での列車種別は特急ではない。 東二見駅 - 山陽姫路駅間系統は通過運転を行う。 大社線は土・日・祝のみ運行。 詳細はを参照 私鉄における特急のバリエーション [ ]• 有料列車として運行されている列車種別についてはの節を参照。 通勤ライナーとして運行されている列車種別についてはおよびを参照。 快速特急およびその派生種別、超特急、エアポート快特、直通特急、準特急、エアポート特急については下記の記事を参照。 (快特、通勤快特、快速特急A含む)• (エアポート特急含む)• (も参照)• 「序列」は各事業者内の列車種別における特急に対する位置関係を示す• 上位/同位/下位:特急と比べて停車駅が少ない/同じ/多い• 千鳥:特急通過駅に停車する一方で一部の特急停車駅を通過する• なし:派生種別のみで「特急」が運行されていない• 阪神電気鉄道 上位 神戸高速線 阪急電鉄 同位 神戸高速線 京成電鉄 上位 本線 押上線 直通先(都営地下鉄、京浜急行電鉄)でも案内表示のみ行われる 東武鉄道 なし 2019年3月16日新設 車両のみに限定運用される。 詳細は各記事を参照。 (最大急行含む)• 路面電車の特急運転 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2015年7月) 鉄道事業者によっては、特急列車に専用を充て、かつ特急乗務員専用行路を与えていることもある。 特ににいたっては、運転技術で選抜された者や、特別な研修・実地訓練を受けた者に対してその任務が充てられることがある。 各社()の場合 - 概ね制限はない(新任運転士でも乗務することがある)。 JR 各社()の場合 - 在来線運転士を数年間経験し、選抜試験を通過して研修と実地訓練を受け、操縦免許の転換試験に合格した者。 ただし例外もある。 の場合 - 運転士と車掌を 5 年以上経験した者で、研修と実地訓練を受けた者。 の場合 - 一般列車を半年以上乗務した者。 (・使用で淀屋橋-出町柳の全区間運転列車のみ)• の場合 - 南海本線では選抜された者。 高野線では希望調査。 の場合 - 一般列車を1年以上乗務し、研修を受けた者。 鉄道以外における「特急」 [ ] 特急バスの例:山陰特急バス(日本交通) バスにおいても、特に停車する停留所を限定している系統が「特急」を名乗る場合がある(例:、)。 ただしその中でもを主として走行する物は「高速バス」と呼ばれることが多い。 「」「」の項目も参照のこと。 ちなみにでは、高速バスのを通常「高速 高知」「高速 長野」などと表示しているが(LED 幕車では行き先のみ表示)、スーパーノンストップ便に関しては「特急 福岡」「特急 有馬温泉」と標示し、「特急」を「高速」よりも格上の存在と位置づけている。 フェリーに関してはからまで、「特急」と冠した「」が存在した。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• また、特急停車駅の「海浜幕張駅」を通勤快速は通過するのも異例である。 私鉄では速達列車は料金徴収の有無を問わず優等列車として扱われることもあるが、料金不要列車も優等列車の範疇に含めるかどうかは事業者によって異なり、のように料金不要列車には速達列車であっても優等列車という表現を用いない事業者もある(も参照)。 なお、鉄道ファン1991年12月号のキハ80系・キハ181系の記事によると、当時の時刻表の編成図には、一等車は「ロ」、二等車は「ハ」、食堂車は「シ」と記載されていたため、編成は「ハ・ハ・ハ・シ・ロ・ハ」となり、「はっ、はっ、はっ白歯」とめいた表現で編成内容を覚えることができたとされる。 なお、「」・「」の東京駅 - 間の17両編成でも車両の両数上同数となるが、・と・の先頭車両の差により、「はやぶさ」・「こまち」となる。 「みずほ」については「こだま」登場以降だが、運行当初は在来形車両での運行であるためこれに含める。 なお、キハ81系気動車の改良型であるキハ82系気動車では、ボンネットデザインは踏襲されず、先頭車両はのデザインとし、以降北海道専用とされたやを除きボンネットデザインの車両は存在しない。 例えば、「あさかぜ」は薄水色、「さくら」は桃色、「はやぶさ」は黄色、「みずほ」は水色で文字が黄色。 一方で、低年齢層に媚びる様、あるいはあからさまな大衆迎合路線に対し、国鉄特急の威厳を知る古くからの鉄道ファンは拒否反応を示し、のはへの寄稿に際し、「に用いられた図案は鼻詰まりの少女のよう。 」と、冗談を交えながらも苦言を呈している。 キハ82系・キハ181系気動車の愛称表示板は大きさこそ異なるが、表示方法は181系電車・481系電車の初期形式、20系客車のうち非貫通緩急車・電源車と同じ透過式アクリルヘッドマーク。 ただ、当時はとで軌間が異なっていたため、での乗り換えを要していた。 近鉄において名阪間の直通運転が可能になったのは1959年12月のことである(も参照のこと)。 出典 [ ]• JTBパブリッシング 『JTB時刻表』2015年3月号 京葉線のページを参照。 一例として、 - コネスト• 2017年1月15日閲覧。 (国立国会図書館デジタルコレクション)• (国立国会図書館デジタルコレクション)• (国立国会図書館デジタルコレクション)• PHP研究所 梅原淳『雑学3分間ビジュアル図解シリーズ 特急列車のすべて』p. 寺本光照「阪和線 列車運転史」『鉄道ピクトリアル』第728巻、鉄道図書刊行会、2003年2月、 51頁。 PHP研究所 梅原淳『雑学3分間ビジュアル図解シリーズ 特急列車のすべて』2010年7月 p. 30 - p. 徳田耕一『名鉄の廃線を歩く』JTB、2001年、36頁。 徳田耕一『名鉄 昭和のスーパーロマンスカー』JTBパブリッシング、2015年、75頁。 週刊『歴史でめぐる鉄道全路線・大手私鉄No. 10・京浜急行電鉄』•

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特急マーク図鑑 列車を彩るトレインマーク 旅鉄BOOKS

特急マーク

