山田 る か バイク。 山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.12「接地感って、なんですか?」

山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.18「大物か、それとも……。新人ライダーはとっても未知数!?」(WEBヤングマシン)

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良い意味で衝撃的だったロシアのバイク乗り 山田健さんのコラム

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車両本体価格:1,355,000円(税込) エンジン:水冷4ストロークSOHC 4バルブ 単気筒 総排気量:692. 7cc 車両重量(燃料除く):158. 典型的なリターンライダーですよね。 神尾 なんでまたバイクに乗ろうと思ったの? 山田 ちょうどその頃、毎日の生活にすごく閉塞感を感じていて、風穴を開けたかったんでしょうね。 神尾 バイクは〝自由〟なイメージがあるからね。 山田 でも買ってみてすぐに思ったのは「行くとこねぇ」ってことでした(笑)。 ほんと、どこ行きゃいいんだろう……って、バイクを前にぽかんとするみたいな。 道玄坂までふらっと行って、タバコ1本吸って、写メ撮って、「俺何やってるんだろう」って。 神尾 そうなんだよ。 みんな「行くところがない」って悩むんだ。 山田 四輪はほんとに一生懸命やって来たので、クルマなら自分の理想がきちんとある。 人にあれこれ言えるくらいの経験もあるんですけど、これが二輪だとまったく勝手が違ってびっくりしました。 そこからもう一歩踏み込んで、行く場所や目的を見つけられたら良かったんですけど、ゼロからそれをやるのはハードルが高いというか。 友だちとか先輩とか、バイク乗りの知り合いでもいれば、また違ったんでしょうけど。 神尾 自分たちのような仕事をしていれば話は別だけど、そもそも普通の人は、そんなにバイクに乗る時間は持てないよ。 休みが月に4回あったとして、1日は家族サービス、もう1日は雨だったりすると、せいぜい月に2回乗れるかどうか。 だから発想を変えた方がいい。 山田 発想を変える? 神尾 極端に言うと、バイクは無理をしてまで乗らなくて良い。 山田 ほぅ。 自分流カスタムで所有する喜びを 神尾 そうは言っても、自分のバイクを所有しているのだから、少しでも時間を見つけて乗るべきという価値感が当たり前。 だからどうしてもその価値に支配されてストレスになるわけ。 同じように悩んでいる人も多くいると思う。 山田 乗らなくても、持ってるだけで構わないということですか? 神尾 そう。 いま、カフェレーサーやネオクラシックが世界的にブームになってるけど、そこにヒントがあると思う。 山田 カフェレーサーというと〝ロッカーズ〟ですね。 公道レース用に改造した自分のバイクでカフェに乗り付けるという…。 イギリスの階級社会が生み出したカウンタカルチャーのひとつですよね。 神尾 特にクラシック系のカフェレーサーはバイクの本質とも言える〝アウトロー感〟があるから、所有しているだけでバイクを味わえる。 山田 ハーレーとはまた違った個性というか格好良さがありますね。 神尾 昨年の秋にニューヨークに行って驚いたんだけど、マンハッタンを走っているバイクの半数以上がトライアンフのクラシックスタイルという印象だった。 残りがモトグッチとハーレー、それにインディアンが混じっているといった感じ。 つや消しの黒いヘルメットを被って、コートを羽織ったり、バイク用じゃない革の上着を来たりして、皆大人っぽく乗ってた。 多分、そういう人たちのほとんどが半径15km以内でしか乗ってないんじゃないかなと思う。 それでバイクライフが成立していることに新しさを感じたんだ。 山田 僕のような素人から見ても、トライアンフはバイクとファッションがうまく両立している感じがします。 神尾 別にオシャレになろうよって言ってる訳じゃない。 ツーリングやサーキットには行かないけどバイクが好きという人たちに、もう少し楽な気分でバイクと付き合えばイイと言いたいだけ。 