こんな 夜更け に バナナ かよ 本 あらすじ。 映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』のネタバレあらすじ

『こんな夜更けにバナナかよ』原作 5分で分かるあらすじと評価 映画化への期待値

こんな 夜更け に バナナ かよ 本 あらすじ

年末に公開される話題のノンフィクション映画「こんな夜更けにバナナかよ愛しき実話」のことについて調べてみました。 この映画は実際に「筋ジストロフィー」という難病で20歳まで生きられるかどうかわからないという余命を言い渡された主人公のリアルな実話でもあります。 主演を演じつ大泉洋さんは今回の配役がはまり役とも言われています。 予告動画を視聴すると解るのですが本当に大泉洋さんの軽快なトークが魂の叫びに聞こえるように実際の原作者の思い描く映画位になっているのではないでしょうか? 年末最後に見る至極の映画の1本としてこの映画をおすすめします。 それではこの映画のキャストやあらすじ、予告動画などをご紹介していきたいと思います。 スポンサーリンク こんな夜更けにバナナかよの公開日 大泉洋さん主演の「こんな夜更けにバナナかよ愛しき実話」の 公開日は2018年12月28日(金)に公開が予定されています。 この映画を一言で説明 この映画は実話を元にしたノンフィクション映画ですが主人公の鹿野さん演じる大泉洋さんが、自分のことを自分でできない生き方には、尊厳がないのだろうか? 24時間体制の介助が必要な鹿野さんとボランティアたちとの交流を描いた介護・福祉の現場で読み継がれる傑作ノンフィクションとして有名なようです。 筋ジストロフィーという病気は難病に指定されている病名で現在の医療では治療法も確立されておらず徐々に全身の筋肉が衰えていくという難病でもあります。 内臓の筋肉も衰えていくということで自分の力で呼吸をすることもできなくなる病気を抱えながら「生き方の尊厳」という人間の大きなテーマとして考えさせられる物語だと思います。 介助をするボランティアとの意見のぶつかり合い本音でぶつかる人間関係で様々な気づきを得られるように思います。 映画「こんな夜更けにバナナかよ愛しき実話」の上映公開日は 2018年12月28日(金)です。 車椅子で半生を生きた男の実話 映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」は渡辺一史さんによる『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』を実写化した作品です。 大宅壮一さんはこの作品でノンフィクション賞うと講談社ノンフィクション賞をダブル受賞している。 fashion-press. net 幼少期から「筋ジストロフィー」という難病にかかり、車イスと介助がないと生きていけない体になった鹿野靖明と、彼を支えながら共に生きたボランティア達と家族の実話を描いている物語です。 ときには度を超えるワガママぶりを見せながらも、自らの夢や欲に素直に生きた鹿野靖明を取り巻く笑いと涙の物語が繰り広げられる。 スポンサーリンク 「こんな夜更けにバナナかよ」のあらすじとキャストは 主演は大泉洋さんです。 北海道では知らない人がいないくらい超有名な地元のスターでもあり、最近では映画俳優やドラマへも精力的に活動の場所を移しています。 fashion-press. net 大泉洋さんのはまり役 今回大泉洋さんが演じる鹿野靖明さんという方は、12歳で筋肉が徐々に衰える難病・筋ジストロフィーを発症しながらも、わがまま言い放題、自分がやりたいことをやる、傍若無人でおしゃべり好きで惚れやすいという愛すべきキャラクターの実際に存在していた方がモデルということで、鹿野靖明さんに影響を受ける方も多いのではないでしょうか? 鹿野と同じく北海道で生まれ育ったという共通点を持つ俳優・大泉洋さんの代表作として。 『探偵はBARにいる』『グッモーエビアン!』『青天の霹靂』など、数々の話題作に出演している注目の俳優として活躍しています。 変幻自在の演技力を誇る大泉さんが初めて車イスと介助を受ける役に挑戦。 この配役のために最大10キロまで減量をして撮影の合間に共演陣と北海道の美味しい料理を食べる際も太るといけないということで極力は食事をしない日が続いたと話されていました。 共演者の高畑充希さんと三浦春馬さんとは撮影の合間を縫い、ともにランニングも行うなど中の良さを見せている。 年末最後に劇場公開される日本映画で最も見たい映画として評価の高い作品として「こんな夜更けにバナナかよ」は大注目の映画となっています。 この映画のあらすじ この映画はどういう映画かというと、北海道札幌市が舞台となっていて主人公の鹿野靖明(大泉洋)さんは幼い頃より難病の筋ジストロフィーを患い34歳当時では首と手だけが動かせるという状態でした。 24時間365日誰かの介助がないと行きていけない体にもかかわらず、医師の反対を押し切って病院を抜け出して市内のケア付き住宅で大勢のボランティアに囲まれて自立生活を送っている。 わがままで、図々しくて、惚れっぽいさらによく喋る鹿野に振り回されるボランティアたち、夜中に突然「バナナが食べたい」と言い出したりする自由すぎる男とボランティアたちが彼と付き合う中で「自分に素直になること」「夢を追う事の大切さ」を知っていくという物語です。 配役として主人公の鹿野靖明さんを演じる大泉洋さんの脇を固める名俳優陣がとても豪華です。 fashion-press. net 共演者が本当に豪華でその中でも俳優の三浦春馬さんと、若手女優で最近では特に演技力やCMなどでも強烈な個性を出している、高畑充希さんが中心となる役どころを担っています。 鹿野のボランティアとして参加して、介護をしていく中で心を通わせていく女子大生・安堂美咲を演じるのは、高畑充希さんです。 三浦春馬さんが演じるのは美咲の彼氏で、医学生の田中久役として登場します。 若手の俳優でもかなりの注目を集めているこの二人が脇を固めている映画は早々ないと思います。 以上の3人が物語の軸となるのは本作が初共演となります。 豪華俳優陣が脇を固めています また、萩原聖人、渡辺真起子、宇野祥平が鹿野を支えるボランティアの役を演じ、竜雷太、綾戸智恵は鹿野の両親を、原田美枝子が主治医、韓英恵が看護師を演じるなど、豪華キャストが集結する。 主なキャストをまとめてみました。 こんな夜更けにバナナかよ・キャスト• 主人公鹿野靖明:大泉洋• 医大生ボランティア田中:三浦春馬• 田中の彼女役:高畑充希 その他:佐藤浩市さん、竜雷太さん、綾戸智恵さん、萩原聖人さんら豪華俳優陣が脇を固めています。 原作は誰で本は販売されている? この映画の原作は「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」というタイトルで原作者は渡辺一史さんという方です。 原作者の経歴 渡辺一史さんは第35回大宅壮一ノンフィクション賞・第25回講談社ノンフィクション賞ダブル受賞をされている事実の物語を表現することがとてもうまい作家さんでもあります。 自分のことを自分でできない生き方には、尊厳がないのだろうか? 24時間体制の介助が必要な鹿野さんとボランティアたちとの交流を描いた介護・福祉の現場で読み継がれる傑作ノンフィクションです。 このような福祉・介護・医療の現場というものは実際にその現場で働いたことがある方でなければ知りえない心の葛藤や密度の濃い人間関係というものが表現されているものです。 誰もが他人という人間関係の中で介護や福祉の現場というものはその人の人生を引き受けるという難しい立場として勤務するのですがその人のすべてを背負えるわけではなくある程度距離を取る必要があると言われている中でどのようにボランティアたちが鹿野さんとの関係を気づいていくのかも注目のポイントになります。 こんな夜更けにバナナかよ予告動画 この予告を見ると本当にこの映画を見たくなります。 筋ジストロフィーという難病を抱えながらも自由に生きること、毎日が命がけで生きている鹿野靖明さんの人生を垣間見ることで自分なんてまだまだ行けるとそう思わせられてしまいます。