2017年7月24日から、第一弾として特急ひばり、第二弾として特急あさま号の駅弁が販売になったのを皮切りに、既に3年間も連続して様々な列車で登場している駅弁が、 特急列車ヘッドマーク弁当です。 取り扱う駅弁売り場は、首都圏の東京、鎌田、品川、上野、大宮各駅の膳まいやHANAGATAYA等です。 上は、東京駅の膳まいの店舗の1つです。 第一弾のひばりは、ここで購入しています。 膳まいは、時折ユニークな駅弁を売り出すので、私の大好きなスポットです。 下記のように、二種類の特急列車ヘッドマーク弁当が併売される事もありました(ひばりとあさま)。 鉄道ファンや駅弁ファンにとっては、堪らない状態ですね!(後に、ひたちとゆうづるも同時に販売されました) 人気を博したからか、現在は第12弾まで販売されています。 過去の特急列車ヘッドマーク弁当は基本的には販売終了なのですが、例えば京王百貨店の恒例の駅弁大会など、イベント時には再販売される事もありますので、見かけたら買い求めるようにしましょう。 以下、クリックして頂くと、該当のお弁当の部分にジャンプします。 (第6弾の「とき」以降は、2ページ目の該当部分にジャンプします。 特急ひばりなんて、超絶に懐かしいです。 今の若い人には記憶の片りんにもない列車だと思いますが、私が青春時代を送ったウン十年前には、上野と仙台を結ぶ大動脈を担う、主力のエル特急でした。 監修するのは、仙台の老舗牛たん料理屋の利久です。 名前を聞いたことがある人も多いと思います。 利久はお弁当の販売もやっていて、膳まいの店舗でも利久の「駅弁」を食べることができます。 外箱を外すと、お弁当箱です。 超いいですね、これ。 何度も利用したいと思います。 四隅でしっかりと蓋を閉じることができて、ちゃんと密閉できるので、日常的にお弁当箱に使えます。 さて、利久監修の「ひばり」、開封するとどんな感じになるのでしょうか。 動画にも撮っておきましたので、ぜひご覧になってください。 購入データ 購入場所 東京駅の駅弁屋膳まい東京南通店にて購入。 購入日時 2017年7月27日、午前10時半前に購入。 価格 2160円(税込み) ラベル表示 利久が「監修」などと言っていますが、きちんと利久の 自社の工場で製造しているのが分かります。 うん、だからこんなに美味しいんだと、納得!! 製造 株式会社利久 新木場デリバリーセンター 東京都江東区新木場1-4-49 03-5534-0977 (ホームページはありますが、ひばり弁当等の情報は皆無です) 開封して、外箱と蓋と、中身が分かるように並べてみると、これはマニアとしては収集したくなるような「ヤバい」駅弁ですね。 お品書きの反対面は、ひばり号の写真になっています。 ご飯の上に敷き詰められた、タレ味の牛たんです。 お品書きには「牛タン丼」と記されている部分です。 表面のテカリ具合が何とも美味しそうです。 パラパラと、白ごまを振っています。 我慢しきれず、速攻で食べました。 ・・・ 最高に美味いです。 タレも濃すぎず薄すぎず、タンの旨みを邪魔しない、最高の状態だと思います。 惜しいのは、牛タンがやや薄い事。 同じ仙台の牛たんの駅弁、のほうがもうちょっと分厚かったような気もします。 といっても超絶に美味い事には変わりなく、牛タンと同時に食べる麦めしも、炊き加減が絶妙で、適度にタレが絡んでいて、さすが利久と唸ってしまいました。 牛タン丼の部分だけでなく、副菜も素晴らしい。 まずは牛タン入りの焼売です。 初めて食べました。 牛たんの旨みが焼売に滲み出ているような、そんな気がします。 焼売の硬さ(柔らかさ)なども実にちょうど良く、私はこの焼売の大ファンになってしまいました。 牛タン入り焼売の名の通り、ハッキリ分かる大きさの牛たんが入ってます。 食べると、タンのゴロゴロした食感を感じることができて、今まで食べた事のない焼売でしたね。 もう1つ、牛たん入り厚焼き玉子も素晴らしい。 玉子焼き自体はそれなりに甘めのもので、甘いだけの、ここまで大きな玉子焼きを食べてしまうとお腹いっぱいになってしまうのですが・・・、 ほら、こうやって牛たんが閉じ込められていますから、飽きずに食べることができます。 駅弁で、こんなにバリエーションに富んだ牛タンの食べ方を体験できるとは、素晴らしい仕事ぶりだと思います。 利久さん、これは天晴です! 続いて第二段、で超有名な監修の「あさま」弁当です。 発表で鶏肉の駅弁と分かっていたので、知る人ぞ知る、荻野屋ののような駅弁かなと妄想が膨らんでいました。 外観は、特急あさまのヘッドマークが誇らしげです。 今回「あさま」は、上野駅の膳まいで購入しています。 買ってきて、自宅で開封して食べました。 動画でご覧になる方は、下記を。 購入データ 購入場所 上野駅の駅弁屋膳まい上野中央連絡通路店にて購入。 購入日時 2017年8月24日、午前10時45分に購入。 価格 2160円(税込み) ラベル表示 なんと、下記にも書いたとおり、成田空港近くの機内食業者に作らせているんですね。 これは、かなり驚きました。 羽田空港の空弁業者、エアポートデリカが製造するのだとばかり思っていました。 実に意外でした。 製造 株式会社インフライトフーズ 千葉県成田市三里塚光ヶ丘1-455 親会社のホームページで、成田で航空機機内食の調製を行う旨、記載されています。 インフライトフーズは、まさにその調製部門の子会社です。 元々はJALの子会社でしたが、現在はシンガポールの企業が筆頭株主のようです。 機内食製造のノウハウを駅弁に応用して来るとは、面白い事になっていますね。 開けてみると、こんな感じです。 「ひばり」の時と同様、心躍るものがありました。 メインの、鶏もも肉です。 飴色にテカるもも肉が、最高に美味しそうです。 それに、見るからにボリュームも抜群であり、最高ですね。 食べてみると、鶏肉の旨みをたっぷりと感じられて、表面の焼き加減も抜群に良好で、これ以上の調理はあり得ないなと感じるほどの出来上がりでした。 硬さもありません。 驚いたことに、鶏もつが添えられていました。 ゴロゴロと数個入っています。 この鶏もつがまた濃厚な味わいで、変なしょっぱさも無く、出色の出来栄えでした。 ・・・お酒を飲みたくなります。 昆布の佃煮も、駅弁の昆布佃煮にしては、かなり良い部類のものだと思いました。 ただ一点、そぼろ部分の味が明確に濃すぎるのが残念でした! ここまでしょっぱい味の鶏そぼろにしてしまうと、鶏肉の旨みは非常に分かりにくくなります。 ぜひ薄味で作っていただきたい。 食べているうちに、とりわけしょっぱいと思う部分がありまして、それがこの「おかか」の部分です。 鶏そぼろが濃すぎる場合は、おかかではなくて鰹節を味付けなしでご飯にたっぷり乗せるくらいでちょうど良いと思います。 あるいはおかかの味が濃いならば、鶏そぼろは絶対に薄味にしたほうが美味しいはずです。 今回はしょっぱすぎるものがダブルパンチでしたらから、余計に塩気を感じました。 とはいえ、総合的に考えると、どう見てもなかなかの優れモノの駅弁です。 流石、天下の荻野屋の監修だけあります。 今回の特急列車ヘッドマーク弁当、第一弾も第二弾とも、大変美味しく頂けまして、これはもう、何としても第三弾以降を発売して欲しいという気持ちでいっぱいです。 次回以降が出るとしたら、どんな特急列車が良いかな?? 「とき」号と新潟の駅弁、「つばさ」号と秋田の駅弁、「はくつる」号と青森の駅弁、・・・いやいや、こんな企画が許されるならば、もう何でもアリじゃないですか!! ・北斗星号&札幌の駅弁・・・(これは実現) ・& ・あさかぜ号&博多の駅弁 ・富士号& ・はやぶさ号&鹿児島の駅弁 などなど、全国津々浦々で売りまくって欲しいです。 いや~~~、これは激しく妄想が膨らみますね。 駅弁と言うのは、それほど旅情あふれるものですし、鉄道自体、非常に可能性に満ちた乗り物なのであります。 そして2017年12月、待ちに待った第三弾が販売になりました。 