それと話は変わるけどバイクはどう自分流にするかという楽しみ方もあって、トライアンフのストリートツインは買った人の8割が何らか手を加えているというデータがある。 純正のミラーはユーザーがカスタムすることを前提にコストダウンが図られるらしい。 山田 バイクって性能と関係ないところで楽しめるんだって驚きますね。 クルマでは「カッコだけで改造するとダサい」っていう感覚がずっとあったから。 神尾 自分も長い間そう思ってたよ。 意味のない改造はやってはいけない、カッコ悪いと。 いつも改造するには何らかの理由を探していたんだけど、あるとき、理由付けしていることが正にカッコ悪いということに気付いたんだ。 山田 バイクは改造できることが面白いんですね。 神尾 そう。 カスタムなんて自己満足で良いんだから。 山田 僕はかっこいいのが付いてたら「かっこいい」というのは分かるんだけど、そうじゃないときに「かっこ悪いじゃん」と言い切れない。 自信がないから。 神尾 確かにカスタムには多少の知識が必要。 だけど今ならインターネットで色々なカスタム車を見ることができるし、調べることも出来る。 ウィンカーを小型化するだけでも、大きく印象を変えるし、愛着が増してくるよ。 山田 そう考えると出来合いのもので満足するのはもったいないかもしれないですね。 神尾 今はパーツ量販店でカスタム部品を購入すればその場で装着してくれる時代だし、車両を購入したディーラーで相談するのも良い。 そのままでは面白くなくなるというか、飽きてしまうので、失敗を恐れずに遠回りしてでも少しずつ自分流にしていくことはオススメ。 ネオカフェのススメ 山田 ベースのバイクはやっぱりクラシックスタイルがいいんでしょうか? 神尾 ただクラシックスタイルのバイクは重たいものが多いので、億劫になって出かける回数が減る傾向にある。 軽くて、やっぱり進化しているものがイイという人にはネオカフェという選択肢もある。 山田 そうなると僕は断然ハスクバーナのヴィットピレン401が好きです。 このバイクを初めてみたとき、アキラの世界を見ているような、すごくシンプルで、ちょっと野蛮で、未来的な感じがした。 少し前にファッションの世界で「ノームコア」というのが流行ったらしいんですが、そのイメージです。 日本では「究極の普通」なんてソフトに訳されてるけど、「オレはこれだけでいいんだよ!」っていう激しい気持ちが、なんでも便利なものをどんどん付けて行く〝今〟に反抗している気がして。 401の、排気量の少なさも含めて何もかも要らないものを削ぎ落としてる姿勢には、未来を向いている感じがしてカッコいい! って思いましたね。 神尾 カタチを見てその奥にあるものを感じることができる年齢だからね。 〝乗らなくて良い〟というのは、眺めたり考えたりしている時間が趣味になるという意味なんだ。 山田 たとえ乗らなくてもバイクを眺めながら、ああでもないこうでもないと想像を巡らせたり、調べたりしているうちに、発見があったり、知識が広がったりするんですね。 バイクに限らず趣味って、そういうものかもしれません。 神尾 それともうひとつ大事なのはどれだけお気に入りの場所やコースを持てるかということ。 好きなコースや、それこそ一杯のコーヒーを飲みに行く場所を見つけることが乗る理由になる。 バイクはクルマと違ってある程度は時間が読めるから、1~2時間という短い時間でも楽しめるはず。 山田 1~2時間という短い時間でもいいんだ、と言われると勇気が出るというか救われる気がします。 神尾 別に気取った場所に行くことはない。 自分のバイクが映えると思うところに行って写真を撮ったり、コンビニコーヒーを飲んで帰ってくるだけでもイイ。 それを繰り返しながら、あとはそのパターンに少しずつ変化をつけていけるかだよ。 山田 もう少しだったのか~(笑)。 バイクを買ったらどこか行かなきゃいけないというプレッシャーが、一番いけないんですね。 神尾 今の時代は、バイクを所有するだけで経済的にも大きな負担。 置く場所を探すだけでも大変だし、クルマのようにディーラーが近くにあるわけじゃない。 それに若い人たちに混じってショップのイベントに参加するのも勇気がいる。 だからイイ大人はいかに脳内でバイクを楽しむかが大切なんだと思う。 トライアンフ ストリートツイン.