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こんな夜更けにバナナかよ

こんな 夜更け に バナナ かよ 本 あらすじ

ひとりの進行性重度身体障害の男がいた。 渡辺一史さんがこの本を書いている大半の日々では、まだいきいきと生きていた人だった。 その鹿野靖明さんと、亡くなるまでに関わった多くのボランティアの人たちとの物語である。 と書くと、ああよくあるやつね、と内容の見当がついてしまうような気がする人もいるかもしれない。 それは間違いです。 これはまったく、よくある本ではない。 凄い本です。 めったにない本。 多くの通念をゆさぶり、人が人と生きることの可能性に、思いがけない切り口で深入りして行く見事な本です。 もう八年ほど前のことになるけれど、私はこの本をはじめて読んで敬服して対談の相手をして貰ったことがある。 本が出て二年ほどたっていたけれど、まだ渡辺さんは三十代だった。 その時の話題に、「尊厳死」ということが出て来た。 それは私がすでに七十代だったせいもある。 「尊厳死」を選ぶということは主として老人の覚悟として語られる生き方で、もはやベッドから動けず、人の手を借りなければ一日も生きていられない状態になった時には延命をのぞまないという意志である。 しかし、その時にはそれを伝える体力や判断力を失っているかもしれないから、あらかじめその意志を書き残しておくということでもある。 私は自分もそうするだろうと思っていた。 書き残してはいないが、家族との日々の雑談で「あそこまでして生きていたくないなあ」というようなことをいったりして、それとなく思いは伝わっているような気持でいた。 そして今でも高齢者については、他の選択はないような考えでいるのだけれど、この本を読むと、私はまだまだ人が生きているということについて浅薄なのかもしれないと立止ってしまうのだ。

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【映画原作】『こんな夜更けにバナナかよ』山田太一さんによる文庫解説 『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』 (渡辺一史 著)