次はどこかと思ったら、小淵沢の丸政さんが調製する、「あずさ」になりました。 開けてみると、今までのヘッドマーク弁当の中では一番地味な印象でしょうか。 雰囲気としては、野趣あふれる田舎の牛肉弁当と言った風情です。 丸政さんのあの最高レベルに美味いの、あの炭火の風味にそっくりです。 こうやって、茶飯と一緒に食べると、最高です。 ご飯が止まらん。 そぼろが鶏ではなくて牛肉なのも良いですね。 そぼろは、錦糸卵や野沢菜炒めと一緒に食べると、より美味しく頂けました。 副菜はこれ。 山菜や昆布などはだいぶ安っぽくなりますが、やはり山菜が入っていると、山の中に分け入ってゆくイメージが湧きますね。 購入日時 2018年1月4日、正午過ぎに購入。 価格 2160円(税込み) ラベル表示 製造 株式会社丸政 山梨県北杜市小淵沢町996 0551-36-2521 2018年2月5日、ヘッドマーク弁当の第四弾として、「ひたち」が販売されました。 茨城県出身の管理人としては、大喜びです。 動画でも分かる通り、メインの料理は常陸牛のしぐれ煮です。 食べてみた感想は、これは調製元のしまだフーズさんの駅弁、ですね。 味が全く同じです。 常陸牛がたっぷりと乗っている駅弁なので、「やめられないとまらない」ですよ。 おかずは、青梅の甘露煮、桜しゅうまい、厚焼き玉子、かねふくの明太子、サツマイモの甘露煮です。 水戸と言ったら梅が有名で、梅の甘露煮が入るというのは最高に良いですね。 水戸駅弁、にも同じ甘露煮が入っています。 桜しゅうまいとサツマイモの甘露煮は、同じく水戸駅弁、に入っていますね。 材料を既存の駅弁と共通化して、駅弁製造業者の負担を一定程度軽減するのは、十分にアリだと思います。 ちゃんと地元の味ですし。 明太子は博多の味ではありますが、明太子メーカーのかねふくの大洗工場(めんたいパーク大洗)が非常に有名になり、関東で明太子と言ったら茨城というイメージになりました。 こういったものを取り入れる姿勢も、高く評価に値すると思います。 購入データ 購入場所 大宮駅の駅弁屋膳まい大宮北口店にて購入。 購入日時 2018年2月20日、正午に購入。 価格 2160円(税込み) ラベル表示 製造 しまだフーズ有限会社 茨城県水戸市南町1-4-16南町ビル2階 0120-611-787 そして、2020年3月1日、東日本大震災以来、一部区間で運休が続いていた常磐線が復活の全線開業を遂げるのに伴い、記念駅弁として、「ひたち」を復活させて、更には第12弾の「寝台特急テールマーク弁当ゆうづる」が登場しました(ゆうづるは別ページにて)。 ひたちはともかくとして、ゆうづるも、何と水戸のしまだフーズさんの調製となります。 一挙に2種類の駅弁を作り込むわけで、意気込みに感激しました。 駅弁としての外観は、2018年の発売の時と変わりはなく、また同じ味を楽しむ事になるのだろうと思っていたら、その期待は嬉しすぎる方向で裏切られる事になりました。 中身が、100%の完全リニューアルです。 しかも、前回は既にある駅弁と共通の食材を使っているのに対して、今回のひたちは完全新作と言って良い商品であり、衝撃的ですらありました。 メインは、茨城県産コシヒカリの上にドーンと乗った、同じく茨城県産の黒毛和牛のステーキです。 ステーキ系の駅弁は想像すよりもはるかに難しく、全国的にもイマイチな味のステーキ駅弁が多い中、ひたちのステーキは完全に合格点でした。 茨城県は蓮根やサツマイモの大産地でもあるという事で、それらの天ぷらが添えられているのもユニークです。 チラッと見えている野菜は、小松菜のおひたしです。 漬物ではなくておひたしなのは高評価です。 これも茨城県産です。 天ぷらの左には、つくば鶏の照り焼きも入っていて、肉類が多い豪勢な駅弁に仕上がっています。 だれもが満足する内容だと思います。 当然、つくば鶏も茨城県産。 その下に見えるきんぴらごぼうだけが、茨城県産を名乗っていないメニューです。 こうして見てみると、ほぼ全てが茨城県の食材と言う事になり、ひたちという特急名称の通り、常陸の国の地産地消にこだわった駅弁と言う事になりますね。 まさに、駅弁と言うのはその土地の文化を体現するものであると考えるならば、完璧に王道を行く駅弁と言えましょう。 動画版は以下。 購入データ 購入場所 東京駅のHANAGATAYA東京八重洲南口店にて購入。 購入日時 2020年3月3日、13時半に購入。 価格 2160円(税込み) ラベル表示 復刻版には、商品名の後に「RN」が付くのですね。 リニューアルの意味でしょうか。 さて、北斗星を買いに行ったものの、当初2回は下記のように売り切れ御免であり、非常に悔しい思いをしました。 やはり北斗星は、売れ行きが良かった印象があります。 そして販売からしばらくたって、落ち着いてきたタイミングでようやくゲットできた北斗星。 寝台特急は心躍るものがあります。 今回の監修は、北海道は苫小牧駅のまるい弁当さん。 北海道の駅弁屋さんの中でも、かなり評価の高いお弁当屋さんですから、余計に期待に胸が高まります。 外箱を見ると監修はまるい弁当さんですが、製造は神奈川県の資本金9億円、従業員70名の、お米屋さんが母体の弁当製造メーカー、千田みずほ株式会社の子会社であるジャンボリアが担当です。 さすがに、苫小牧から駅弁を運んでくるわけにはいかないのでしょうね。 それに、まるい弁当さんに大量供給の能力も無いでしょうし。 でも、地方の有力な駅弁屋さんにとって、このような外注生産の方式を取る事は、今後の会社の生き残りの策としては非常に有効だと思います。 外注生産ではなくてあくまでも監修だけ行って、品質面での責任は負わないのかもしれませんが、それはそれで良いのではないかと思います。 では、食べてみます。 蓋を取ると、このような感じです。 ジャンボリア製造でも、割りばしはまるい弁当さんなのですね。 青が基調と言うのは、食品メーカーではほとんどあり得ない色合いなので、こうして見ると非常に新鮮というか、不思議な感じに見えます。 寝台特急北斗星の説明も兼ねたチラシをめくってみると、まるい弁当さんの紹介とお品書きとなっています。 メニューを書き写します。 なんとなく、イメージ通りのメニューですね。 ・味付け醤油ご飯 ・本ずわい蟹の炊き込み ・北海道産昆布やわらか煮 ・鶏肉のザンギ ・酢〆紅白れんこん ・菜の花のおひたし ・煮物(椎茸・人参・筍・蓮根) メインの、ズワイガニご飯です。 錦糸卵もたくさん乗せてありますので、まるで北の大地に春が到来して、菜の花が一面に咲いているようなイメージがしてきますね。 ズワイガニのフレークを醤油ご飯と共に頂きますと、口の中はまさに「北海道の記憶」が広がるような気持ちになります。 北海道内で販売されている、様々なかにめし駅弁の味覚が蘇ってきて、旅に出ている感覚になるのでした。 冷静に考えると、苫小牧駅や南千歳駅の現地で売っているまるい弁当さんの駅弁の方がはるかに美味しいような気がしますが、北斗星の名に免じて許すとしましょう。 おかずの部分です。 撮り忘れましたが、紅白れんこんの下に、ザンギが盛り付けられています。 どれも平凡な味で、もう少々この部分は考えて頂きたかったですが、やはり北斗星だから許します。 今回の特急列車ヘッドマーク弁当(寝台特急テールマーク弁当)は、第4弾までのものに比較して、明確に味が落ちているのは間違いありません。 やはり外注で作ると、どうもイマイチになります。 でも、旅の楽しみというか、ワクワク感というのか、そういうものは今まで以上でしたので、総合得点で言えば従来同様の高得点をあげられます。 そして我が家では、このシリーズのお弁当箱をヘビーローテーションして、高校生の子供たちに持たせています。 蓋が完全に密閉して閉まるので、日常利用に最適です。 ほら、このようにして。 高校生の子供らの、お昼のヘッドマーク弁当。 最近は毎日これらのシリーズ。 早く次出ないかな。 購入データ 購入場所 上野駅の駅弁屋膳まい上野中央連絡通路店にて購入。 購入日時 2018年4月26日、午後3時半に購入。