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山田るかさんの顔画像Facebook高校は!?茨城県稲敷市でバイクとトラックが正面衝突!

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2003年に向けて玉田誠選手と契約 ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想します。 2002年から、ブリヂストンは最高峰のMotoGPクラスに参戦開始。 2年目の2003年、新たに玉田誠選手の起用も決まったのですが……。 TEXT:Toru TAMIYA 変な人から、いきなりワケのわからない電話が……? 「もしもし、ブリヂストンの山田と申します。 来年、一緒にMotoGPで戦いませんか? 突然の話で理解しづらいと思うので、後ほどまた電話しますね」 2002年のMotoGP(ロードレース世界選手権)最終戦バレンシアGP、決勝日のお昼ごろ。 ようやく、翌年の参戦体制についてプラマックレーシングとブリヂストンが合意に至ったことから、HRC(ホンダレーシング)のスタッフに玉田選手の電話番号を聞いた私は、さっそく彼に電話しました。 しかし本人は、水面下で自分が翌年のMotoGPを走るという交渉が進んでいたことも、それがブリヂストンのタイヤ開発も目的としたもので、私がそのプロジェクトに深く関わっているということも、それどころか私のことも、すべて知らない状態。 突然の電話に、頭の中が「??」で満たされたそうで、当然でしょうが電話の応対も素っ気ないものでした。 たまたまそのとき、玉田選手は全日本ロードレース選手権の最終戦が終わった後で、ライダー仲間などと一緒に食事中。 「いま、何とかの山田さんって人から『MotoGPを走らないか?』って……。 変な人から、いきなりワケがわからない電話がかかってきましたよぉ」と、周囲の人たちに話したそうです。 ラッキーだったのは、その場に鎌田学選手がいてくれたこと。 鎌田選手は、ブリヂストンが2001年の開発テストに先駆けて、前年にHRCを招いて事前テストを実施した際に、ライダーを担当してくれていました。 「それ、たぶんブリヂストンの山田さん。 MotoGPのプロジェクトを進めている人で、つまり来年のオファーってことだよ!」という話になったそうです。 おかげで、私が再び電話をかけたときには状況を理解していて、最初とはまるで違う口調で、はっきりと「ぜひ一緒にやらせてください!」という言葉が帰ってきました。 写真は勝利を挙げた筑波ラウンドだ。 一緒に世界を獲る! そんな意気込みでウインターテストに突入 バレンシアGPの決勝日が11月3日。 翌年まで時間はほとんどありませんから、玉田選手とも早急に契約を結ぶ必要があります。 私が日本に帰ってから、玉田選手に一度来社してもらい契約条件などのヒアリングをしました。 ところが玉田選手から返ってきた答えは、「僕はとにかくやるだけ。 契約条件とか金額の話はしたくありません。 契約に関してはすべて、母親に任せます」というものでした。 当時、玉田選手のお母様が代表となっている会社があり、契約に関してはその会社とブリヂストンの間で締結することになりました。 そこで今度は、お母様にも来社していただき、まずは挨拶。 「一緒に世界一を獲りましょう!」と約束したことを、いまでもよく覚えています。 もちろん私は、それが達成できると信じていました。 そして、こちらが提示できる条件を提示して、草案の状態から契約書を作成。 お母様とやり取りをして、契約を結びました。 2003年に向けたウインターシーズンで、もうひとつ記憶に残っているのは最初のIRTA(国際ロードレースチーム協会)テスト初日を終えたときのこと。 その前にプライベートテストが実施されていたかどうか記憶は定かではありませんが、なんにせよ玉田選手にとってホンダMotoGPマシンのRC211Vは初めてのマシンで、ブリヂストンタイヤを履くのも初めて。 しかも彼は、そこまでの間にMotoGPどころか海外サーキットでのレースの経験がまったくない状態でした。 IRTAテストにはMotoGPクラスに参戦する他のライダーも参加するので、ライバルたちと同じコースを走行するのは、間違いなくそのときが最初。 ライバルたちとの比較をするのに絶好の機会となります。 開幕前のIRTAテストでチームに合流した玉田誠選手。 ブリヂストンは玉田誠選手をレーシングライダーとして、伊藤真一選手をテストライダーとして起用した。 ほかにプロトンKRのマシンも。 大物なのか何も考えていないのか、その答えはやがて明らかに そこで初日のテスト終了後、私は玉田選手に質問しました。 「ロッシと比べてどこが遅くて、逆にロッシはどこがずば抜けてスゴかった?」と。 当時、だれもが認めるMotoGPクラスの頂点はバレンティーノ・ロッシ選手。 テストとはいえ、同じコースを走行していたら近い位置を走ることはあります。 玉田選手も、きっとロッシ選手を観察したに違いありません。 するとこのとき、玉田選手から返ってきたのは、ある意味で衝撃的な言葉でした。 「いや、全然たいしたことなかったですよ!」 これを聞いて私は、彼が本当の大物か何も考えていないかのどちらかだと思いました。 普通なら、いくら日本トップクラスのレーシングライダーとはいえ、初めて海外のサーキットでGPライダーと一緒に走ったら、多少は気後れすると思うんです。 「初めて尽くしなので、1年目は勉強します」なんて……。 しかし玉田選手には、そんなそぶりが微塵もありませんでした。 現役選手としての晩年、あるいはアジアでホンダの監督になってからも、玉田選手と話す機会はよくありましたが、日本人選手が「勉強します」なんてコメントしているのを聞くたびに彼は、「何を考えているんだ。 最初から勝負する気じゃなければ行く意味ないよ!」と言っていました。 もっとも玉田選手自身は、これは後に知ることですが適応力が非常に高く、それがメンタルを強く保てる要因のひとつになっていたのかもしれません。 とはいえ、ウインターシーズンのテスト段階では、正直なところ私はまだ玉田選手の速さや実力についてやや懐疑的でした。 もちろん、最初にライダーの候補として挙げる段階で、社内の開発メンバーなどと協議を重ね、玉田選手についてリサーチもしています。 しかし結局のところ、全日本ロードレース選手権から離れていた私にとっては、まるで知らないライダーなのです。 2002年にスポット参戦したスーパーバイク世界選手権でも優勝しているとはいえ、これは日本GPで彼がよく知るスポーツランドSUGOでの開催ですから、あまり参考にはなりません。 IRTAテストを見ていても、部分的な速さはあると感じましたが、実際のレースになったらどれくらいイケるのかは未知数。 しかしこちらとしても、選んだ以上はやってもらわないと困るという気持ちでした。 当初の5ヵ年計画では、3年目あたりではファクトリーチームに供給できるようにという算段。 そのためにも2年目のこのシーズン、我々は結果を残す必要がありました。 表彰台圏内でのゴール。 これが、最初の目標でした。 そしてシーズンが開幕。 玉田選手はその序盤戦から、大物の片鱗を見せてくれることになるのです。 部分的には速さを見せていたが、実際のレースでは未知数だった。 玉田誠選手は全日本ロードレース選手権250ccクラスを経て1999年よりスーパーバイククラスに参戦。 開発ライダーを兼任しながら常にトップ争いに加わり、2001年にはスーパーバイク世界選手権SUGO大会にスポット参戦してレース1・2とも完全制覇した。

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