こんな 夜更け に バナナ かよ 本 あらすじ

ダブル受賞! 第35回大宅壮一ノンフィクション賞 第25回講談社ノンフィクション賞 デビュー作で2大ノンフィクション賞を制覇! 第35回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した渡辺一史氏(1968年名古屋生まれ)はこれが単行本デビュー作。 北海道大学在学中からライター活動を始め、一度も組織に属さず、北海道でキャリアを積んできた「たたき上げ」のフリーライターである。 2003年3月に出版した本書で同年9月、講談社ノンフィクション賞を受賞。 今回の大宅賞受賞でふたたびノンフィクション賞の最高峰に輝いた。 これまでに両賞のダブル受賞は高山文彦氏の「火花」など3度あるが、新人のデビュー作としては初めて。 また地方出版社の本が両賞を受けるのも初という快挙を果たした。 「先入観」裏切るスリリングな成長物語 本書は、札幌市内で在宅自立生活を送る筋ジス患者・鹿野靖明さんと、24時間体制で支える介助ボランティアとの交流や葛藤を描いたノンフィクション。 渡辺氏がみずからもボランティアの一員となり、「わがままな」障害者である鹿野さんとそこに通う主婦や学生ボランティアたちの人生を丹念に聞き取った。 鹿野さんは、原稿完成直前の2002年8月、42歳で亡くなった。 完成まで3年の歳月をかけてまとめ上げた本書では、ありがちな美談ではなく、障害者と健常者の枠を超えた新しい人間関係がリアルに描かれている。 大宅賞選考委員の作家・関川夏央氏は受賞作発表の記者会見で「介護の話というと、普通は『またあれか』と思われるかもしれないが、その、またあれか、という最初の数十ページの感想が、だんだん裏切られていく。 書き手がボランティアの場に放り込まれて、成長しないと生きていけない、というふうになっていって、ある種のビルドゥングスロマン(成長物語)としても非常に面白いのではないか。 現在の福祉行政におけるノーマライゼーションに対する意義深い意見をもはらんで、スリリングな読書体験を生んでいる」と講評を述べた。 内容(「BOOK」データベースより) 本書は、多くの人が読むに値する本だろう。 「美談」とか「泣ける」とか「感動した」という感想には違和感を感じる。 本書は「考えさせる」本であり、「問いかける」本だ。 答えや正解は本書の中にはない。 もちろん人によっては、本書から何らかの答えを導き出せる人もいるだろう。 でも、私には出来なかった。 それが正直なところだ。 鹿野氏に元気や勇気をもらえるとも思わない。 それは、もし私が同じ境遇におかれても、とても鹿野氏のようには生きられないと思うからだろう。 健常者と障害者の共生は、一筋縄ではいかないだろう。 障害者にも健常者にも、また障害者の家族にも、いろんな考え方の人がいて、そこには「正解めいた最大公約数的なもの」ならあるかもしれないが、算数における最大公約数のような、明確な答えとして提示できるものはなさそうに思う。 本書に記された鹿野氏のケースは、決してモデルケースとか理想のケースとかいう類のものではないと感じる。 鹿野氏という強烈な個性の存在があってこその事例であって、これを同じ境遇の人に、同じように当て嵌めても、上手くいくとは到底思えない。 鹿野氏のワガママともいえる要求。 それに耐えきれなくなって途中で抜けたボランティアが悪いわけでもないと思うし、逃げずに続けたボランティアだって、高尚な意思を持っていたとも限らない。 それは本書に記されたボランティア自身の言葉からもうかがえる。 逃げたからダメで、残ったからエライという単純な図式でもないだろう。 障害者の要求が、どこからワガママになるのかも簡単に線は引けないだろう。 私は大きな度量などない人間なので、どうしても「障害者から健常者への一方通行な要求」という部分に目を向けてしまう。 「健常者が障害者から一方的に要求を受けて、それに応えなければならない」というのは、自分の中でどう消化して腹に落とせばいいのか。 未だによく分からない。 以前、全国区で有名な障害者が、飲食店に要求を断られた事をネットで実名入りで暴露して、障害者の側に批判が集中した事例もあった。 そのように障害者側からの要求が必ずしも全て社会に受け入れられるわけでもないし、受け入れなければならないというわけでもないように思う。 ああいう障害者側からのハラスメント的な事例を見聞きすると、思いは余計に複雑になってしまう。 「障害者のワガママ」というのは、ある意味、健常者の心に響きやすい言葉だと思う。 健常者側の負の感情の多くをまとめると「健常者がみんな自分でやっていることを、障害者は健常者にやってくれと要求する。 あるいは、やってもらわないと出来ない しかも、それは常に障害者から健常者への一方通行ではないか」というような内容になるのではないだろうか。 しかしながら一方で、多くの健常者が持つのは負の感情ばかりでもないし、「そんな風に思ってしまう自分は心の狭い、冷淡な人間なのではないだろうか」と自己嫌悪や葛藤を抱えていたりもする。 また、きっと同じように、障害者の中にも複雑な心情があるのだろうとも推察する。 誤解を恐れずに書けば、鹿野氏のように「生きる死ぬ」のレベルにある場合は、まだ多少は共感しやすい面もあるのかもしれない。 「生きたい」というある意味究極の欲求は、誰しもが認めざるを得ないから。 むしろ、より困難なのは、直接の生死に関わるほどでもないレベルの障害を前にした時かもしれない。 、、、いくら書いても結論も答えも出ない。 ここに書いたことでさえ、自分の確固たる意見というわけでもない。 時間とともに揺れ動く。 本書は、そういう、日頃はあまり考えずに過ごしているようなことを、ちょっと立ち止まって考えさせれくれる本である。

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