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特急シンボルマーク

特急マーク

この記事にはやの一覧が含まれていますが、 による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事のにご協力ください。 ( 2014年10月) 特別急行列車(とくべつきゅうこうれっしゃ)は、における急行系統の列車であり、の上位に位置するである。 略して 特急列車(とっきゅうれっしゃ)、または単に 特急という。 やごとに多少の違いはあるものの、概ねその路線で最も早く目的地に到達する列車に与えられる呼称である。 本項では、が必要な()としての特急列車のほか、以下についても取り扱うこととする。 特急電車 - かつて(国鉄)で運行されていた特急料金不要の列車()• 特急料金不要の「特急」 - 現在日本ので運行されている列車であり、国鉄・では広義のに含まれる列車• 鉄道以外の「特急」 目次• 日本国外の例 [ ] 列車種別の分類は国や鉄道事業者によってまちまちであるが、そのうち他の列車より速い、専用車両を用いる、特別料金を必要とするなど、日本の特急に近い性格を持つもののことを、日本語で「特急」と表記することがある。 ただし正確を期する必要のある場合には原語表記やその直訳、仮名転写などが用いられる。 また や などのの列車は「」や「」と訳されることもある。 では、までにおいて「」という種別が存在した。 同年以降、長らく韓国に「特急」という種別は存在しなかったが、より(・)の速達列車として「特急」が新設された。 なお、現在の(KORAIL)の長距離座席指定列車である、などの列車では、観光ガイドなどで便宜的に「特急」という表現が使われることがあるものの 、愛称が列車種別を兼ねているため、正式には「特急」の名称は使用していない。 には、豪華な列車に、特別料金を支払って乗車する上等客のみを扱う " LIMITED" と呼ばれる列車が1910年代から運転されたが、「特急」に該当する列車種別は無い。 では、古くから日本の特急に相当する列車の運転が盛んである。 イタリアでは1936年から電車による特急列車が運転された。 1957年にはヨーロッパ各地を日帰りで行き来できるビジネスライクな が整備され、これらの列車にはを必要とした。 その後は " InterCity IC " 列車に変更された。 これは都市間連絡を主たる目的とする在来線優等列車であり、21世紀において欧州では TGV や ICE などのいわゆる新幹線タイプの特急列車が中心である。 しかし、かつては「」、「」、「」、「」などの著名な特急列車が運転され、高速なだけでなく、その走行区間において最も豪華な列車として運転されていた。 これらの特急列車はほとんどが(三等級時代は一、)のみで編成され、パーラーカーややバー、ブチックやを備えていた。 これらの列車には他の列車より高額であり、特別急行券を必要としていた。 特急の訳語 [ ] 通常英訳には、かつての米国の例に倣い「 Limited Express」が当てられるが、米国では鉄道旅客輸送の衰退に伴いほとんどになっている。 ただし、 のようにが引き継いだ列車愛称の一部にその名残が見られる。 EXP. 国鉄・JRの特別急行列車 [ ] 沿革・概要 [ ] 戦前特別急行列車の創始とその終焉 [ ] 特別急行(特急)列車が設定される前、急行列車より速い列車には「 」という種別をつけることがあった。 その中でも(39年)に、国有鉄道の - 間で設定された「最急行 1・2 列車」は、運賃以外に初めて速達サービスのための料金を徴収する列車となるなど、現在の有料特急・急行の元祖と位置づけられるものであった。 「 特別急行」の種別を初めて用いたのは、(明治45年)に前述した「最急行 1・2 列車」を区間延長する形により、を介して・欧州などへのの一翼を担う「大陸連絡列車」として、-間で運転を開始した 1・2 列車である。 編成内容も・のみでが最後尾に連結されるなど 、「日本の国威」を対外宣伝するためのような存在であった。 (3年)にが開業すると、1・2 列車も東京駅始発となった。 (大正12年)、同区間にのみで構成された 3・4 列車が運転開始される。 そこからも分かるように、この列車はどちらかと言えば大衆向けの設定であった。 に入ると特急列車に「」が付けられるようになり 、新しい列車の設定も見られたが、間も無く戦争に突入したため、結局戦前の特急列車は下記の 4 種のみにとどまった。 また戦前の特急列車は、東京以西の路線(、、、)のみで設定されていた。 そしての激化により、(19年)を以て「富士」を最後にそれらは全て廃止され、日本の特急列車は一旦消滅した。 この時期の特急列車 [ ]• - (昭和4年)、当時の国有鉄道を運営していたは前述した 1・2 列車に「富士」と命名した。 これは日本初であり、また公募によるもので(公募についてはを参照)、後述する「櫻」・「燕」もそこから命名されている。 「富士」は戦前の日本を代表する列車となり、一等展望車を最後尾に連結していた。 (昭和17年)、の開業により「富士」は運転区間をまで延長、翌年までに短縮し、1944年(昭和19年)4月に廃止された。 - 1・2 列車に「富士」と命名されると同時に、3・4 列車には「櫻」と命名。 (昭和9年)12月までは、「富士」に対して十数分先行するような時刻で運転された。 前述した「大衆列車」としての使命を全うして運転されていたが、1942年(昭和17年)11月に急行列車に格下げられた。 - (昭和5年)、東京駅-神戸駅間に一・二・三等の各等をすべて連結した列車として運転を開始。 この列車には所要時間を短縮するために様々な工夫がなされ 、1934年(昭和9年)12月には東京駅-間を 8 時間で運転、戦前の最高記録を打ち立てた。 (昭和18年)10月に廃止。 - (昭和12年)7月、東京駅-神戸駅間に運転を開始。 前述した「櫻」・「燕」の補助的性格の強い列車であった。 1943年(昭和18年)に廃止。 太平洋戦争後の復活とその後の展開 [ ] 終戦直後は、石炭・車両・整備の状況が戦時中以上に悪化したこともあって、特急列車どころか普通の列車すらまともに運転できない状態となり、(昭和22年)のから4月に掛けては急行列車まで全廃された。 その後、それらの状況がやっと好転して来た(昭和24年)9月、東京駅-大阪駅間に「へいわ」が運転開始される。 同区間を9時間で結び、速度こそ戦前の水準に及ばなかったが、この時1944年(昭和19年)以来 5 年振りに展望車・が復活するなど、見るべきことは多かった。 特徴のある特急列車 [ ] こだま その後、特急列車は次第に各線で設定・増発され、特徴ある物も増えた。 戦後の特急列車史に残る列車としては、下記の列車などが挙げられる。 (は除く)• - (昭和25年)1月、前述した「へいわ」を運転開始 3 か月で「つばめ」と改称し、戦前の名列車の名前が蘇った(戦後は「つばめ」と平仮名書き)。 同年6月、同区間にその姉妹列車として「はと」が登場する。 さらに同じ年の10月には東京駅-大阪駅間の所要時間を戦前同様の8時間とし、(昭和31年)11月には 7 時間 30 分にまで短縮する。 後述する「こだま」が登場するまで、「つばめ」・「はと」は戦後のを象徴する列車として走り続けた。 「」 - 1956年(昭和31年)11月、東京駅-博多駅間に戦後初の夜行特急列車として登場した。 関西圏を深夜時間帯に通過したりするなど、話題に尽きない列車であった。 2年後の(昭和33年)10月には使用車両を新型のに置き換え、初の「 」となった。 「」 - 1958年(昭和33年)10月に-間、即ち戦前戦後を通じて初めて東京以北へ向かう特急列車として設定された。 当初はを使用していたが、2年後の(昭和35年)12月にこれまた日本で初めての による特急列車となった。 (昭和43年)10月の改正で電車特急となる。 「」 - 1958年(昭和33年)11月、東京駅-大阪駅間に を使用した特急列車として登場。 当初同区間を、それまでの機関車列車の所要時間より 40 分も早い 6 時間 50 分で結び、電車の優位性を見せ付けた。 2年後の1960年(昭和35年)6月には、それをさらに 6 時間 30 分にまで短縮している。 これによって東京-大阪間の日帰りが可能となったことから 「ビジネス特急」と呼ばれ、の開業まで東海道本線の代表列車として疾走した。 特急列車運行の全国展開 [ ] 特急列車が普及したダイヤ改正として著名なものには、1961年(昭和36年)の改正(通称「」ダイヤ改正)と、1968年(昭和43年)10月1日の改正(通称「」ダイヤ改正)がある。 1961年(昭和36年)の改正ではそれまで東北・東海道・山陽・鹿児島・長崎の各本線と常磐線でしか運転されていなかった特急列車が全国の幹線を走り始め、1968年(昭和43年)の改正では、それまではその名の通り「特別」な列車であった特急列車が、需要の多い線区では1964年(昭和39年)10月に開業した東海道新幹線と同様ネット化が進み、大衆化をも推し進めることになった。 この時期の著名な列車 [ ]• 「」 - (昭和36年)10月、大阪駅-青森駅・上野駅(経由)間を結ぶ気動車による特急列車として登場。 で上野編成と青森編成とを切り離し・併結すると言う、同時に登場した「」とともに、日本初の分割・併結を行う特急列車となった。 (昭和40年)10月に、上野への編成が上野駅-間の「」として独立、そして1972年(昭和47年)10月には使用車両を電車に変えるが、その後も(平成13年)3月まで大阪駅-青森駅間 1040. 0 km を結ぶ、在来線では日本最長距離を走る昼行特急列車として君臨し続けた。 「」 - (昭和39年)10月に、東京駅-間を結ぶ寝台特急列車として登場、翌1965年(昭和40年)10月から運転区間を(現、鹿児島中央駅)まで延長し、(昭和55年)10月に運転区間を短縮するまでは、東京駅-西鹿児島駅間を経由で 1574. 2 km を走る、日本最長距離走行の特急列車であった。 エル特急の登場とその後の展開 [ ] 「」も参照 (昭和47年)10月より一部の昼行特急には、「」と言う愛称が与えられた。 後に従来のを昇格して特急列車とした際にもこの扱いを行うことが多かった。 しかしが(平成14年)12月にエル特急を名称上全廃したのを皮切りに、他のJR各社でもエル特急の名称が廃止されていった。 最後までエル特急の名称が残ったも、3月のダイヤ改正でエル特急の名称を廃止したため、登場から45年半でエル特急の名称は消滅した。 1972年(昭和47年)- (昭和60年)に掛けて、・・といった新幹線が次々と開通するにつれ、長距離を走る特急列車は新幹線に取って代わられる形で次第に減少し、それと引き換えに新幹線の沿線から離れた都市と、新幹線との連絡・接続を図る、中-短距離の列車が増えていった。 1985年(昭和60年)3月 - 2002年(平成14年)12月までの間、・などでは同線内相互間の輸送を目的とした一部のエル特急を「」と称していた。 元々は、短・中距離の急行列車を増収のためほとんど停車駅は変えず特急列車に格上げした物で、でも乗車できることとし、料金も 50 km 以下の区間は急行料金と同額とするなど、特急と急行の中間的な設定にされた。 しかし前述のような理由で設定された特急であり、使われていたはそれまでの特急列車の車両より設備が劣り、関西ではに使うような車両にを付けただけのような物であったが、後に座席は通常の特急用と同じものに交換された。 2001年(平成13年)12月にそれ以外の列車と特急料金が同額になり、「新特急」を列車名に冠する必要が無くなったためか翌年消滅した。 因みにその頃までには東北本線の新特急は朝夕の時間帯を除いて一般車使用の快速に格下げされ、高崎線の新特急もアコモデーションのリニューアルや日中時間帯の停車駅の大幅な削減などの改善策が行われた。 また、の開通後は東北・高崎線の快速・普通列車においてもの連結が行われるようになったため、旧「新特急」が担当していた高崎線内相互間の着席輸送においては、快速・普通列車のグリーン車の拡充を重視する傾向になっている。 (平成16年)3月にが開通して以来、は「」のうち霧島神宮・国分発着のものや、「」、また2009年10月10日から運転の「」といった臨時特急列車などが存在するが、これらの列車は停車駅こそ限定されてはいるもの、いずれも同区間を走る普通列車と同等か、それより遅い便も存在する。 これは速達性を意味する「 特別な急行列車」の意味ではなく、新幹線との接続性を重視しているものや、また車内設備のサービスに対して料金を取るか取らないかどうかや、観光に特化したサービスの提供などといったサービスの違いで「快速列車」・「」などと区分するために、「特急列車」を名乗らせているものである。 このような観光に特化した特急列車のことをJR九州では便宜的に「観光特急」などと呼ぶことが多い。 編成について [ ] 「」、「」、および「」も参照 まではによるが組まれた。 しかし、1960年代以降、速達化を計る観点から、昼行列車から使用車種を・へ変更してゆく事となった。 この初例としては、運用の効率化を図った登場時のを用いた「」の編成がある。 詳細はを参照されたいが、これは、簡易食堂「ビュフェ」付き三等車と二等車を編成中央に組み込んで8両編成で運用するものであったが、速達化・快適性の向上がなされたため、在来特急列車の電車化を行う際には、運用の効率化よりも在来編成との摺り合わせがなされたため、10 - 12両で運用された。 しかし、利用者が少ないとされた線区での使用が予想されたではと(後の)を各1両備えた 6 両編成を基本とした編成が基本とされた。 電車でもの両数の差があるものの、編成が短くなり、おおむね8 - 12両程度で運用される従来のものから大きく変容するようになる。 その初例として、(昭和51年)に設定された「」では新製車両では最も短い4両編成で運用される事例がみられるようになった。 ただし、「みどり」の事例は「」と運転を行うとして運行する関係もあり、が小さい路線での措置として異例とされた。 本格的な短編成化として知られるようになったのは、との競争が激しくなったエル特急「」である。 この列車群では、車種統一を図った(昭和59年)以降改造車両を用い、1本あたりの編成組成を短くする代わりに本数を増発する手法を採ったため、(昭和61年)には「3両編成を組んだ特急」が運行されるようになった。 後継となるでは、2両または3両編成で製作、運用されている。 しかし、気動車ではキハ82系気動車の編成を元に設計した・では「大出力エンジンを積む」や(後者のみであるが)「極寒地仕様のため先頭車両は非貫通」とした事もあり、例えばキハ181系気動車は2両で運行することは可能であるが、「がない」・「座席数が少ない」という問題もあった。 そこで、1986年(昭和61年)に運用を開始したは2両編成で運用可能とした設計とし、実際に(JR四国)はのエル特急「」の運用開始時に運用を実施した。 なお、同車両は2016年(平成28年)現在2 - 3両の短編成で運用される事が多く、当初よりの所有会社であるJR四国では主に徳島県内の特急列車群で、一部は (JR九州)が購入し・を運行する特急列車群で運用されている。 また、(JR西日本)では「の置き換え」ないしは「の高速化」という観点から、キハ185系気動車以降にて2両固定編成での運用を前提としたを新製した。 また、キハ181系気動車を最後まで使用していた「」ではグリーン車連結の4両編成であったが、では普通車のみの3両編成で置き換えた。 客車については定員が少ないを中心にして運行されたこともあるため、食堂車、・を込みで10 - 15両程度の長大編成を組んでいたが、ではサービス電力を高出力ながら乗客を乗せない専用の電源車ではなく、編成の端に連結するより供給する関係で6両程度で組成をすることとなり、その編成単位の組み合わせで運行されるようになった。 しかし、以降、長期的な・の凋落傾向から必ずしも10両程度の需要がないことから、短編成化された列車も存在した。 中には廃止直前の「」の様に開放式車のみの4両編成で運行された列車もあった。 また、「」・「」は、運行末期である(平成17年)より(平成21年)の廃止までは以降のJR九州管内においては6両編成、東京駅 - 門司駅間ではそれを2編成組み合わせた12両で運行されていた。 なお、末期の寝台列車で運用されたものの編成は以下の通りであった。 (平成22年)に廃止された「」の運行末期はA寝台連結で8両編成であった。 「」・「」・「」ではであるのホーム最大に合わせた12両編成となっていた。 編成の長短について [ ] 新幹線(写真はN700系) で運行される列車も特急列車として分類される。 (昭和50年)3月まで速達タイプの「」と各駅停車タイプの「こだま」は料金に区別があった。 また、1972年(昭和47年)3月までは「ひかり」は、「こだま」は特急として区別していた。 (平成4年)3月に登場した「」も「ひかり」・「こだま」とは料金に格差が設けられている。 ただし、(平成15年)に「のぞみ」にもを設定したが、これについては「ひかり」・「こだま」と同一料金である。 と直通する列車も特別急行列車と定義されている。 このため、運行列車(列車名なし)や「」・「」も特別急行列車である。 特急料金 [ ] にある通り、JR の場合特急列車を利用する場合、のほかに特別急行券(特急券)が必要である。 料金などの詳細については、「」の項を参照されたい。 特急列車へのでの乗車は原則として認められていないが、近年は特例として一部の列車・路線で定期乗車券に自由席特急券ないしは立席特急券を追加すれば乗車が認められるようになってきている。 現在では、自由席については昼行列車の全列車が定期乗車券との組み合わせで乗れるようになった。 しかし、指定席は認めていない場合も多い。 特急料金が不要な区間 [ ] 普通列車が一切ないなどの理由で、特急列車に乗車しても特急料金がかからない区間がある(ただし、新幹線車両使用区間を除く)。 詳細は「」を参照のこと。 車両 [ ] 国鉄の「つばさ」とトレインマーク() 時代の特急の特色として、綺麗なデザインが施されたがある。 丸い金属製のもので、客車端部に設置したものである。 戦前にすでに運行されていた「」「」の列車愛称命名時に取り付けを行ったのが端緒である。 戦後、(昭和25年)に復活した以降、特急列車のシンボルとして牽引機関車と最後尾客車に取り付けられるようになった。 以降、特急列車である・「」・「」・「」・・ までは・を含むによる列車のみであったため、半ば必然的にトレインマークとしてのヘッドマーク・テールマークが用意された。 以降、新設の特急列車では、初のであるでは151系電車の特急マーク・国鉄ロゴ・ボンネットスタイルを踏襲し、ヘッドマークについては列車名のみとなった。 客車列車はの電車化が(昭和42年)登場のであることから、それ以前の設定列車は客車列車のみとなり、イラスト付きのヘッドマークが用意された。 なお、では、・ついては当初地色を列車ごとに変えたが 、のちに白地に濃紺(ローマ字表記は赤)で列車名のみを表示する形とした。 また、後継であった・といったでも当初は列車名のみの表記となっていた。 そのため、機関車取り付けのヘッドマークは寝台特急のシンボルとなり好評を博した。 その一方で、取り外しが面倒、費用が嵩む、あるいはに合うなどの理由で(昭和50年)には東京 - 西日本・九州方面の7列車以外はすべて廃止されてしまった。 しかし、このトレインマークは軒並みや子供たちの間で評判で、ブルートレインブームを巻き起こした。 加えて漫画『』のヒットなどにより、が大流行した。 それを受け、自動車、航空機など移動の多様化にともなう旅客減少により、採算が悪化、事業再興の機を窺っていた国鉄は千載一遇のチャンスとばかり、(昭和53年)10月にはすべての電車特急にイラストを施した 絵付きトレインマークを採用することになる。 このトレインマークは子供達だけでなく、鉄道ファンやその他一般人にも大きく受け入れられ、ブルートレインと並んで旅客特急列車にブームを呼び寄せ、トレインマークをデザインしたグッズや特急を掲載した図鑑や絵本が人気を呼び、に興味を持つ人も多く誕生した。 当初は、交換が容易なを備えたまたは緩急車で採用されたため、同じ電車列車でも透過式アクリルヘッドマークを使用したボンネットタイプの制御車を持つ車両ではイラストなしの愛称標を使用していた場合もあったとされる。 また、同様の形態 で愛称標を使用していた・も絵入りのトレインマークは採用が遅れたが、(昭和60年)1月までには全路線の気動車特急にも絵入りトレインマークが採用されるようになった。 しかし、(昭和62年)4月1日にされ、 が発足すると各社はこぞって脱国鉄色を目指すようになり、加えて鉄道車両の老朽化、陳腐化などに伴い、高速性、居住性の改善など性能に優れた近未来的な新型車両を採用していく中で、JR東日本を中心にを利用したマークが採用されたり、トレインマークを掲げないものも増加していったりした。 一方で、車両を特徴付けるサインやは重視された。 他方、JR西日本のの各特急列車では、183系電車・381系電車にての運行末期となった時期では図案を統一化したものや、のから図案をより簡略化したものもあらわれた。 また、かつてそのブームの旗手となった寝台特急が廃止に追い込まれていく中で、多くの鉄道ファンや子供たちが魅せられたイラスト付きのトレインマークは過去を回想させるものとなりつつある。 特急電車 [ ] の前身である時代より同路線では特急やといった無料の速達列車が運行されていた。 同社が山手線を経て(昭和19年)5月にされた時点ではそれらはすべて急行となり、それらも戦時中にいったん廃止されるが、1946年12月改正でが、1949年3月改正でが復活し、1950年10月改正で流電ことを使用した特急が復活した。 これらの列車は他の国鉄特急とは制度的に別種の列車であり、また国電区間で初めて設定された特急であったことから、阪和線の特急は 特急電車と呼ばれ他と区別された。 しかし、1950年代後半になってくると他線区でも電車による優等列車が走るようになり、1958年には電車による有料特急「こだま」の運行開始が予定されていたため、阪和線の準急電車・急行電車・特急電車は(昭和33年)10月の称号改正で特急電車が、急行及び準急電車がに改められた。 私鉄の特別急行列車 [ ] ではが(大正15年)12月3日に、初めてこの名前の列車を運転したといわれている。 また、料金を別途必要とする有料制の特急列車については、が(昭和22年)に - 間において運転を開始した のが最初である。 利用するためには、鉄道会社によってJRと同様にのほかに(またはそれに類した追加料金)が必要なものと、乗車券だけで利用できるもの、および座席指定車と料金不要の自由席車の両方を連結したものの3種類がある。 また、私鉄にはオリジナルの列車種別が設定されていることも多く、用途や行先を冠することで、複数の「特急」(例:の場合ミュースカイ・快速特急・特急)が設定されているケースも少なくはない。 また、近年では、に「」的な性格の列車が運転されているケースも多い。 有料特急列車 [ ] 有料特急列車の例:近鉄特急 種別としての性格は、など特別急行料金を徴収する JR の特急列車と同等のものと、や、など本来特別急行料金は設定していなかったが、座席指定料として運賃とは別に料金を徴収するようになったものとがある。 JR と同様に、高速性、車内設備などが他の種別に使用している車両に比べて優れているが使用されており、差別化を図っている。 一部の私鉄やには、JR線から特急列車が乗り入れている(一部は相互直通運転を実施)。 なお、事業者によっては指定席車と自由席車の両方を連結する列車も運行されているが、これについては次項「」を参照。 自社の専用車両を用いて運行する列車 [ ]• 臨時列車を除く。 列車愛称は現行愛称を中心に掲載(詳細は各種記事を参照)• 通勤ライナーとして独立した列車種別で運行されている有料列車についてはおよびを参照。 『むいね』『もみじ』は下り、『しらかば』『みどり』は上り列車。 東北・関東地方 運行事業者 愛称 運行路線 備考 ブランド名・通称 列車愛称など 通過駅あり 各駅に停車 (一部各停) で運行。 鬼怒川線・会津鬼怒川線・会津線内のみ相互利用の場合、乗車券のみで乗車可能。 1964-69年の間は使用列車にD特急の列車種別を使用し、 1969-71年の間は1720系使用列車をA特急、1700系使用列車を B特急と列車種別で区別した。 伊勢崎線 (りょうもう) (りょうもう) 『りょうもう』は、『リバティりょうもう』は500系「リバティ」で運行。 伊勢崎線 特急ライナー 伊勢崎線・ (ちちぶ) 列車種別もスカイライナーで、特急(無料)の上位に位置する。 2015年12月5日定期運行廃止。 湯の山線の特急は2004年定期運行廃止。 難波線・奈良線 京都線・橿原線 大阪線・名古屋線 山田線・鳥羽線・志摩線 伊勢志摩や吉野の観光地へ向かう旅客のための「観光特急」として運行。 特急券の他に専用の専用の車両券が必要となる。 南大阪線・吉野線 南海本線 南海本線 高野線 全区間の運行を南海に委託。 JR西日本直通は1990年3月10日廃止。 JR東海直通は2001年10月1日廃止。 この場合、自由席については一般車両が使用され、かつ普通乗車券のみで乗車できる。 運行事業者 愛称 運行路線 備考 ブランド名・通称 列車愛称など 通過駅あり 各駅に停車 名古屋鉄道 名古屋本線・西尾線 常滑線・空港線・河和線 津島線 犬山線・広見線 豊川線 知多新線 尾西線 列車種別は特急および快速特急 を必要とする特別車両を「特別車」、それ以外を「一般車」と呼称。 特別車はリクライニングシート、一般車は通常転換クロスシート車 または転換セミクロスシート車、およびロングシート車のいずれか。 南海電気鉄道 南海本線 指定席車はリクライニングシート車であるが、自由席車は通勤形のロングシート。 高野線 展望車のみ座席指定。 洛楽(快速特急) 列車種別は特急および快速特急「洛楽」 プレミアムカーはリクライニングシート、自由席車は転換セミクロスシート車。 料金不要の「特急」 [ ] この節のほとんどまたは全てがにのみ基づいています。 も行い、記事の正確性・中立性・信頼性の向上にご協力ください。 ( 2019年3月) 他の列車種別より停車駅が少ないもの、いわゆる最速達列車として「特急」を運行している事業者も存在する。 そのため、他種別の列車と同じくを用いるのが一般的である。 ゆえに、このタイプの「特急」は JR における「」または「」(前述した国鉄阪和線における特急電車と類似、いわゆるの一種)と同義の種別であると考えることができる(「」も参照)が、一部の私鉄には快速に相当する種別を「特急」として、その上に「」といった、さらに上位の種別を設定している事業者もある。 しかし、競合する他事業者の鉄道路線がある場合には、料金不要の列車といえども車内設備や性能の優れた専用車両を充当することがある。 こうした例は、や・と競合すると、と競合する、中京地区でと競合する、・と競合する・・・、と競合するに見られる。 臨時列車を除く。 表中の「派生種別」については特急の派生に限る。 急行・準急など他の派生種別は各項を参照。 同年6月から8月まで進駐軍専用車。 1948年8月以降は有料・座席指定。 より川越特急を新設。 通勤特急 都営浅草線よりエアポート快特が直通するが 3社線内では種別を変更する。 案内上,単に「行き」と表示される列車を含め、は経由しない。 通勤特急 および・・へ乗り入れる。 大半の列車をと称するが、直通先での列車種別は特急ではない。 東二見駅 - 山陽姫路駅間系統は通過運転を行う。 大社線は土・日・祝のみ運行。 詳細はを参照 私鉄における特急のバリエーション [ ]• 有料列車として運行されている列車種別についてはの節を参照。 通勤ライナーとして運行されている列車種別についてはおよびを参照。 快速特急およびその派生種別、超特急、エアポート快特、直通特急、準特急、エアポート特急については下記の記事を参照。 (快特、通勤快特、快速特急A含む)• (エアポート特急含む)• (も参照)• 「序列」は各事業者内の列車種別における特急に対する位置関係を示す• 上位/同位/下位:特急と比べて停車駅が少ない/同じ/多い• 千鳥:特急通過駅に停車する一方で一部の特急停車駅を通過する• なし:派生種別のみで「特急」が運行されていない• 阪神電気鉄道 上位 神戸高速線 阪急電鉄 同位 神戸高速線 京成電鉄 上位 本線 押上線 直通先(都営地下鉄、京浜急行電鉄)でも案内表示のみ行われる 東武鉄道 なし 2019年3月16日新設 車両のみに限定運用される。 詳細は各記事を参照。 (最大急行含む)• 路面電車の特急運転 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2015年7月) 鉄道事業者によっては、特急列車に専用を充て、かつ特急乗務員専用行路を与えていることもある。 特ににいたっては、運転技術で選抜された者や、特別な研修・実地訓練を受けた者に対してその任務が充てられることがある。 各社()の場合 - 概ね制限はない(新任運転士でも乗務することがある)。 JR 各社()の場合 - 在来線運転士を数年間経験し、選抜試験を通過して研修と実地訓練を受け、操縦免許の転換試験に合格した者。 ただし例外もある。 の場合 - 運転士と車掌を 5 年以上経験した者で、研修と実地訓練を受けた者。 の場合 - 一般列車を半年以上乗務した者。 (・使用で淀屋橋-出町柳の全区間運転列車のみ)• の場合 - 南海本線では選抜された者。 高野線では希望調査。 の場合 - 一般列車を1年以上乗務し、研修を受けた者。 鉄道以外における「特急」 [ ] 特急バスの例:山陰特急バス(日本交通) バスにおいても、特に停車する停留所を限定している系統が「特急」を名乗る場合がある(例:、)。 ただしその中でもを主として走行する物は「高速バス」と呼ばれることが多い。 「」「」の項目も参照のこと。 ちなみにでは、高速バスのを通常「高速 高知」「高速 長野」などと表示しているが(LED 幕車では行き先のみ表示)、スーパーノンストップ便に関しては「特急 福岡」「特急 有馬温泉」と標示し、「特急」を「高速」よりも格上の存在と位置づけている。 フェリーに関してはからまで、「特急」と冠した「」が存在した。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• また、特急停車駅の「海浜幕張駅」を通勤快速は通過するのも異例である。 私鉄では速達列車は料金徴収の有無を問わず優等列車として扱われることもあるが、料金不要列車も優等列車の範疇に含めるかどうかは事業者によって異なり、のように料金不要列車には速達列車であっても優等列車という表現を用いない事業者もある(も参照)。 なお、鉄道ファン1991年12月号のキハ80系・キハ181系の記事によると、当時の時刻表の編成図には、一等車は「ロ」、二等車は「ハ」、食堂車は「シ」と記載されていたため、編成は「ハ・ハ・ハ・シ・ロ・ハ」となり、「はっ、はっ、はっ白歯」とめいた表現で編成内容を覚えることができたとされる。 なお、「」・「」の東京駅 - 間の17両編成でも車両の両数上同数となるが、・と・の先頭車両の差により、「はやぶさ」・「こまち」となる。 「みずほ」については「こだま」登場以降だが、運行当初は在来形車両での運行であるためこれに含める。 なお、キハ81系気動車の改良型であるキハ82系気動車では、ボンネットデザインは踏襲されず、先頭車両はのデザインとし、以降北海道専用とされたやを除きボンネットデザインの車両は存在しない。 例えば、「あさかぜ」は薄水色、「さくら」は桃色、「はやぶさ」は黄色、「みずほ」は水色で文字が黄色。 一方で、低年齢層に媚びる様、あるいはあからさまな大衆迎合路線に対し、国鉄特急の威厳を知る古くからの鉄道ファンは拒否反応を示し、のはへの寄稿に際し、「に用いられた図案は鼻詰まりの少女のよう。 」と、冗談を交えながらも苦言を呈している。 キハ82系・キハ181系気動車の愛称表示板は大きさこそ異なるが、表示方法は181系電車・481系電車の初期形式、20系客車のうち非貫通緩急車・電源車と同じ透過式アクリルヘッドマーク。 ただ、当時はとで軌間が異なっていたため、での乗り換えを要していた。 近鉄において名阪間の直通運転が可能になったのは1959年12月のことである(も参照のこと)。 出典 [ ]• JTBパブリッシング 『JTB時刻表』2015年3月号 京葉線のページを参照。 一例として、 - コネスト• 2017年1月15日閲覧。 (国立国会図書館デジタルコレクション)• (国立国会図書館デジタルコレクション)• (国立国会図書館デジタルコレクション)• PHP研究所 梅原淳『雑学3分間ビジュアル図解シリーズ 特急列車のすべて』p. 寺本光照「阪和線 列車運転史」『鉄道ピクトリアル』第728巻、鉄道図書刊行会、2003年2月、 51頁。 PHP研究所 梅原淳『雑学3分間ビジュアル図解シリーズ 特急列車のすべて』2010年7月 p. 30 - p. 徳田耕一『名鉄の廃線を歩く』JTB、2001年、36頁。 徳田耕一『名鉄 昭和のスーパーロマンスカー』JTBパブリッシング、2015年、75頁。 週刊『歴史でめぐる鉄道全路線・大手私鉄No. 10・京浜急行電鉄』•

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